清貧と赤貧 | アル語録

アル語録

【宇宙法則の仕組み】伝えます!

皆さんこんにちは!
結希です☆

今日のタイトル見て言葉の意味がわかる人達は
ひぇ~貧乏嫌だな~って思うかもしれませんね(笑)

最近眠れる予言者で有名なエドガーケーシーに関心がありました。

ひょんなことから知人にエドガーケーシーの話をしたら
エドガーケーシーに詳しくて彼の自伝を戴きまして読んでました。

自伝の中にエドガーケーシーはリーディングを通じて
かなりの人助けをしていたのに関わらず
常に生活が苦しい状態があったそうです。

これをよく

『清貧』

と呼んで尊んでいる人達もいます。

でもねそう尊ばせようとしている人達ほど
自分達は貧乏を好まないし関係ないと思ってるように感じます。

こうやって書くと尊い行為と重んじてる人から反発されそうだけど
人助けしている人が助けてもらってる人より
悪い言葉で言えば貧乏しているのはどうなんだろうと思います。

すごい都合の良い言葉に私には感じてなりません。

もちろん人助けの名のもとにあくどいことをしてる人達もたくさんいますから…

宗教団体では清貧をすごく重んじて
神さまを使って団体にお布施や献金を募らせて
『赤誠』
を印籠のように出してくるところもあります。

赤誠ってまごころを言ってるんですけどすごい落とし穴でもあるんです。

お布施とか献金って基本的にいくらとか相場が決まってない宗教団体もあります。

だから本当に信仰している人は自分の精一杯のまごころを出すんですね。

すると清貧どころか

『赤貧』

になってる人達が本当に多いんです。

でもみんな貧乏になることとは思わせないように
心の豊さとか言って特に神事や人助けのことをしている人達に
強いる雰囲気すら私は関わっていた時に強く感じて
そんな宗教団体をたくさん見ました。

いやこれは宗教団体だけじゃなくて
神事っぽいことやスピリチュアルをかじった人達は
そんな雰囲気もあります。

今の世の中の乱れを見た時心の豊かさがなくなって物欲に走ったせいだと言う人達もいます。

でもね本当にそうですかね。

私は私の考え方がありますが
皆さんは今日のブログも読んで頂きながら一緒に考えてもらえたらなと思います☆