その名前に聞き覚えがあった
とは言え極ありふれた苗字、それに字面がインプットされていた訳でもない
なんともあやふやだが、探る術はないものか考えた
確か昨年の秋口に一度だけ代行レッスンに参加した事がある
なのでクラブから送信される予約確認メールを開いてみたが、10月初旬までの記録しか残っていない
その間に該当する名前は見当たらず、然らばとブログの記録を遡ってみた
そのレッスンははっきりと記憶に残っている
変則的二本立てとでも言うべきか、そういった意味に於いても印象は強い
一本目の感触が良かったことから予定外の二本目も出た訳だが、記事を目で追うごとにその時の状況がありありと甦って来る
ただ如何せん、自分の場合は形式的な詳細は残さないのだ
感じたこと内面を掘り下げることはあっても、核心に触れる具体性は敢えて記さない
それはアモではないが、行間に埋める様にしている
要は、自分が解れば良いのだ
なんとも、独りよがりな快楽者なのだが
それはそれで善しとしている部分がある
なものだから、当時の映像はワープして来ても肝心の名前が分からない
大体、一度や二度で名前も顔も覚えないのだ
ただ、動きの特徴とかクセといったものは直ぐにキャッチ出来る
な具合いだから、確認しようにも術がない
まあ、出たとこ勝負ってところだろうか
賽の目は、振られた通りにしか出ないのだから
青葉眩しい新緑の風に吹かれて、んな感じかな。
➡ 記憶ってのは往々にして曖昧な要素を秘めており、秋口だと思っていたものが7月下旬猛暑ど真ん中だった
記憶に限らずこのいい加減さは、殆ど常習なんだけどね