儘には読めない。 | 寅月

寅月

(^O^)/

  遠野物語拾遺 
272) 春と秋との風の風の烈しく吹き荒れる日には、また瓢箪を長く竿の尖に鎌といっしょに結び付けて軒先へ立てることがある。こうすると風を緩やかにし、または避けることができるといっている。

Τορατσουκι




279)小正月は女の年取りである。 中略
Τορατσουκι-藁包 そのほか蔵や納屋の鼠には嫁子餅と言って二つの餅を備える。
また狼の餅というのは藁包に餅の切れを包んで山の麓や木の枝などに結び付けておく。  これは狼にやる餅で、ほかに狐の餅ということもするのである。

280)鴉呼ばりということも、小正月の行事である。Τορατσουκι
桝に餅を小さく切って入れ、まだ日のあるうちに 後略






296)5月5日は薄餅を作る。薄餅というのは薄の新しい葉を刈って来てそれに搗き立ての水切り餅を包んだもので、餅が乾かぬうちに食べると草の移り香がして、なんといえぬ風味がある。
中略
Τορατσουκι 女房の屍に取りすがって夜昼泣き悲しんでいたが、後にその肉を薄の葉に包んで持ち帰って餅にして食べた。
これが5月の節句に薄餅を作って食べるようになった始めであったという。
後略






Τορατσουκι

299)7月7日はぜひとも筋太の素麺を食べるものとされている。
その由来として語られている譚は、5月の薄餅の後日譚のようになっている。
中略 
そのうちから特別にスジハナギ(筋肉)だけを取っておいて、7月7日に今の素麺のようにして食べた。 これが起こりとなって、この日には今でも
後略







107)
下閉伊郡の山田町へ、関口という沢から毎市日のように出て来ては、いろいろな物を買って戻る男があった。顔中に髭が濃く、眼色が変わっているので、町の人はあれはただの人間ではあるまいと言って、殺して山田湾内の大島に埋めた。
それゆえであったか、その年から大変な不漁が続いたという。 
これは山田町へ駄賃づけに通うていた、土淵村の虎爺という老人の若かった頃の話である。

Τορατσουκι-岩手県下閉伊郡山田町の島。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
岩手県下閉伊郡山田町の島。で検索すると、
神になった無法者 -岩手県下閉伊郡山田町の島の坊伝説をめぐって
ってあった。
遠野物語拾遺」は、佐々木喜善の原稿を、柳田国男と鈴木棠三が書き改めたものとされている。
だそうな。
 これだから
           ┐( ̄ヘ ̄)┌、