大岩 | 寅月

寅月

(^O^)/

 最近読んだ本のなかに

葬る方法として岩の上に横たえるというのがありました。


Τορατσουκι

 秩父の林の中に青緑の大きな岩を見たのを思い出しました。

斜面に 見上げる大きさで、ふたつみっつとありました。 

・・・

大きさに 異様を感じました。



立派に生きた人なら 

 

ああいう場所にそういう葬られ方するのもいいんだろうなと考えます。

 

・・これって共感かしら( ̄ー ̄;

 


 


西田遺跡

縄文時代中期(約5000年前~4000年前)環状集落・村の中央に墓

 

                                 「死穢」がないみたい。
 

中期の終わり

4000年前は北海道と南西諸島を除く日本列島の人口は26万人あまり

     うち東日本に23万人、    西日本には3万人

植生の違い 落葉広葉樹林             照葉樹林

       鹿 猪他 狩猟

海流 鮭 鱒  漁猟






弥生時代中期

環濠集落の南東100mにΤορατσουκι-歳勝土遺跡 方形周溝墓 方形周溝墓 

      日常の場から墓域を離することを目指す


「皮屋も屠児も嫌はない」

     折口信夫著「沖縄採訪手帖」

 機内や瀬戸内海を中心に広がった禁忌は稲作とともに・・

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 集落の環濠は人への備えだったらしい。

縄文時代より、人を殺すことが多くなって死穢を思うようになったんかしら?