今こそ「千古の教場を去るべきとき」
無我・無欲・無心は、人間を人間として評価していない。人間でなくなろうとしている。
我はなくならない。欲はなくならない。心なくならない。なくしてはならない。
心をなくしたら、人間ではなくなる。
人間らしい生き方とは、108の煩悩を生かし切ること。
なぜ無我・無欲・無心が求められたか、中世封建時代から近代においては、支配者が大衆を支配するためには、大衆に欲を持たせないことが効果的であったから。
人間は人間らしく生きるのが母なる宇宙の祈り、摂理であるから、神や仏のような、まして動物の様に生きようとするのは、母なる宇宙への反逆であり謀反である。
人間にしかない理性を使って、心の底から湧いてくる欲や我や偏見を、人間らしいものにする。
傲慢な言い方になるかもしれませんが、
「釈迦もキリストもなんぼのもんじゃい。孔子も老子も倫理道徳がなんぼのもんじゃい。」というくらいの心構えで、
釈迦やキリストから学び、孔子や老子、倫理道徳から学び、新しい時代にふさわしい新しい考え方を創造することが、今の時代に必要なことなのです。
宗教や古くからの教えが不必要ということではありません。
学んで、大切にし、消化し、それを超えるくらいのものをつくりだすことなのです。