やらかしてしまった・・・

 

 

今まで、何とか平穏な夫婦関係を保ってきたつもりでしたが、先日妻と妹ペキに対して蛮行を働いてしまいました・・・。

 

直接的には、妻の「ある一言」が引き金となったのですが、積もり積もったモノが爆発してしまったという印象の方が強いです。

 

 

あれだけ「もう怒らないで穏やかな生活を送らせてください」と妻から懇願されていたのに、あろうことか・・妻本人にも、そして妻が愛している妹ペキにも恐怖を与えるような蛮行を働きました。

 

妻は、こんな感じでした。

 

 

妹ペキは、こんな感じでした。

 

 

 

心の傷

 

 

妻には、暴言や暴力。

徹底的に詰める。

 

ゴミ箱を振り回す。

そして妹ペキが怯える。

 

当の本人は、現実を受け入れられないことに対する怒りと「私の人生は、こんなはずじゃなかった」という何とも言えない感情で一杯でした。

 

家族には、消し去ることができない心の傷を、またひとつ付けてしまいました。

 

以上です。

 

ダドリー (旧torao596)

 

はじめに

 

2024年が始まりました。

 

昨年はちょうど50件の記事をあげました。

今年は、もう少し多くの記事をあげたいと思っています。

 

 

本 編

 

我が家では、妹ペキが人一倍寂しがり屋なのです。

例えば、私がひとりで出かけたときも、ずっと玄関の方を向いて帰りを待っているそうです。

 

こんな感じです。

 

 

私達が住んでいるのは集合住宅です。

この動画では、他の入居者の方が玄関扉を開け閉めしたときの音を、私が帰宅したと勘違いしています。

 

後ろにいる妻の方をチラチラ確認しながら、私の帰りを待ってくれていたそうです。

まるで「まだ帰ってこないね~」と言っているかのようでした。

 

 

最後に

 

今回の記事は以上です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

torao596

我が家には、ペキが2人おります。

 

特に、妹ペキは我が家のアイドルなのです。

 

家族を人一倍恋しがり、人一倍心配し、人一倍喜びを分かち合ってくれる。

とにかく、この子を幸せにしてあげたい。

 

そんな一途な思いにさせてくれる大切な存在です。

写真をあげさせてもらいます。

 

 

今年は夫婦そろって流行り病に罹るなど、大変な1年を過ごしました。

来年は妹ペキを筆頭に家族4人で、何事もなく平穏に過ごせたらと思います。

 

torao596

《 関連記事 》

 

今回は上記関連記事の続きです。

それでは、どうぞ。

 

本 編

 

 

健常者が多数派だとすれば、障害者が生きやすくなるインフラの整備は、間違いなく健常者の役目となる。その健常者に「気持ちとお金の余裕がない」からだ。

たしかに、バカバカしい回答だ。そして、あまりにも単純である。

しかし、究極的にはここに辿り着く気がする。

健常者に気持ちとお金の面で余裕がないため、それらに余裕が出てくるまで障害者は待ち続けなければならないのか?

障害者も健常者も、同じ時間軸の中で生きている。

障害者はそこまで愚かではない。むしろ、健常者以上に「どうすれば多数派に溶け込めるか」ということを、日々真剣に考えている。

脳みその発汗量は、健常者は障害者の比ではない。

 

例えて言えば・・・

 

健常者には既に舞台がセットされた状態であり、あとは踊るだけだ。

障害者には、日常生活を営むための舞台すらセットされていない。まず舞台の設置からしなければならず、それ自体人並みの苦労ではない。

 

健常者が生涯味わうことがないであろう苦労を、先天性の場合、障害者は生まれながらにして背負わされているのだ。

いつまでも、多数派の顔色を窺いながら生活をするという仕組みが続くとは思わない。

健常者はとかく忘れがちだが、人生はいつどこでどうなるかはわからない。

今日までは健常者だったが、明日には何かしらの事故や急病等で障害者となることも十分にあり得るのだ。それを忘れてはならない。

問題提起した「障害者らしく生きる」について。

 

健常者らしく生きていなければ、すなわち、それは障害者らしく生きていることになるのだろうか?

この問いに対して、明確に回答することはできるだろうか?

 

できないはずだ。

なぜなら、健常者らしく生きるということも、同じように不明確だからだ。

個人的には、健常者も障害者も紙一重だと思う。

それぞれに人格があり、生まれながらにして人権が与えられ、人として幸せに気持ちよく生きるベースが与えられている。

障害者に生きづらいと感じさせる要因を作っているのは、健常者に他ならない。

間違っても、障害者は同じ障害者に対して、貶めたりするようなことはしない。

同じ障害者として、その気持ちがよくわかるからだ。健常者は、そのことにいい加減気づくべきだ。

「ない」ものは、作ればいい。
「不足」していれば、補えばいい。
「必要は発明の母」と同じ論理だ。


純粋に、それを追い求めればいい。

「障害者が日常生活において不自由を感じる」とすれば、そこには、健常者に合わせた生活スタイルが現実生活における標準になっていることが深く関係している。

問題提起に対するひとつの回答として、障害者の日常生活を現実生活の標準とする生活スタイルが確立されるべきことが挙げられる。

 

健常者の生活標準と障害者の生活標準とで最初はダブルスタンダードになってしまう。しかし、時間をなるべくかけずにお互いの標準を融合させ、ダブルスタンダードからシングルスタンダードになるように知恵を絞るべきだ。

 

(以上)

 

最後に

 

今回の記事は以上です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

torao596

 

こんな問題提起をしてみたい。
そもそも「障害者らしく生きる」とは?

例えば・・・
障害者にも生き甲斐を得る権利はある。
障害者にも日常生活があり、不自由な中でも小さな幸せを少しずつ蓄える力はある。

たしかに、そのとおりだ。
しかし、よく考えてみたい。

当たり前の話だが、障害者は何かしらの障害を持っているからこそ、そのように呼ばれる。この呼び名は、健常者との対比で使われる。障害者が存在するからこそ、健常者という存在が成り立つ。

世の中、健常者が多数派を占めている。

その多数派の論理で、世の中はまわっている。

認めざるを得ない事実のひとつだ。

そして、障害者は健常者ほど人数が多くない。言い換えれば少数派だ。

力関係で言えば、少数派である障害者は、健常者による圧力に屈しやすい。

「多数派の意見を持って全体の意見とみなす」という仕組みは、あらゆる場面で取り入れられている。

分譲マンションの管理組合における総会決議然り。
株式会社における株主総会や取締役会での決議然り。
国会における法案の採決然り・・・

だが、この仕組みにも、そろそろ修正が加えられる時が来ているのではないか?

少数派である障害者が、なぜ色眼鏡で見られるのか?なぜ、職場で真剣に向き合ってもらえないのか?なぜ、日常生活で障害者対応を基本とするインフラが、いつまで経っても標準として整備されないのか?

一見、非常にバカげているが、意外と的を得ている回答に辿り着いた。

 

 

・・・次回に続きます。

 

torao596

 

はじめに

 

今回の記事は、日常生活を切り取った一場面です。

先日夫婦で、あるお店へ行って用事を済ませようとしたときのお話です。

 

 

金融機関の窓口にて

 

妻の通帳の関係で、夫婦で窓口へ行きました。

妻は金融機関や役所での手続きがあまり得意ではないので、普段は夫である私が、妻の隣で書類への代筆や捺印などをしています。必要であれば、妻の個人情報に関する内容も、私が代わりに説明をします。

 

ところが、今回はそうは行きませんでした。

個人情報の取り扱いがより厳しくなったのか、本人からの説明と本人による署名を強く求めてきたのです。私が説明をしようしとしても、窓口の担当者は「ご本人にお願いしております」の一点張りで、気が利かない印象を持ちました。

 

私は一抹の不安と怒りを感じながらも、黙って事の成り行きを見守っていました。

そこで、窓口の担当者から、意外な一言が発せられました。私と妻との関係を聞こうとしたのでしょう。

 

私たち2人分のマイナンバーカードで生年月日を含む個人情報を提供した後の発言だったので、正直驚きました。本気で言っているのか、疑いました。

 

 

ちなみに、私と妻は同い年です。

 

担当者「今回の通帳の持ち主は○○様(妻の名前)で、お隣の方(私)は、お父様ですか?」

 

 

はい?

「オトウサマ」っつったかね?

 

 

担当者は躊躇なく言い放ちました。一瞬、言葉を失いました。

本当に言葉が出てこないことってあるんだなぁ~と思いました。

 

 

実際は、こんな感じだったはずなのですが・・・

 

 

 

窓口の担当者には、こんな感じに見えていたのでしょうか・・・?

 

 

その後、妻からは終日「お父様」と呼ばれ、イジられ続けました。

中々の出来事でした。

 

 

最後に

 

今回の記事は以上です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

torao596

 

はじめに

 

今回で「心理検査報告書に対する私見」シリーズは最終回です。

性格面の内容は報告内容が長くなるので、要点をまとめた上で私見も織り交ぜながら述べることとします。

それでは、どうぞ。

 

 

 

性格面・その他

【 要点と私見 】

 

礼儀正しさを持っているのと同時に、強い規範意識も持ち合わせている。自分に厳しいが、他人にはもっと厳しい。白黒をはっきりさせないと気が済まない。決まったパターンで処理できることが得意。

 

世の中の出来事、特に日本社会では「空気を読む」という文化が非常に強く根付いており、発達障害者にとって最も苦手な「ファジー」こそが正義とされる。だから、発達障害者の一人として、大変に苦労している。

 

何かトラブルが発生したら、ネガティブな感情よりも「何とかして問題を解決したい」という感情が先立つ。どのような手法を選ぼうとも、「絶対に課題を解決する」ことに全力を注ごうとする。だから、途中で問題解決を放棄しようとする者を、激しく軽蔑してしまう。

 

時には、一旦立ち止まって別の視点からアプローチをかけることで、問題解決に近づくこともあるのに、それができない。視野が狭いと言われる所以であろう。

 

事実や論理を扱うことは得意だが、気持ちや感情を扱うことは苦手である。それは読む書物のジャンルに表れている。評論文やドキュメンタリーものは好むが、小説は全く好まない。

 

世間一般で、「小説を読んで、その小説世界に入り込み、登場人物になったつもりで読み進め、ついつい感情移入してしまう」ということを耳にするが、正直、私にはさっぱり理解ができない。小説を読んで「一体何の得があるのだろうか?」と思ってしまう。

 

小説とは虚構だ。虚構の世界に入り込んで仮に何かを得たとしても、それは現実社会では通用しない。小説はあくまで小説に過ぎないのであり、現実社会にフォーカスした評論やドキュメントを読み込むことにこそ価値がある。私の思考回路は、こうなのだ。

 

不安を感じやすい傾向にある。それは、ストレスを溜めた時のガス抜きができないことにも原因がある。ガス抜き、つまり親しい人に愚痴をこぼしたり、思いっきり酒を飲んで憂さ晴らしをするなど。

 

私は両方ともできない。前者は、まず人自体を信用していないから。人間の「ここだけの話にする」という文言ほど信用できないものはない。秘密だと表面上は合意してても、必ず人は誰かに喋る。必ずだ。断言してもいい。それを17年前、骨の髄まで思い知らされた。人間は犬と違って、自分に有利に働くと判断した場合には平気で人間を裏切る生き物だ。

 

後者は、体質的に酒は飲めるのだが、服用している薬との関係で断酒している。酒は飲まなくても平気なので、この点だけは不自由していない。それに酒席ほど、人間の醜さを体現する場所はない。余計にストレスが溜まるだけだ。

 

 

最後に

今回の記事は以上です。

これをもって、「心理検査報告書に対する私見」シリーズは終了したいと思います。次回からは単発記事を何本か続くと思いますが、是非お立ち寄りください。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

torao596

 

はじめに

 

前回の記事から約2ヶ月弱の期間が空いてしまいました。

また再開しますので、閲覧いただければ嬉しいです。

 

 

《 関連記事 》

 

今回の記事は上記関連記事の続きです。

それでは、どうぞ。

 

 

処理速度について

 

【 検査結果 (再掲) 】

 

 

『処理速度』は、目と手を協応させて単純作業を素早くこなす力の指標です。

 

「見て書く」という課題では、作業ペースに遅れが見られています。作業の質は丁寧で綺麗なのですが、そちらに注意を注ぐためか、または記号を書くという細かな手作業があるためか、速度は遅れやすいところがあるようです。

 

速度や量を求められる仕事には向いていないかもしれませんが、丁寧さに重きを置くような仕事には向いていると考えられます。

 

手先を使った作業では時間がかかりやすいということを意識しておき、早めに取り掛かる、時間に余裕を持って取り組むなどの工夫をすると良いでしょう。

 

「見て判断する」課題では、ペース良く作業を進めることができています。

ただし、見落としのうっかりミスが見られていますたくさんの記号が並んでいて視覚的な注意を分散させながらやらなければならないため、その点が苦手でミスが起こりやすいのかもしれません。

 

検査の他の課題でも注意力、うっかりミスの起こりやすい傾向が見られているようです。作業に取り組む際には、確認や見直しを心掛けておくこと、周りに気が逸れるものを置かない、不要な刺激となる部分は隠してやるべきところだけ見えるようにするなど、集中しやすい工夫をしてみることも勧められます。

 

 

【 私見 】

 

「単純作業を素早くこなす」という点については、少々自信がありました。

社会人として働くまでは、「丁寧だがスピードは遅い」もしくは「スピードは速いが丁寧さに欠ける」という両方の素質を持ち合わせていることが理想であると、薄々は感じていました。

 

ただ、実際は両方の素質を持ち合わせている人間など「いない」に等しく、いずれか一方の能力に長けてさえいれば、それで社会人として乗り切っていけるものだと思い込んでいました。

 

しかし、実社会での競争は激しく、いずれか一方の能力に長けているだけでは足りず、両方の素質を持ち合わせていて一人前であり、そこから本当の競争が始まるのだと骨の髄まで感じさせられました。

 

つまり、両方の素質を持ち合わせていないと「本当の意味での競争」をするためのスタートラインにさえ立てなかったというわけです。その意味で、私は既に落第点だったのです。及第になるはずがなく・・・。

 

まずは、以下の点について。

【「見て書く」という課題では、作業ペースに遅れが見られています。】

 

これは、見たものを即座に判断して書くということが苦手だからです。

実感としては、視界に入った物が脳に到達して、それが脳内メモリーに蓄積されている記憶等と照合され、実際に書くという行為によってアウトプットする際に「本当にこう書いて正解なのだろうか?」という躊躇が生まれるのです。

 

このような思考回路になった原因は、職場で受けたパワハラが原因なのか、それとも生まれつきのものなのか、実際のところ確信が持てない状況です。

 

そして「作業の質は丁寧だが処理速度は遅い」という点も合点がいきます。

これは最初の職場で教え込まれた指導が大きく影響しています。ある時、当時の上司から、こう言われました。

 

「たしかに理想としては業務処理のスピードが速く、かつ丁寧で正確であることが理想だ。しかし、人間はそんなに完璧なやつばかりではない。スピードが早くても、その分ミスが多くてはかえって迷惑なだけだ。ミスをした分を取り返すのに、通常の処理時間の2倍から3倍はかかる。それなら、多少時間がかかってもミスのない丁寧な仕事をしてくれる社員の方が、会社としてもありがたいんだよ」と。

 

もちろん、パワハラをしかけてきた上司とは別の課の上司からの言葉です。

 

それ以降、速度を早くして量をこなすことよりも、スピードが遅くても質の高い丁寧な仕事を心掛けるようにしようと決めたのです。

 

次に、以下の点について。

【「見て判断する」課題では、ペース良く作業を進めることができています。】

 

これは単純明快です。

私自身、直感(=インスピレーション)で物事を決めることが多いからです。個人的には、物事を難しく考えることが苦手です。どうしても、単純化して物事を考えてしまいがちなのです。これはキャパシティが関係しているかもしれません。

 

注意を分散させながらこなす業務には向いていないという結果も出ていました。

これは、注意力に限界があるからです。健常者が100%だとした場合、私自身の注意力は50%~120%の間でしょう。

 

100%を超えていることに違和感を感じたことでしょう。

発達障害者に多いそうですが、自身の興味をひく事柄に取り組む場合、健常者以上に集中力を発揮することもあるそうです。そこで、ひとつの仕事に対する仕上がりとしては、完璧に近いものが提供できるのです。しかし、そこで注意力が切れてしまうため、電池切れになるのです。実社会では、途切れなく仕事が舞い込んできます。それを連続して処理するには、集中力を一定程度維持させなければなりません。そこで脱落してしまうのです。

 

 

最後に

 

今回の記事は以上です。

次回は、この続きから再開です。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

torao596

 

はじめに

 

《 関連記事 》

 

今回は、上記関連記事の続きです。

それでは、どうぞ。

 

 

ワーキングメモリーについて

 

【 検査結果 (再掲) 】

 

『ワーキングメモリー』は、聞いたことをすぐに記憶し、覚えた情報を頭の中で操作する聴覚的な情報処理能力の指標です。聞いたことをすぐに記憶する力、記憶したことを頭の中で操作していく力は平均またはそれ以上の力が備わっています。ただし、課題自体は非常によく集中して覚えることができていましたが、教示については聞き間違えたのか、思い違いをしたのか、やり方をミスしているところがありました。集中を向けている時には十分な成果が出せるのですが、ちょっとした時に集中が切れて聞き逃したり、勘違いしてしまうようなところがあるのかもしれません。記憶する力には優れていますので、大切な場面では意識や集中をしっかりと向けるように心がけておくと良いでしょう。算数の暗算は、年齢相応にできています。素早く、スムーズに回答することができていますが、ちょっとした掛け算のミスや問題文の聞き間違いと思われるミスも見られています

 

 

【 私見 】

 

記憶する力が良いのは、最初だけです。

最初に集中力を高め、それで説明を聞くなり、仰いだ指示を聞くなりして、タスクをミスなく完成させることを目指します。

 

たしかに、それで最初のタスクは成功し、ある程度の成果を収めることができます。しかし、その後が続かないのです。昔、心療内科の医師にアドバイスをもらったことがあります。

 

「他の人たちは、仕事などをこなすときに一度に100%の集中力を使い切るようなやり方はしません。大体60%程度の集中力を使って、1時間程度がんばります。その後、10分程度小休止を入れるのです。それから、また集中力を蓄えて仕事に向かうのです。」

 

10分の小休止を、他の人が本当に入れているか否かは不明です。ただ、「そうするべきだ」というアドバイスだったのです。

 

『ちょっとした時に集中が切れて聞き逃したり』とありますが、『ちょっとしたとき』ではなく、一度集中力を使い切った後は、基本的に集中力は継続できないのです。

 

 

最後に

 

今回の記事は以上です。

次回は、この続きから再開です。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

torao596

 

はじめに

 

《 関連記事 》

 

今回は、上記関連記事の続きです。

それでは、どうぞ。

 

 

知覚推理について

 

【 検査結果 (再掲) 】

 

『知覚推理』は、絵や図など形を正確に捉え、構成や関係性を理解し推測していく、視覚的な情報処理能力の指標です。見たものの規則性や法則性を推測したり、見本通りに形を作ったりしていくことは非常に得意です。「こういう時にはどうすべきか?」というパターンを見出していくことや、ルールに従って物事に対処していくことに優れているでしょう。ただし、簡易なところでのうっかりミスがありました。出来たと思っても確認や見直しをするように心がけておくと良いでしょう。一方で、細部まで注意深く見ていくことに苦手さがあるようです。評価は平均内ではありますが、回答の内容を踏まえると、簡単なところでミスをしたり、できたりできなかったりとムラが大きく見られています。ちょっとした違いになかなか気づけなかったり、柔軟に視点を変えつつ注意深く見ていくことが苦手になりやすいでしょう。生活の中では、見落としや見間違いなどのうっかりミスが起こりやすいかもしれません。確認や見直しをするようにしたり、「他の人から見ると自分とは違うところが見えてくるかもしれない」ということを意識しておくと良いでしょう。

 

 

【 私見 】

 

たしかに、パターンを見つけ出して、そのパターンに乗っかって仕事なりプライベートなりを処理するということは、得意です。

 

ひとつの法則性や規則性を見出すことで、自分の欠点を補えるように努力してきました。他の人たちが、臨機応変にマルチタスクをこなしていくのをよそに、私はひとつの仕事に対して時間をかけて向き合い、何かしらの自分なりのパターンを見つけ出さないと仕掛かることができなかったのです。

 

ひとつのタスクに対して、このような有り様だったので、マルチに処理できるはずがありませんでした。

 

そして、ひとつのことに異常に集中するので、他のタスクに手を出そうとすると些細なところでつまづいてしまうのです。小さなミスを重ねやすいのです。それは実感してきました。

 

検査結果では「細部まで注意深く見ていくことに苦手さ」という指摘をもらっていますが、正確には、ひとつの作業が終わった後は、正直休息を挟みたかったのです。しかし、休む間もなく検査が継続されたので、集中力が持たなかったのです。

 

そのような中で、次のタスクに取り組もうとしても集中力が持たず、些細なところでミスを連発してしまうのです。

 

最後に

 

今回の記事は以上です。

次回は、この続きから再開です。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

torao596