マンガ『黒執事』はすでに11巻に達したでしょうか?


第一巻のころは、まだ単発の作品を集めたようなお話が多かったのですが、


「サーカス篇」


にいたって、物語は急速に奥深いものとなります。あのサーカス篇は、悪役の


「ケルヴィン男爵」


の美的なものにあこがれる傾向が焦点なのですが、この心理的描写はとても深い。


マンガのアトリエでも、議論がたくさん交わされたとのこと。


僕が好きなキャラクターは、フィニなのです。


あの子供特有の素直さが大好きです。


自分に一番似ているのは、ソーマ王子かな?


ソーマ王子を見ていると、なんだか自分を見ているようで、すぐに目をそらしてしまいます。


まあ、王子でなければ、社会的適応のできないタイプですね。


じっさい、双極的障害Ⅱ型をわずらっている僕が社会的適応ができないのは当たり前ですが・・・


いまの11巻は、豪華客船篇です。


死人が生き返ってゾンビとなって人を襲う。


そこで、新しいタイプの死神が登場し、悪魔セバスチャンと争う、というのが、「予告編」でわかる唯一のところ。


でも、死神が登場するからと言って、セバスチャンと闘うという必然性がわからない。


死神が登場する理由は、たぶん、ゾンビという存在が、魂を刈り取られていないと死神界?が判断したからでしょう。


ならば、死神とセバスチャンは、協力しあいこそすれ、闘う理由はないはずです。


それに新しいタイプの死神は、あまり仕事熱心のヒトとは思えない。


だから、セバスチャンと闘う理由というのは、ますますないように見える。


だからこそ、6月?に刊行予定の字巻を楽しみにしているのです。


さあ、、どんな物語が展開されるのでしょう。ああ、楽しみ楽しみ。

5月半ばにして、ようやく完全にうつ状態から脱しました。


冬はうつ状態。夏は軽い躁状態。


ところがこの軽い躁状態というのが困るんですよね。


というのは、僕の躁状態というのは、「ハッピー!!!」という感じの躁ではなくて、


「ちょっと怒りん坊」


になる躁状態だからです。


だから、いままで何人の人に迷惑をかけたことか?何人の人を怖がらせたことか!


ごめんなさい。


したがって、今は、お薬のメニューはこんな感じです。


デパケン×800ミリ

リーマス×400ミリ

セロクエル×1錠

ジプレキサ×1錠


といった感じ。


セロクエルとジプレキサは、怒りの「妄想」を抑える働きがあるから処方されているのだと思います。


そう、躁状態の怒りっていうのは、「こいつは不正だ。敵だ!」というところから生まれます。


つまり、私憤もあるけれど、公憤がその怒りを助長するのです。


そこで、ドカン!と爆発してしまう。


このせいで、私は、大学から怒られました。


訓告という処分を受けました。懲戒処分でなかっただけ幸いです。


これからも同じことがあるんだろうな・・・


10年日記をつけることにしました。自分の心が、一年のうち、いつごろがおかしくなるか、ということを記しておくためです。これはいいですよ。試してみてください。

これからマルクスの『資本論』の解説をします。文字通り、資本論を第一巻の最初から読むのです。


ところで資本論の最初は、いろいろな版(※)からの序文とかあとがきから始まっています。じつはこういった序文等は、まず省略してみたいのです。


※『資本論』の主なバージョンとしては、ドイツ語初版(1867年)、ドイツ語第二版(1872年)およびフランス語版(1872年から1875年までにかけて刊行)といったものがあります。でもこれらの序文等は、まず本文を理解しないことには、わかりやすく理解できない部分もあるので、まず本文の最初から解説をします。


一字一句をゆるがせにせず、解説をします。そのつもりでいてください。


資本論は3巻で成り立っています。内容的には「三つの部」で成り立っています。したがって、はじまりは、第一部からです。


第一部の最初の章、つまり第一章の第一節では、次のように書かれています。


「資本主義的生産様式における富は、〝膨大な商品の集積〟という形態で現れる。したがって我々の研究は、商品より始まる」


まず、資本主義的生産様式、というムズカシイ言葉が出てきます。つまり「資本主義経済」のことです、と言いたいところですが、じつは、まった違います。


資本主義的生産様式とは「資本家風の生産のやり方」という意味なのです。


じゃあ、「資本家風」の生産のやり方ってなんだ、ということになります。それは、わかりやすくいえば、


「労働する人と雇用関係を結んで働いてもらう」


ということなのです。この点で、資本主義的生産様式というのは、他の時代の生産のやりかたとは決定的にちがいます。


たとえば、江戸時代の日本には、少数の例外を除いて、


「武士-農民」


という主従関係が存在していました。しかし、農民は武士に雇われていたわけではありません。


このつづきは、またあとで・・・