寅次郎雑記 -4ページ目

寅次郎雑記

主に日々の読書やニュースを見て感じることをとりとめもなく書き記すもの

 本日発売の週刊文春(6月25日号)で“少年A「手記」出版禁断の全真相”という特集が組まれていた。15ページもの大特集で、さらにグラビアでもモノクロ3ページを割いている。

 率直に言えば、分量の割に大した内容のないつまらない記事だった。まあ大きな話題になった事件であるし、手記は早速増刷がかかるほど売れているらしいので、いっちょがみしないわけにもいかないのだろう。

 作家や評論家、精神科医等6名が「私はこう読んだ」という感想文みたいなものを書いた6ページは特につまらなかった。

 それぞれ皆出版には否定的なのだが、それは良いとして通底しているのは前途だの矯正だの治療だの社会のサポートだの課題だのという、つまり元少年Aが「更正して真人間になる」ことを前提にした議論だということだ。

 現行法の制度下では犯行時に少年だったAは刑罰を受けることなく「矯正」を施され、社会復帰しているわけで、そうした前提が誤っているとは思わない。
 
 しかし、個人的にはあれだけの異常な罪を犯した人間が更正するとはどうしても信じられない。少年法の立法目的自体は理解できる部分もあるのだが、無差別殺人は「若気の至り」とは到底言えないだろう。殺人だけは余程情状の余地でもない限り成人と同じ扱いにすべきものだと思う。


 中でも一番失望させられたのは最初に出てきたノンフィクション作家の柳田邦男だ。冒頭から「混沌とした不安に満ちたこの国で、なぜ異様な少年凶悪事件が頻発するのか」ときた。

 柳田は支那事変が始まる前年の昭和11年生まれだが、昭和初期から戦後の混乱期に至るまで「異様な少年凶悪事件」はいくらでも起こっているし、少年ではないが昭和13年の岡山では犯罪史上空前の「津山三十人殺し」(津山事件)も起きている。

 柳田が犯行時のAと同じ年齢だった昭和25年の前後をざっと見るだけでも少年による殺人事件は頻発しているのだ。

 昭和24年・茨城県真壁郡
 「14歳の子守少女が3歳児と1歳児を絞殺。後にまた3歳児を絞殺しようとするも未遂」

 昭和24年・神奈川県小田原市
 「18歳少年が隣家の銭湯に押し入り、鉈と肉切り包丁で4歳児を含む家族5人を殺害

 昭和24年・東京都中野区
 「16歳(満14~15歳)少年2人が野球をめぐる口論の末に友人を鉈で滅多打ちにして殺害

 昭和25年・東京都品川区、渋谷区
 「19歳少年が連続殺人、うち1件は縛った男性の目の前で交際女性の頭部と首を滅多切り

 昭和25年・宮城県仙台市
 「18歳と16歳の少年が強盗。魚屋の夫婦を殺害し、店員に重傷を負わせ金品を強奪」 

 昭和26年・山形県東置賜郡
 「中学2年生男子14歳が隣家の4歳女児に柔道技をかけたり踏みつけるなどして殺害

(「少年犯罪データベース 異常犯罪」より)


 つまり柳田が「異様な」、「凶悪」と称するような少年事件は自分と同世代の人間も少年期に多数起こしていたということになる。

 なぜ「ノンフィクション作家」が誰でも少し調べれば分かることを知らないのだろうか?
 
 そもそも「犯罪統計」や「犯罪白書」を見たことがないのだろうか?

 まず「戦前の少年犯罪」や「反社会学講座」でも読んでほしいものだ。

 さらに柳田は衝撃を受けた点として「驚異的な記憶力」と「三島由紀夫やドストエフスキーのような文体」を挙げているのだが、「驚異的な記憶力」については手記に出てくる回想場面の記述が詳細であることから、「瞬間映像記憶能力と言おうか」と述べている。

 「少年A事件は重要な関心事であり続けた」とまで書いているにも関わらず、家庭裁判所が特例的に公開した精神鑑定結果にも登場する「直観像素質(直観像記憶・映像記憶)」という用語すら知らないことに衝撃を受けざるを得ない。

 ずいぶん昔に「マッハの恐怖」を読んだことがあるが、今後柳田の本を読むことはないだろう。


 文春の記事に多少読みどころがあったとすれば、元々Aから出版を持ちかけられていた幻冬舎の見城社長が執筆をさせつつ出版を見送って版元が太田出版に変更された経緯と現在のご遺族とA家族の状況位だろう。

 百田尚樹にあの「殉愛」を出させた見城氏が出版しないという決断をしたことには驚いたが、やはりそれだけの理由があった。同氏は「三つのハードル」として「本当に贖罪意識を持つこと」、「実名で書くこと」、「遺族に事前に挨拶をすること」を挙げていたが、そのどれもがクリアされなかったということなのだ。

 太田出版はかつて「完全自殺マニュアル」を手がけた役員が編集を担当し、社長とこの役員を含めて3人しか知らない極秘プロジェクトとして出版を準備したそうだ。情報漏洩を防ぐために取次にもタイトルだけを伝え、著者名は伏せていたという徹底振りで、発売当日に朝日新聞が報じるまで全く外部には漏れなかった。

 遺族や支援者は皆怒りの声を上げている。当然だろう。太田出版も批判を承知で刊行に踏み切ったのだから十分叩かれればいい。

 私はAの手記を読んでいないが、各種報道を見ているだけで読む必要はないという結論に至った。今後も手に取ることはないだろう。犯罪者心理の研究に資するような部分が多少なりともあれば良いのだが。

 Aは総額二億円という賠償金を一億数千万円残しているという。「今後、遺族側が印税を差し押える可能性も少なくありません」という支援者のコメントが取り上げられている。

 ぜひ実行していただくべきだと思う。




津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇 (新潮文庫)/新潮社

¥680
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戦前の少年犯罪/築地書館

¥2,268
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反社会学講座 (ちくま文庫)/筑摩書房

¥821
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犯罪白書〈平成26年版〉窃盗事犯者と再犯/日経印刷

¥3,084
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犯罪統計入門 第2版: 犯罪を科学する方法 (龍谷大学矯正・保護研究センター叢書 第4巻)/日本評論社

¥3,024
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 刊行から数年を経ているものが多いが、マスコミで喧伝される「治安悪化」や「少年犯罪の凶悪化」という神話が根拠のないものであり、本当の問題がどのような部分にあるのかを知るために有用と思われる書籍をご紹介したい。


1.累犯障害者 山本譲司 新潮社 2006年9月 単行本(2009年3月文庫化)

累犯障害者 (新潮文庫)/新潮社

¥562
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 著者は元民主党衆議院議員で、菅直人の秘書も経験している。二期目の衆院議員時代に秘書給与の詐取事件を起こし、一審で懲役1年6月の有罪判決を受け、控訴することなく服役した。

 同時期に同容疑で逮捕された社民党(当時)の辻元清美とは奇しくも早稲田の同ゼミ生らしいが、見苦しく立ち回った彼女とはかなり違う真摯な人柄が感じられる。

 山本が刑務所の中で見たものは、微罪で服役する多数の痴呆老人、知的障害者、精神障害者、身体障害者たちだった。巷間叫ばれる犯罪の増加、凶悪化とその対策として進んだ厳罰化がもたらしたのは、本来かかるべき福祉の網からこぼれ落ちてしまった人々であふれる刑務所だったのである。

 出所後、世間を大きく騒がせた下関駅放火事件レッサーパンダ男の女子大生殺人事件等を含め、知的障害者や身体障害者が起こした複数の事件を取材し、ショッキングな現実を伝えている。

 万引きや無銭飲食で服役を繰り返す障害者はたいてい身内にも見放されていて、帰る場所もなく、出所後すぐに刑務所に戻ってくるという事実には絶望感をおぼえるが、最も衝撃的だった事実は、親子で知的障害者、親子で聴覚障害者という例が複数登場することだ。

 遺伝による先天障害のケースが本当にこれほどあるのだろうか。知的障害や聴覚障害の遺伝というのは、タブー視される優生学的な問題としても興味深い。

 なお、知的障害者や精神障害者の犯罪は一種のマスコミ・タブーとなっており、重大な事件でも、容疑者が障害者であると分かると、あらゆる報道が尻すぼみどころか尻切れトンボで立ち消えてしまう。加害者の人権は被害者の人権や再犯防止策を考えることよりも優先されるべきなのだろうか。

 マスコミの対応は全く逆の冤罪のケースですらほぼ同様で、足利事件の菅家さんが軽度の知的障害者であり、そのことが冤罪の大きな原因の一つであったという事実はほとんど報道されておらず、確認できた限りでは、新聞でこの事実を記事にしていたのは中国新聞(社説 足利事件 遅すぎた検察の「白旗」・2009年6月5日)だけだった。

 著者が指摘しているとおり、知的障害者や精神障害者が健常者に較べて犯罪を犯しやすいということは全くなく、むしろ、従順で人のいいなりになるタイプが多いのだろう。しかし、犯罪は犯罪として、動機、原因、可罰性について常に厳しく追求されるべきである。


2.犯罪不安社会 誰もが「不審者」? 浜井浩一・芹沢一也 光文社 2006年12月 新書

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)/光文社

¥799
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 共著者の一人、浜井は元法務省の官僚で犯罪者の矯正を担当しており、「犯罪白書」の執筆にも携わっていた。

 宅間守による大阪教育大付属池田小学校事件桶川ストーカー殺人事件等のいくつかのエポックを経て、犯罪の凶悪化・低年齢化が神話として一人歩きしていき、厳罰化や地域の防犯活動等のあまり意味のない対策が拡大した。統計的に見れば、いわゆる凶悪犯罪や少年犯罪は減少傾向にあるにもかかわらず、である。

 特に、子供が被害者の殺人事件はマスコミが非常に大きく取り上げるが、そのニュースバリューの高さは、逆に圧倒的に発生件数が少ないからだ。以下の部分が分かりやすい。

 “(前略)警察庁の犯罪統計にもはっきりと、子どもが殺害される事件が減少していることが示されている。たとえば、昨今、メディアで問題になっている小学生が殺害される事件であるが、一九九〇年以前と比較して大幅に減少したまま安定している。最も多かった七六年が一〇〇人、八二年は七九人、それ以降、目に見えて減少し続け、〇五年は二七人である。”

 “しかも、殺人事件の統計は未遂を含むものであること、さらに子どもが殺害される事件の大半は家族などによる虐待であることを考え合わせると、見知らぬ不審者に命を奪われた小学生の数は、実際はほとんどいないというのが現実なのだ。”

(第3章 地域防犯活動の行き着く先 P.181より)
   

 また、冒頭で出てくる浜井とある刑務官との会話が、今の世の中の空気をよく表している。


 “「最近いやな事件が多いですね、日本はどうにかなってるんですかね
 
  「目の前の受刑者を見ていて、本当にそう思う?」

  私がそう問い直すと、初めて、

  「あっそうですね、そういえば、年寄りと病人や外国人ばかりで、おかしいですね」

 という返事が戻ってきた。

 治安の最前線にいる刑務官ですら、メディアの影響を強く受け、目の前で起きている事態との落差に気がつかないのである。それほどまでに治安悪化という「神話」が強固に刷り込まれていることに私は驚きを禁じえなかった。”

(はじめに P.8より)



3.加害者家族 鈴木伸元 幻冬舎 2010年11月 新書

加害者家族 (幻冬舎新書 す 4-2)/幻冬舎

¥799
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 我が国では、犯罪被害者のケアや補償が信じがたい程遅れていたという事実はこれまでにも指摘されて来た。

 しかし、一方では、加害者家族も地獄を見ているのだという現実に気づかされる、これまでになかった視点が新鮮である。

 世間を騒がせた重大事件の犯人家族は自殺に追い込まれた者もあり、実に悲惨なケースが多い。

 中崎タツヤの漫画「じみへん」に登場する、“犯罪者の家に投石をする群衆”というステレオタイプな表現は、決して大袈裟ではないのだと思い知らされた。

 「親の顔が見たい」という決まり文句に象徴される、行き過ぎた世間の目という日本社会の暗い面にも気づかされる。


「よりぬきじみへん【20世紀版】」より

よりぬきじみへん―20世紀版 (ビッグコミックススペシャル)/小学館

¥977
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4.報道被害 梓澤和幸 岩波書店 2007年1月 新書

報道被害 (岩波新書)/岩波書店

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 松本サリン事件の被害で重態となった妻を、意識が回復しないまま2008年に亡くしてしまった河野義行氏は、あろうことか当初容疑者扱いの報道をされてしまった。警察の不手際も原因の一つだが、大手マスコミの「暴走」とも言える杜撰さで過酷な状況に追い込まれてしまったのだ。

 彼は挫けることなく戦い続け、ついにマスコミに謝罪・訂正をさせることに成功した。しかし、失ったものに対する償いとしては到底十分なものではなかった。しかも、誰もが彼のような不屈の闘志を持ち続けられるわけではない。

 一度こうした報道をされてしまうと社会的な地位を失い、名誉の回復は非常に難しいことが豊富な事例で語られている。著者は弁護士で、報道による被害者のために活動しているため、実体験としての集中豪雨の様な報道の恐怖がよく伝わってくる。

 個人的にも、経済犯罪等の容疑で逮捕された会社経営者等が無罪や冤罪であったにもかかわらず、ネット上で過去の報道を目にした金融機関から突如取引を打ち切られたという複数の例を人伝に聞いたことがある。

 残念ながら、現実の報道被害というのは「狙われたら最後」というしかないような状態で、「社会的な抹殺」を意味しており、被害の回復は著しく困難なケースが大半のようだ。これは一種の「魔女狩り」なのではないかと思ってしまう。
 
 速報性が命の報道が誤報を100%防ぐことはできないとしても、誤った場合の対応には何らかの厳しいルールが必要なのではないかと考えさせられる。

 さらに、情報が残り続けてしまうネットに対しては、昨今話題の「忘れられる権利」の適用が進むことが望ましいのではないだろうか。

仏当局、グーグルに全世界での「忘れられる権利」適用を指示
(2015年6月12日 ロイター)
http://jp.reuters.com/article/technologyNews/idJPKBN0OS0RM20150612



5.戦前の少年犯罪 管賀江留郎 築地書館 2007年10月 単行本

戦前の少年犯罪/築地書館

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 マスコミがつくりあげた世間一般のイメージとは正反対に、我が国の現在の治安状況がいかにすばらしいものであるかがわかる。そう遠くない過去の日本社会は、今とは比較にならないほど殺伐としたものだったのだ。

 親殺しも子殺しも少年犯罪も、実は道徳も地域コミュニティもしっかりしていたとされる時代の方が圧倒的に多かった
ことがよくわかる。

 膨大な過去の新聞報道をまとめたすばらしい労作ではあるが、ペンネームを含めて著者がふざけすぎと感じる。

 正直に言えば、別の著者・出版社で出して欲しかった内容である。
 “権威が近くにいるかどうかは、実際の場面で言うと、戦地での兵士の服従度に明らかに影響をあたえる。じつのところ人の良心は、殺すことにたいして驚くほどしっかりと一線を引いている――人間は本来戦争が好きなのだと考える人たちには、意外だろうが。正常な人はこの特徴が非常に強いため、軍事心理学者はそれを取り除く方法を考えねばならない。たとえば、軍部の専門家はすでに知っているが、兵士たちに確実に敵を殺させるためには、権威者が部隊に同行して命令を下す必要がある。さもないと、戦場の兵士たちは殺せという上官の命令にたいして「ずる」をし、わざと的をはずしたり、発砲しそこなったりして、良心が命じる最も強い禁止事項を守ろうとする。”

 “S・L・A・マーシャル准将は、第二次世界大戦の太平洋戦域について記録を書き、のちに同大戦のヨーロッパ戦域にかんする公式記録も残した。彼は第二次世界大戦での多くのできごとを書き残した中で、ほとんどの兵士が、司令官に目の前で命令を下されたときは銃撃をおこなったが、司令官がいなくなると、銃撃の割合はたちまち十五から二〇パーセントのあいだまで低下したと述べている。マーシャルは、撃てと直接命令されない区域にいる兵士たちにきわめてほっとした雰囲気があったのは、「そこが安全だからというより、そこでは人の命を奪うことを強要されない安堵感の方が強かった」と述べている。”

良心をもたない人たち」文庫版(マーサ・スタウト 2012年 草思社)P.93-94より
(太字は原文では傍点、傍線は引用者)


 ルイ16世を処刑したシャルル-アンリ・サンソンは、世襲の処刑人であるサンソン家の四代目当主であった。地位もあり所得も高い身分でありながらも、同時に強い差別にさらされてもいたことを、「死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 」(安藤正勝 2003年 集英社新書) で知った。職業といえども、人の命を奪うことについては、やはり強い禁忌の感情があったのだ。その根底には、マーサ・スタウトが書いているように、「良心が命じる最も強い禁止事項」があるのだろう。


 また、我が国の死刑執行方法も、この禁忌を原因とすると思われる制度になっているようだ。拘置所で行われる執行は、官吏がボタンを押すと、ロープを首に巻き付けられた死刑囚が立っている絞首台(刑壇)の底が抜けるしくみになっていて、そのボタンというのが一つではなく三つか四つあるらしいのだ。どのボタンが実際に機能するかが分からないことで、良心の呵責を分散し、低減させるための智慧なのだろう。


 外国で行われる銃殺刑についても、似たような話を聞いたことがある。現在でも支那や中東など、銃殺に拠る死刑を行なっている国や地域がいくつもある。映画などではなく、実際に行われた銃殺の動画をいろいろと見たことがある。大抵の場合、銃撃を行う執行者は複数人いる。これはもちろん、確実に処刑を完遂することが主たる目的なのだと考えられる。また、急所を外してしまったりして必要以上の苦痛を与えることを避けるためでもあるかもしれない。

 そして、これが重要だが、複数で銃撃することにより、「致命傷を与えたのは自分の弾丸ではない」と考える余地ができるのではないだろうか。加えて、処刑に使われる複数の銃に込められた弾薬には空砲が混ぜられているケースがあるという。これは、やはり「殺したのは自分ではないかもしれない」と考えられる余地を残すことで、良心の呵責を低減させるシステムなのだろうと思う。


 しかし、これほどまでに強い良心が全く機能しなくなることもある。例えば、前記の「良心をもたない人たち」にも言及されているように、テロリストや連続殺人鬼のような存在に対しては、良心を持つ人々でも、本来殺してはいけないはずの「人」とみなさないようになる。

 我が国の世論調査では「死刑賛成」が長きに渡って大多数を占めて(最新の調査でも「容認」が80.3%)いる。この事実が示しているのも、良心が命を奪うことを規制する対象ではなくなる者が現実にいるということだと思う。岡村勲という弁護士はいわゆる「人権派」であったが、妻が殺人被害者となったことで、死刑賛成派に転向した。本人が「妻を亡くして、初めて常識に立ち戻れたのだ」(「Voice」2008年6月号)と述べているが、なんという想像力の欠如だろうか。


 そして、引用した戦場での話とは正反対の、さらに劇的な例がいくつもある。我が国のテレビでは、いつの頃からか、人間の死体を映すことが禁忌となっているのに対し、海外のテレビでは特にそのような規制はないようだ。あまりにも凄惨なケースについてはある程度配慮されていることがあるものの、「人間の死体を映してはいけない」というルール(自主規制)は存在しないように思われる。

 我が国においては阪神大震災東日本大震災の報道においてすら、全くと言っていいほど死体がテレビ画面に映し出されることはなかった。これは、技術的にも難しく、異常に手間がかかることなのではないだろうか。そして、一種の情報統制や事実の隠蔽に当たる可能性があるように思われる。事故や災害などで人が死ぬということは、毎日のように起きている現実なのであり、できるだけあるがままに伝える方が、事故防止や防災、防犯の意識を高めることにつながるのではないかと思う。

 話が逸れてしまったが、インターネット上ではありとあらゆる種類の動画が配信されている。海外のテレビが取り上げたニュース映像だけでなく、一般人が撮った映像ももちろんあり、果ては軍事組織から流出したと思しきもの、テロリスト、反政府武装勢力、犯罪組織などがプロパガンダのために流しているようなものまである。内容としては殺人、暴行、強盗、自殺、喧嘩、抗争、いじめ、戦闘、処刑などなんでもありだ。

 その中で、個人的にとりわけ強く関心を引かれるものがある。それは、「Mob Justice(モブ・ジャスティス)」だ。「暴徒による正義」とでもいうような意味で、犯罪者などを群衆がリンチして、多くの場合死に至らしめるものである。

 南米やアフリカ諸国でのものをよく目にするのだが、特に衝撃を覚えるのは殴る蹴るの暴行を加えて半死半生になった容疑者(と目された者)に火をつけて焼き殺すリンチだ。直接ガソリンをかけたり、首にガソリンを満たしたタイヤをかけ、点火する。動画がインターネットで流れるものだけでも数多くあるのだから、毎日のように世界の何処かではこうしたことが行われているのだろう。

 南米の麻薬組織の抗争では、生きたまま四肢を切断したり生皮を剥ぐなどの更に凄惨な方法も用いられているが、これらは対立組織や治安組織に対する示威行為の要素も大きく、一種のデモンストレーションとも考えられる。しかし、「Mob Justice」の主役は一般的な民間人である。


 最近もインドでの事件報道があった。

レイプ容疑者をリンチ殺人―インドで群衆が暴徒化
(2015年3月・AP通信)
http://jp.wsj.com/articles/SB11167655035836774773204580501522494183534


 本当に恐ろしいのは、直接暴行を加えている者に「良心の呵責」など全く感じられないことだ。彼らにとって処刑の対象となる者たちは「人ではないもの」、「排除すべき悪」なのであって、正義を執行しているつもりなのだろう。それどころか、その他の群衆が歓声を上げて支持していることも多い。もちろん、その中には女子供だっているのだ。法の支配が確立された国家においてすら完全には防げない冤罪の可能性を考えると本当にゾッとする。


 おそらく、このようなことは有史以来繰り返されてきたのであり、共同体へ害をなすもの、脅威となるものを排除する正当な権利であって、紛れもなく「正義」なのだろう。過去を考えれば我が国だって例外ではない。有名な関東大震災時の朝鮮人虐殺もそうだ。

 米国で数十年前まで多発していた人やインディアンへのリンチ殺人は、さらに明確な差別感情に基づくものかもしれない。ビリー・ホリデイが「奇妙な果実(Strange Fruit)」を歌い始めたのは日米開戦よりも前だが、それから80年経ってもリンチされた黒人が木に吊るされる事件はなくなっていない。そもそもインディアンを虐殺しながらの西進を「フロンティア」と呼び、はるかアフリカ大陸から拉致して来た黒人を奴隷として使役してきた国なのだ。


 ほとんどの人間が良心を持っていることは間違いないし、素晴らしいことだと思う。しかし、サイコパス反社会性人格障害者でなくても、様々な局面でそれが機能しなくなることがあるのであって、それどころか「正義」と信じて行うことは、むしろ良心すらそれを支持する側に回っているとしか考えられず、人間の底知れぬ恐ろしさを覚えずにはいられない。


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死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)/集英社

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いささか古い記事だが、これは面白かった。

チンパンジーの暴力性は「生まれつき」、従来説を否定 研究
2014年9月18日 AFPBB
http://www.afpbb.com/articles/-/3026257


個人的にはとてもすんなり受け入れられる研究結果だ。人間に最も近いとされる霊長類とはいえ、野生動物の生態がそれ程簡単に人間に影響されるとは考えにくい。


チンパンジーが、特にその成獣が凶暴であって、一種の猛獣であるという事実は比較的知られていると思うが、それが人間のせいだという説があるのは記事を読むまで知らなかった。


人間の影響で攻撃的な側面が強まったという主張には、おかしな人権思想に通じる不自然なバイアスを感じる。知的障害児が天使だという主張に覚える違和感に近いかもしれない。これらは結局、「こうあって欲しい」という予断でしかないのではないか。


実際には、「チンパンジーの殺害の大半は、人間によるあらゆる種類の侵害行為の影響が最も少ない東アフリカ地域に生息する群れで発生していた」というのだから痛快だ。


グループで結束して別の群れを襲う。そして、「殺されるのは通常、遺伝的に関連のないライバルの雄と子どもだった」ということは、この襲撃は本能的な生存競争以外のなにものでもないだろう。


ライオンやハヌマンラングール等の動物が「子殺し」を行うことがあるのは有名だ。群れのボスが交代した際に、新しいボスが古いボスの子供を殺してしまうというものだ。


また、トドやセイウチ等の海獣は闘争に勝ち抜いたオスがメスを総取りしてハーレムを形成するという。


これらも全て優秀な遺伝子を残そうとする本能に基づいているのだろう。リチャード・ドーキンスの言う「利己的な遺伝子」が為せる業か。


しかも、上記記事のチンパンジーの場合、「ライバルの群れを壊滅させるために殺害行為に及び、縄張り、繁殖相手、水や食料などを獲得する」そうなので、兵器を用いないこと以外、ぞっとするほど人間に似ている。


キリスト教的価値観の影響で、様々な動物種に見られるホモセクシャルの研究がタブー視され、黙殺されて来たという話を聞いたことがある。それと同じく、宗教やイデオロギーの影響であるがままの自然が見えなくなっていることが、他にも多くあるのではないだろうか。


チンパンジーは組織的な暴力性を持つのだから、やはりそれだけ人間に近い種なのだろう。人間の戦争も究極の原因は本能だと思う。チンパンジーの戦争本能は、人類の進化の歴史を研究する上でも大きく参考になるに違いない。



取り上げた記事と全く関係ないが、チンパンジーで思い出した動画を一つご紹介したい。

Movie: Masking task (Ayumu, 9 numerals)



京都大学霊長類研究所が公開している実験映像だが、知能が高いチンパンジーは数字の概念を理解し、順番を正確に判断できることが分かる。さらに、人間よりも優れた直観像記憶(映像記憶・Eidetic memory)の能力を持っており、一瞬で多くの数字を記憶することができるのだ(詳細は同研究所のサイトをご覧いただきたい)。


直観像記憶のような短期記憶の能力は野生で外敵を発見したり、餌を見つけるのに役立つのだろう。人間が木から降りて二足歩行を始めた際にこの能力を捨てた(失った)という説もあるようだ。


Wikipediaによれば、「ヒトでは幼少期にこの能力は普通に見られ、通常は思春期以前に消失する」らしい。よく話題にされるのはサヴァン症候群の人が優れた直観像記憶能力を持つケースだろう。


裸の大将」シリーズで有名な山下清は幼少期に生命の危機に陥り、その後遺症で知的障害を負ったが、驚異的な直観像記憶者で、サヴァンであった可能性が高いと言われている。福祉施設を何度も脱走しては全国を放浪し、連れ戻されてから記憶を頼りに多数の貼り絵を制作している(つまり、放浪先の各地で貼り絵を制作しているというのはテレビドラマの演出らしい)。

また、サヴァンではないが、神戸連続児童殺傷事件の犯人「少年A」も精神鑑定の結果、直観像素質者であったことが判明している。


このチンパンジーの実験を元にしたと思われる「Human Devolution」というiPhoneアプリのゲームがある。うまくできればできるほどチンパンジーに近いという意味で、タイトルにDevolution(退化)と入っているのだろう。

数年前に出たゲームだが、何人かにチャレンジしてもらい、必死で良い結果を出した人に「できればできるほどチンパンジーに近い」と言ってあげて驚かれるのは面白かった。



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裸の大将遺作 東海道五十三次 (小学館文庫)/小学館

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裸の大将ヨーロッパを行く (1981年)/ノーベル書房

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名古屋市中心部のホームレスの3割に知的障害が疑われるという記事を6月13日付の共同通信が報じていた。

ホームレス、知的障害疑いが3割 名古屋市で調査
http://www.47news.jp/CN/201506/CN2015061301001096.html

過去にも何度か同様の主旨の調査に関する報道を目にした記憶がある。数年前に朝日新聞が「東京都心のホームレスの3割以上は知的機能に障害があるとみられている」という主旨で取り上げていたし、一昨年末にはNHKが「見過ごされた障害 なぜホームレスになってしまうのか」という特集番組を放映していた。

都度、「やはりそうか」と思う。子供の頃、浮浪者(ホームレスという言葉はなかった)を見て強く感じた疑問があった。それは、「この人達をお風呂に入れて、散髪をさせて、きれいな服を着せたら普通の大人になるのかな?」というものだ。

よく覚えているので、何度か考えたことがあったのではないかと思う。結論としては、「どうしてもそうは思えない」だった。なんとなく子供心に、知能か精神が正常域にないという印象を受けていたのだろう。実際に上記の朝日記事では、都心のホームレスの3割超が知的障害、4割超が精神疾患としていた。

世界的に見て、知的障害者の割合は人口比で2~3%とされている。これは、先進国であるかどうかや民族によってもあまり差異がないものらしい。一クラスが40人とすれば、だいたいクラスに一人はいる計算になる。

ところが、平成26年度の「障害者白書」によると知的障害児と知的障害者の総数は推計で74.1万人であるという。わが国の人口が1億2700万人であるとすれば、人口比では0.6%未満である。

この数字だけを見てしまうと日本だけが極端に知的障害者が少ないと捉えてしまうかもしれない。しかし、それは考えにくいことだ。寧ろ、知的障害であると診断される人よりも診断から漏れている人の数が圧倒的に多いのではないかという疑念が湧く。

NHKの特番に登場した女性ホームレスも「5年前、自分に軽度の知的障害があることを初めて知った」と話していた。


障害者に関する書籍で、大きな衝撃を受けたことがある。2006年に刊行された「累犯障害者」だ。著者の山本譲司は社民連時代の菅直人の秘書も務めたことがある民主党の元衆議院議員で、2000年に政策秘書給与の詐取事件を起こし、東京地検特捜部に逮捕された。

後に同様の容疑で逮捕された社民党(当時)の辻元清美が「ワークシェアリングをしていた」と言い訳するなど見苦しく立ち回った(執行猶予付有罪判決が確定)のに対し、山本譲司は一審での懲役1年6月の実刑判決に控訴せず、栃木県黒羽刑務所に服役した。

刑務所生活における経験(障害を持つ多数の受刑者との出会い)を元に「累犯障害者」を著すことになるのだが、その内容はショッキングだ。知的障害を持つ服役者が身元引受人もないまま刑務所を満期出所しても、万引きや無銭飲食などの軽微な罪を犯して塀の中に戻るか、そうでなければホームレスになるしかない現実が描かれている。

著者本人の言を借りれば「福祉の網から漏れてしまった障害者」の悲惨な末路だ。知的障害と診断されずに福祉の対象になることができない人が数多存在するであろうことが同書でも指摘されている。

その他にも世間を騒がせた「レッサーパンダ帽男殺人事件」や「下関駅放火事件」等の犯人のエピソードもあり、その動機や経緯は実に驚くべきものだ。壮絶ないじめや家族の苦しみ等目を背けたくなるような話も多い。そして、親子揃って知的障害者、聴覚障害者という事例も複数登場する。

チームバチスタの栄光」の著者で、医師でもある海堂尊が「死因不明社会―Aiが拓く新しい医療」で「日本の自殺者は年間3万人どころではなく、10万人いるのではないか」と指摘していた。その根拠は年間15万人程の変死者のうち、司法解剖や行政解剖の対象となるのは9%台でしかないことだ。残りの14万人近くの半数の死因が自殺だと仮定すれば、年間自殺者は一気に7万人増えてしまうというわけだ。

海堂が指摘している自殺者数と同様に、統計に呈されている疑問はいろいろとあるようだ。交通事故死者が減った理由の一つは統計の取り方が変わったからだとか平均寿命が世界最高の理由は死亡届が出ていない人や胃瘻等で生命を維持されている人が多数いるからだという説がある。これらがどこまで正しいのか不明だが、事実をできる限り正確に知りたいとは思う。

身体障害者が福祉の対象から漏れてしまうことは考えにくいだろう。「見れば分かる」障害だからだ。しかし、軽度から中度の知的障害の場合は、その相当数が見落とされてしまっている可能性が高いのではないか。

そして、こうした漏れを解消することこそが福祉に求められており、山本譲司は現在ホームヘルパーとして勤める傍らで福祉の改善のための活動もしているらしい。

福祉の拡充が求められること自体は正しいと思うが、そのためには当然財政的な基盤が必要である。

仮に全ての知的障害者を捕捉できた場合、福祉はきちんと対応できるのだろうか?



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