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寅次郎雑記

主に日々の読書やニュースを見て感じることをとりとめもなく書き記すもの

神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)の犯人「元少年A」の手記が刊行されて話題になっている。

ご遺族は「何故、このように更に私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できません」、「私たちの思いを踏みにじるものでした。結局、文字だけの謝罪であり、遺族に対して悪いことをしたという気持ちが無いことが、今回の件で良く理解できました」とコメントし、出版中止と回収を求めている。

「思い踏みにじられた」 神戸連続児童殺傷事件の遺族、土師守さん 「元少年A」の手記出版中止を求める
(2015年6月15日 産経WEST)
http://www.sankei.com/west/news/150610/wst1506100047-n1.html

当然の心情だろう。訳もなく小学生の子供を友人であった犯人に殺害され、切断された首を中学校の校門に晒されまでしたのだ。


土師淳君殺害事件が起きた1997年5月は、私が新卒社員として就職した直後だったことを覚えている。猟奇殺人としてかなり大きな話題になっていた。

逮捕後の7月には「FOCUS」が少年Aの顔写真を掲載し、「週刊新潮」も目隠し入りの写真を掲載した。法務省からは回収勧告が出され、キオスク等の駅売店は販売を自粛した。そのため普段週刊誌を購入していた売店で入手できなかったが、道玄坂の途中にある小さな書店には普通に売られていた。

その頃テレビに出ていたコメンテーターの殆どが愚にもつかぬ頓珍漢なことばかり言っていて強い違和感を覚えたものだ。「ニュータウンが悪い」とか「高い知能を感じさせる声明文に衝撃を受けた」とかバカバカしいことをペラペラしゃべり続けていた。

当初は犯人像が分からず、少年が逮捕された時は衝撃だった。犯人の声明文の内容も断片的にしか報道されておらず、映像はなかったし、「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」というペンネーム(?)も「さけ・おに・ばら」と伝えられていたからだ。

しかし、後に公開された声明文を一目見るだけで、犯人が子供であることは瞭然である。筆跡を消すために直線的に書かれた文字も稚拙なものであったし、Schoolという文字のスペルが間違っていたり、少年漫画やゲームに影響を受けたような表現に溢れていたからだ。

たった一人、精神科医の小田晋(故人)が「典型的な快楽殺人」と早くから喝破していたのは流石だった。翌年2月刊行の文芸春秋(1998年3月号)に革マル派が盗み出した犯人の検事調書が掲載され、「殺害時には射精していた」という犯人の供述が明らかになった。

この検事調書が文春に持ち込まれた際、掲載の是非を相談されて「どんなことがあっても掲載すべき」と主張したのが立花隆である。

立花というだけでジャーナリストとしての判断というよりもただの「エログロナンセンス」趣味による主張としか思えない。文春にしても恐らく革マル派に金銭を支払っているだろう。

実名や本人を特定できる写真を載せてはいけないという少年法の規制に対し、重大事件の際には「社会に与えた影響」がどうとか御託を並べて「ジャーナリズムの使命」を強調したがるのが週刊誌等の雑誌だが、そんなことはどうでも良くて「罰則もないし、ただのビジネスチャンスとして決断した」と言えば良いのだ。

実際、刑罰の対象となったり損害賠償訴訟を提起されるようなリスクがない点で「少年犯罪者の実名報道・ガン首掲載」は「著名人の批判報道」よりもよほど「おいしい」ネタだろう。

写真週刊誌「FOCUS」刊行の際に「人殺しの顔を見たくはないのか」と言った新潮社の斎藤十一の方があからさまで好感が持てる。

文芸春秋の調書掲載に対し、後に小林よしのりは「ゴーマニズム宣言」で「遺族の心情を考えれば公開はありえない」と激怒していたが、その感覚は正しいと思う。

この事件は衝撃的であったので、週刊新潮もFOCUSも文芸春秋もその他の雑誌も手当たり次第に読んだものだ。お父上や犯人の母親の手記も読んだ。

しかし、長い時間が経過した今、犯人自身の手記についてはご遺族の心情を考えると、手にするのが躊躇われる。

どうやら元少年Aは生活に困って手記の出版を決意したらしいが、遺族に鞭打つような行為は決して正当化できないだろう。


少年による殺人も猟奇的な殺人もずっと昔から変わらず続いている。では何が変わったのか?

それはマスコミの報道姿勢だ。殺人事件自体が減少傾向にあるので、逆説的だがニュースバリューが大きくなっているのだ。

殺人よりも遥かに死者が多い交通事故はひき逃げや引きずり等よほどドライバーが悪質であったり被害者が多かったりしなければ殆ど報道されない。自殺に至っては著名人であるか、子供であるか、よほど凄惨な場合以外は完全にニュースにならない。

そして、神戸連続児童殺傷事件が衝撃的な事件であったことには変わりがないが、社会に原因を求めるような論調は完全に誤りである。

いつの時代にもどの社会にも異常者は一定の割合で存在しているのであり、こうした事件がなくなることはない。できるだけ被害を避けるための議論は大いにあってよい。

それでも、「治安の悪化」や「少年犯罪の凶悪化」等という誤った認識で語ることはその目的には全く役に立たないだろう。