寅次郎雑記 -3ページ目

寅次郎雑記

主に日々の読書やニュースを見て感じることをとりとめもなく書き記すもの


書店が好きだ。特に大型書店が大好きだ。といっても、なんでも良いという訳ではなくて、三省堂紀伊国屋丸善なんかが好みだ。有隣堂ブックファーストでもいい。蔦○書店文○堂あ○い書店しかない街は少し気持ちが萎えてしまう。


用がなくてもしょっちゅう書店に立ち寄ってしまい、読みきれないほどの書籍を購入してしまう癖が昔から直らない。


それなりの速度で読んではゆくのだけれども、物理的に流入量が上回っている時期も多い。


文庫や新書が好きだ。理由は単純で、小さいからだ。ポケットにも入るので、重宝する。


鞄を持つのが嫌いで、極力手ぶらでいたいのだ。だいぶ以前に「手ぶら不安症候群」なる言葉を聞いた時は、「自分の場合は"手ぶらじゃないと不安症候群"だな」と思ったものだ。


女性は化粧品や諸々を持ち歩く必要があるだろうし、財布や携帯電話を入れるようなポケットのない衣服も多いので、簡単に手ぶらという訳にはいかないだろうが、男性なら共感してくれる人もいるのではないだろうか。


文庫は古典なら問題ないけれど、最近刊については新刊本の数年遅れになってしまうので、近頃は新書の方が高い比率を占めるようになった。


昔は新書といえば岩波中公だったが、今や聞いたこともない出版社まで新書を出しているので、玉石混交どころか駄本の方が圧倒的に多いような気がしている。それでも、場所を取らずに手軽に読めるので、新書コーナーを眺めては、気になるタイトルのものを捲ってみて、面白そうなものを購入している。しかし、失敗も皆無ではないので、そういう場合は読むのを放棄する。


電子書籍もよく買ってしまうものの、やはり紙の本を凌駕する水準には当分至らない気がする。そして、我が国の電子書籍のお粗末振りは非常に嘆かわしい。様々なしがらみがあるのだろう。しかし、圧倒的な量の不足だけでなく、紙の本と変わらない価格のものも多いというのはとんでもないことだと思う。数年前、Kindleストア日本版がオープンした際に、洋書まで日本価格に値上がりしたのには心底驚いた。

それでも、現在の書籍価格は、昭和初期に廉価でブームになった「円本」よりも遥かに安いことには感謝すべきである。


さておき、数日前に5冊程購入した新書の中に、「出生前診断-出産ジャーナリストが見つめた現状と未来-」(河合蘭著・朝日新書・2015年4月)があった。

出生前診断 出産ジャーナリストが見つめた現状と未来 (朝日新書)/朝日新聞出版

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これが予想に反してなかなかの良著だったので、ご紹介したい。予想に反して、というのは朝日新聞出版の新書であるために、色眼鏡で見ていた予断を覆してくれた部分が大きい。


3年近く前に「“新”出生前診断」が話題になったことを覚えている方も多いと思う。「ダウン症候群(21トリソミー)」を始めとするいくつかの遺伝子異常を持った胎児の診断が、妊婦の血液検査で可能になったというもので、「精度99%」と報道されていた。


妊婦の血液でダウン症99%診断 来月にも国内で導入 妊婦血液で胎児のダウン症診断…国内5施設で
(2012年8月29日・YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120829-OYT1T00031.htm(リンク切れ)


精度99%の妊婦血液のダウン症診断 10月から臨床研究開始
(2012年9月14日・NEWSポストセブン)
http://www.news-postseven.com/archives/20120914_143276.html


この診断は正式には「NIPT(Non Invasive Prenatal Genetic Testing)・非侵襲型出生前遺伝的診断」というものだそうだ。


非侵襲型」というのは、母体を傷付けることなく行えるというような意味だ。これまでの確定診断である羊水検査や絨毛検査が妊婦の腹に針を刺して羊水や絨毛を採取する方法で行われるために一定の流産リスクがあったのに対し、この新型診断は流産のリスクなく、より精度の高い診断を可能にした部分が画期的ということらしい。


臨床研究として開始されたこの診断は、実施可能な施設が当初非常に少なかったこともあり、問い合わせが殺到したそうだ。もちろん、背景としては晩婚化による高齢出産の増加がある。


ダウン症児の出生、過去15年で倍増 全国調査から推計
(2014年4月19日・朝日新聞デジタル)
http://www.asahi.com/articles/ASG4L4R2MG4LULBJ00B.html



我が国よりも早くこの診断が導入された米国では、「胎児がダウン症だと知った98%の妊婦が中絶に踏み切っている」という衝撃的なデータを、検査法の開発会社であるシーケノム社の関係者が明かしている。


全米の病院 胎児がダウン症だと知った98%の妊婦が中絶する
(2012年10月5日・NEWSポストセブン)
http://www.news-postseven.com/archives/20121005_146893.html


そして、導入後の我が国でも、ほぼ同様の事態が起きているようだ。


新型出生前診断、異常確定のうち97%が中絶
(2014年6月28日・朝日新聞デジタル)
http://digital.asahi.com/articles/ASG6W6636G6WULBJ013.html


河合の著作「出生前診断」が良著であると思う理由は、国内外の医師や助産師や遺伝学者のみならず、多くの妊婦や障害児を持つ親、障害者団体等にも幅広い取材を行った上で、国情や宗教等の背景に基づく相違を含めて経緯や事実を伝えようという姿勢に貫かれていることだ。「出産ジャーナリスト」を名乗っているだけのことはあると思う。


そして、本人の主張に深く共感できるのは、医療過誤による訴訟を恐れる医学界や研究そのものを倫理的な悪として攻撃してきた障害者団体等に加え、事なかれ主義的な政府の対応に決定的に欠けていたのが、他ならぬ妊婦達に対する視点だと一貫して強調している部分である。


既に一般的な言葉になった「インフォームド・コンセント」が置き去りにされていた現実がある。「母体マーカー検査」という出生前診断には、その存在を妊婦に「知らせる必要はない」という見解が旧厚生省の専門委員会から1999年に出されたりしたこともあって、「出生前診断」自体を一種のタブーと看做していた医師も多いようだ。


反対に、妊婦検診の結果、「知りたくなくても知らされてしまう」事態が存在することにもきちんと言及されている。


日本の母体保護法には、胎児に障害があることが判明した際に堕胎を可能とする「胎児条項」がない。同法が認めている中絶は、強姦による妊娠を除けば“妊娠期間が22週未満”で、その“継続や分娩が身体的または経済的に母体の健康を著しく害するおそれのある”場合のみなのである(河合によれば、G20からEUを除いた19カ国のうち、胎児条項を定めていないのは日本、ブラジル、アルゼンチン、インドネシアのみとのこと)。


障がい等“胎児の問題”による中絶は法律で認められていない
(2012年9月19日・NEWSポストセブン)
http://www.news-postseven.com/archives/20120919_143294.html


それにも関わらず、現実的には「経済的」理由の拡大解釈で、胎児の障害を理由とする中絶は多数行われている


個人的にこのこと自体を責める気持ちは全くない。寧ろ、現実にそぐわない法律を改正すべきであろう。脱法的な運用を黙認することが正しい方法であるはずがない。


我が国にはこうした事例がいくつもある。「自由恋愛」のソープランドは売春ではなく、「3店方式」のパチンコは賭博ではなく、自衛隊は戦力ではないという運用になっているが、どれも詭弁だ。


ルールが間違っているならばルールを変えなければいけないのであって、屁理屈で例外をつくれば良いというわけではないだろう。


昨年、国会議員の質問に警察官僚が、「パチンコで換金が行われているなど、まったく存じあげないことでございまして」と答えたという報道があった。


パチンコで換金、警察庁「存ぜぬ」 課税狙う議員は反発
(2014年8月25日・朝日新聞デジタル)
http://digital.asahi.com/articles/ASG7X64YLG7XUTFK00X.html


知ってしまった以上、一斉摘発をすべきだろうに一向にそんな報道はない。官僚答弁に偽証罪はないのか?


話が逸れたが、「予想に反し」た理由をお伝えしておきたい。


朝日や毎日だけでなく、地方紙を含む左翼新聞はダウン症関連のニュースを積極的に取り上げる傾向がある。NIPTを最も多く扱っているのは朝日新聞ではないかと思う。それ自体が悪いわけではなく、同意できないのは、「命の選別」とか「いらない命」とか感情的な言葉を多用し、出生前診断自体を倫理的な悪として攻撃する姿勢が見え隠れすることだ。


当然ながら、取り上げる医師や有識者のコメントは言うに及ばず、読者の投書についてまでその方針に適うものだけを恣意的に選別している。河合は、海外の事例として「ダウン症児を産んで後悔している親も少数ながら存在している」事実も取り上げているし、上記にも引用したように米国でも我が国でも「胎児がダウン症だと知った妊婦の大多数が堕胎を選択している」現実があるにも関わらずだ。


そして、これまでに私が知っていた出生前診断を扱った書籍は左翼的な主張を持つ著者や出版社によるものが殆どで、朝日の論調に近いかより先鋭化させたものが多かった。

出生前診断―いのちの品質管理への警鐘」 (佐藤孝道著・有斐閣選書・1994年4月)
知っていますか?出生前診断一問一答」(優生思想を問うネットワーク著・解放出版社・2003年2月)
新型出生前診断と『命の選択』」(香山リカ著・祥伝社新書・2013年7月)
生まれてこないほうがいい命なんてない―『出生前診断』によせて」(岩元綾著・かもがわ出版・2014年2月)


このような書籍よりは

優生学と人間社会」(講談社現代新書・米本昌平他著・2000年7月)

優生学と人間社会 (講談社現代新書)/講談社

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の方がよほど社会的に有用である。ナチスの悪用によってタブー視されている「優生学」であるが、遺伝子研究の進歩により今後も議論されていくことは不可避だろう。


ナチスのような積極的駆逐までは至らずとも、我が国を含む多くの国が「断種」を行った歴史がある。優生学はその過ちも含めて倫理的問題とともに追究していかねばならないと思う。


倫理の問題は宗教時代背景国情によってもかなり違ってくるし、本来は大いに議論されるべきものだ。


しかし、出生前診断そのものを否定的に扱う書籍を刊行している著者や団体、出版社や障害者団体等が出生前診断自体を攻撃し、タブー化させてしまった部分があることは否定できない。議論を封じることによって失われてしまう「新たな可能性」もあるだろうに。


河合は「どうせ朝日の主張の代弁者だろう」という予断を裏切ってくれた。


日本ダウン症協会等の考え方についても新鮮に思える面があった。どちらかといえば新検査法であるNIPTの報道において、必要以上に対立を煽ろうとしていたのは報道機関の方だったようだ。


そもそも、NIPTを考案した医師の目的は胎児治療にあったこと、ダウン症児が知的障害になる原因が明らかになりつつあり、胎児治療によって改善できる可能性も研究されていること、堕胎について非常に厳しいバチカンも「治療を目的とするならば」という前提で出生前診断を認めるコメントを出していることについても知ることができた。


読了後、改めて思ったのは、朝日やそのシンパが好む「いらない命」というのが実に嫌らしい言い回しだということだ。「いる」「いらない」ではなく、

経済面も含めた負担に耐えられるのか

とか、

我が子より先にこの世を去るであろう親として、子の生涯に責任を持てるだろうか

とか、もっと現実的に考える人が大半だろう。生まれ来る我が子の身体も精神も知能も健常であることを願うのは、親として当たり前のことだ。問題は、残酷だが障害や異常を「どこまで許容出来るのか」ということでしかないように思う。


朝日の論調は泣く泣く堕胎を選択した妊婦を罰し、深く傷つけ続ける可能性すらある。


河合の「出生前診断」はこれから子供をつくりたいと願っている人にこそ多く読まれるべきだと思う。障害児を育てている人のコメントや支援団体や福祉制度の存在についても多くの紙面が割かれている。取り上げられている事実を十分に知った上で、それぞれの決断があるべきだろう。



わたしたちのトビアス (障害者を理解する本)/偕成社

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具体的な事件の内容は書けないので「傍聴記」は大袈裟だが、先日、ある刑事裁判を傍聴してきた。


民事裁判については過去に複数回当事者として経験しているものの、刑事裁判に触れるのは初めてだ。


特に大きく報道された事件ではない。知人が証人として出廷することになったので、興味半分で見に行ったのだ。


民事については、勤めていた会社が訴訟を提起され、管理部門の担当者としてしばらくの間東京地裁に通ったことがある。


また、反対に原告として訴訟を起こしたこともある。その訴訟自体はスムーズに勝訴したものの、債務名義取得後の債権回収の苦労は全く別物だった。


何度か民事訴訟を経験して思うのは、毎度悠長で気の抜けた感じでダラダラ続いて行くものだなあということだ。


毎月1回か2回位のペースで期日が設定されるのだが、公判はほんの数十分で終わり、次回日時の調整を弁護士同士で「その日は差し支えます」とか言い合ってのんびりとスケジュールを調整し、「ではまた次回」という感じで終わるのだ。


差し支えます」というのは要するに「都合が悪い」の法曹用語(?)らしいが、耳慣れない用法だった。


何度か期日を重ねた上で大抵は裁判官が原告被告双方に和解提案をして、条件闘争の後に和解成立、というのが民事訴訟では一番多い結末のようだ。


お互い突っ張りあっていれば、判決までにはずるずるとかなりの時間を要することもあるらしい。


被告会社の担当者として関わっていた裁判は、結果としてかなり有利な条件で和解に至った。その訴訟分野に強いという弁護士を紹介されて依頼したのだが、期待以上の働きをしてくれて驚いたのを覚えている。当然会社が支払った報酬もかなりの額になった。


その係争中にはいつ終わるとも知れない裁判に嫌気が差して途中からは殆ど弁護士任せになってしまった。


被告であるこちら側は裁判所からも足が遠のき、途中からは何か動きがありそうな時だけ顔を出すような感じになっていたのに対し、原告の大手企業側は毎回社員が4、5人も出廷していて驚いた。


和解条件の話し合い等で裁判官室に呼ばれた際には、人数が多すぎて椅子が足りず、先方は2、3人立ち見になっていたりすることまであった。


こちらは誰かが出廷しなければいけないという時に私と上司で押し付けあっていた位だったので、

この人たちは暇なんだなあ。こんな人数で半日潰して給料もらえるなんて良い会社だなあ。

とつくづく思ったものだ。



court



それはさておき、今回初めて刑事裁判というものを目の当たりにしてみると、やはり民事訴訟よりはかなり見応えのあるものだった。


異議あり! 誘導尋問です!」とか「質問の意図が不明です!」とか「静粛に!」みたいなドラマチックな台詞は一切なかったものの、民事裁判とは違って独特の緊張感を味わえる展開だった。


目つきの鋭い検事の尋問はとてもスムーズで引き込まれるものがあったし、裁判長はこれまでに見た中で一番「それらしい」威厳を感じさせる人物だった。それに対し、弁護団が行った反対尋問はかなりピントが外れた頓珍漢なもので、裁判長にまで「何が聞きたいの?」と突っ込みを受けていたほどだった。

かなりの人数の「大弁護団」だったにも関わらず、だ。

被告は取り調べ時からずっと容疑を否認しているのだという。多額の費用をかけたであろうこの大弁護団の存在が「徹底抗戦」を象徴していた。


しかし、午前、午後とほぼ丸一日がかりの公判には複数の証人が出廷し、一様に被告が有罪であるという心証を与える証言を行っていた。検察側証人なので当たり前と言えば当たり前なのだが、誰が見ても有罪は免れないという印象を抱いたのではないかと思う。


傍聴席は40~50名分でそれ程大きな法廷ではないのではないかと思うが、実際の傍聴人は更に少なく、最大でも10名程だった。


新聞記者と思しき人物1名と証人の関係者を除けば、傍聴マニアと思われる初老の男性が数名いただけだ。裁判が行われるのは当然ながら平日の昼間なので、余程話題にでもなっていない限りこんなものなのだろう。


続きが気になるので、次回以降も傍聴を続けたい気になったものの、そう何度も平日に出かけてはいられない。


次はもう少し話題になった事件を傍聴してみようと思う。



裁判長!ここは懲役4年でどうすか (文春文庫)/文藝春秋

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裁判長!これで執行猶予は甘くないすか (文春文庫)/文藝春秋

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無罪請負人刑事弁護とは何か? (角川oneテーマ21)/KADOKAWA/角川書店

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裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書)/幻冬舎

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 普段あまり電車に乗らない生活をしている。


 元々人込みが嫌いなせいもあるし、近年個人的に最も恐れているのが「痴漢冤罪」だということもある。少し古いが「それでも僕はやってない」は個人的ベスト3に入れたい位のサイコホラー(psychological horror)映画だ。


 以前ネット上で「痴漢冤罪を100%防ぐ方法」という書き込みを見つけたので、すぐに読んでみた。その内容は、

 「痴漢だと叫んだ女性の胸を掴め

というものだった……。確かに、「冤罪」は防げる。

 面白いジョークだが、役には立たなそうだ。防ぎたいのは「冤罪」の部分だけでなく「痴漢冤罪」なのだから。


 昨日、久しぶりに電車で移動する機会があった。目的地の出口に近い最後尾の車両に乗りたかったのだが、その車両が「女性専用」の時間帯だったため、一つ前の車両の後ろ側の端に乗り込んだ。


 そこは、片側が3人掛けのシルバーシートになっていて、その向かい側には座席がなかった。おそらく車椅子ベビーカー用のスペースなのだろう。最近はこの形の車両が増えているように思う。


 各駅停車だったためか、車内はそれほど混んでいなかったものの、座席はほぼ埋まっている状態だった。私は他人とあまり物理的に接触したくないので、本当にガラガラの時位しか座らない。


 そして、シルバーシートには座ったことがない。子供の頃から「自分が座ってはいけない席」だと思ったまま大人になってしまったのだ。おそらく老人になっても座らないだろう。


 座席のないスペースには誰もいなかったので、そのドア側の端に立って本を読み始めた。何駅か過ぎたところで、片足に爪先からひざ上まである大きなギプスをつけて、二本の松葉杖をついたサラリーマン風の男性が乗り込んできた。


 向かいのシルバーシートに座っていた3人もサラリーマンと思しき30代から40代位の男性だったので、当然松葉杖の男性に席を譲るだろうと思ってふとそちらを向いたのだが、驚いたことに3人共微動だにしなかった


 全員ほぼ同じ体勢でスマホをいじりながらもちらっとこちらを見て、松葉杖の男性に気づいたにもかかわらず、すぐに何事もなかったように画面に目を戻したのだ。


 シルバーシートの窓には「携帯電話の電源をお切りください」と書かれた大きなステッカーが貼られている。


 携帯電話の電磁波がペースメーカーに影響を与えることなどおそらくないだろう。しかし、ルールである以上守るべきだとは思う。良い大人が揃いも揃ってそのステッカーの真下でスマホを睨んでいるのは滑稽に思えた。


 よく見ると3人のうち2人は忙しなく指を動かして何か操作をしている。ゲームでもしていたのだろう。


 目の前にいる松葉杖の男性を明らかに視認したはずなのに、席を譲る素振りも見せなかった3人にムカッと来たので、つい睨んでしまったのだが、誰も顔を上げようともしない。男性も、シルバーシートに座ることは諦め、私の隣の壁に凭れるようにポジションを確保した。


 その後しばらく3人を見ていたところ、一人がスマホを鞄にしまったので、「お、やっと譲るのかな?」と思ったところ、目を閉じて寝始めただけだった。そして、次の何駅目かで停車したときに、3人の真ん中にいた男が降車するために席を立った。


 そこで、「やっと座れるね」と思ったのだが、丁度反対側のドアから乗り込んできた老婆が左右の男に頭を下げながらその空間に静かに収まった。


 残念、老婆なら仕方ないと思いながら、根を張っている左右の男への怒りを新たにした。その老婆は、腰掛けて数秒のうちに丁度正面に位置している松葉杖の男性に気づいた。そしてすぐに席を立ち、男性に座るように勧めた


 男性は恐縮して老婆に頭を下げながら、空いた座席にようやく座ることができた。老婆は座席の横のドアの方にゆっくりと移動していった。


 ここでもまた驚いた。老婆がシルバーシートを怪我人に譲るのを見ても、両脇の二人はまた微動だにしなかったのだ。一体何なんだろうこいつらは。これから出社するであろう会社の同僚や、家で待っているだろう家族にもこいつらの行為(不作為?)を知らせたいと思った。

え、怪我人にシルバーシートを譲らないもんなの?

お年寄りが譲ってるのに恥ずかしくないの?

と疑問が渦巻いている間に電車は目的地に着いた。


 別に「近頃は礼儀知らずが多い」なんて言いたい訳じゃない。「シルバーシートを譲らない若者がいる」なんて子供の頃から聞いていたし、反対に席を譲られて当然と思っている傲慢な老人や妊婦の話を聞いて頭に来ることだってある。


 それでも、昨日の電車内での出来事は非常に不愉快だった。


 マナーの悪い人間というのはどこにでもいるが、比率としてはせいぜい全体の数パーセント程なのではないかと思う。それでも、そういう人間はとにかく目立つので神経に障るのだ。


 世間の目はもっと厳しくてもいいんじゃない?



 それはそうとして痴漢の取り締まりにはもっと予算を割いても良いのではないかと思う。囮捜査でも監視カメラでも使ってどんどん摘発してもらっていい。


 もちろん取り締まり強化が冤罪量産になっては元も子もないので、できるだけ科学的な捜査を徹底してもらいたい。繊維の鑑定等は強力な証拠になるだろう。


 ごく一部の異常者である痴漢を駆逐できれば女性の恐怖とともに大多数の一般男性が怯える痴漢冤罪の恐怖も同時に消滅するのだから。


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 週刊文春6月25日号に出ていた、「20年以上前に人気だったジャニーズアイドル」に関する記事を読んだ。


 女性関係や金銭関係で起こしている問題の質や虚言・泣き落としという内容を見て、これはサイコパスかもしれないという印象を個人的に持った。


 同時に思い出した自分の経験について書いてみたい。


 これまでに関わりを持ったことのある人間に、サイコパスだったのではないかと思われる者が少なくとも2人いる。


 まず、どちらにも共通することは、口達者ではあるが病的な虚言癖の持ち主であったことだ。


 会う人ごとに全く異なる話をしていて、矛盾を指摘されても悪びれることがない。そして、何か問題が発生しても自分は常に被害者で、無能な他人のせいで窮地に陥っているとアピールするのがとてもうまかった。


 うち1人については、ビジネス上の関わりを持ってしまった。結果として重大なトラブルを引き起こされたため、その言動を調査し、責任を追及した。


 のらりくらりと言い訳に終始するので、秘匿されていた書類や本人と証言者とのやり取りを録音したデータ等の物的証拠を突きつけることになったのだが、あろうことか顔色一つ変えずにその場で全く違う説明をし始めた。


 それまでの話がほぼ全て虚偽であると関係者全員の前で暴かれたにもかかわらず、である。「存在しない」と主張していた書類の現物を見せても「騙されて作成したことを忘れていました」とのたまい、挙句の果てには証言者のことを「あいつは頭がおかしいから出鱈目ばかり言うんですよ」と言い出す始末だった。


 それなのに、突如泣き崩れて謝罪を始め、「命がけで責任を取ります」とまで言いだしたため、同席者は皆一様に呆れる他なかった。


 後から冷静に考えてみれば、その場さえ切り抜けられればいいと判断したのだろう。「泣き落とし」はサイコパスが得意とする演技の一つとして知られているものだ。


 責任を認める文書に署名捺印をさせ、期限を定めて損害の補償をさせることで合意したので、当事者は皆一件落着と思い込んでしまった。


 しかし、驚いたことに翌週から完全に音信不通になってしまったのである。複数所持していた携帯電話も全て解約されており、それまでの自宅も蛻の殻になっていた。


 そして、さらに意味がわからず唖然とするしかなかったのは、失踪後あまり時間が経たないうちにネット上で顔写真付で発言していたことだ。


 俄かには信じがたい行動をする男だった。その後も住居や職業を驚くほど頻繁に変えていた。


 その虚偽に塗れた言動は常人の思考を遥かに凌駕しており、他人への寄生もひどいものだった。


 言葉巧みに現金を巻き上げたり、他人名義でローンを組んでは高級外車を次々に乗り換えたり……。被害者には複数の女性もいた。


 そんなことができる人間が実在することを目の当たりにしてしまった衝撃は大きかった。




 もう一人は、さらに知能が高く悪質さを感じさせる男だった。初対面の際になんとなく信用できない印象があったためか、幸いにもそれほど深い関わりを持つには至らなかった。


 ある企業の幹部で、年齢の割にはそれなりに高いポジションにいた。入社年次からすれば、かなりのスピードで出世したことになる。


 具体的な内容はとても書けないが、複数の証言を総合すればこの男の行動が原因で死者が出ている


 それだけでも衝撃的だったのだが、この男はその人物の死に絡んでかなりの経済的利益を手にしていたのだ。


 この経緯について、ご遺族は最後まで何も知らず、感謝さえしていると聞いて胸が悪くなった。


 本人からも部分的に話を聞いたが、故人についての話を面白おかしくされたのには背筋が寒くなった。


 おそらく誰が聞いても笑えるような話ではなかったと思う。


 聞いているうちに気分が悪くなった。それが顔に出ていたのかもしれない。他人の不快な感情を読み取ることには長けているようで、巧みに話題を変える手際も見事なものだった。


 非常に愛想が良く、話好きな印象を与える男なのだ。しかし、この件以外にも決定的な出来事があり、到底信用に足る人物でないことを思い知らされた。


 我ながら第一印象の正しさを痛感せずにはいられなかった。


 こちらの男については、知り合ってからそれ程時間が経過しないうちにこちらから距離を置くようになったので、具体的に何か実害を被ったわけではない。


 それでも、思い出すだけでなんとも言えない不快な気分が甦ってくる。


 前者には、私だけでなく他の関係者も相当な経済的損害を受けている。法廷闘争を行った知り合いもいるが、結局全てを回復するまでには至っていないようだ。


 また、精神を病んでしまった人間もおり、その本人から相談を受けたこともある。実に悲惨な状況だった。


 かなり早い段階でその異常性に気づいた人物がいたにもかかわらず、その忠告を当初あまり深刻に受け止めなかったことが悔やまれる。


 そして、後に全く別の場所で過去の職場の同僚だったという人と偶然知り合って話を聞いたことがある。


 私がビジネス上の関わりを持っていたことを明かすと、まずはとても嫌そうな顔をされた。その上で昔のことを聞いてみると、

 「本当にとんでもない奴ですよ。あの会社は問題を起こして首になってます。聞いてないんですか?

ということだった。やはり、と言うしかない。しかもその問題のせいで社内の人間関係も回復不能なまでに悪化したのだという。


 恥ずかしながら私が本人に聞いた話は正反対で、

 「引き抜かれて入社したが、後に社長と方針が合わなくなったので自分から飛び出した

という内容だったのだ。誰でも大なり小なり自分に都合の良いように話を脚色したり、都合の悪い事実を伏せたりすることはあるのではないかと思う。


 しかし、そのような水準とは全く違う。事情を知った上で本人の虚言を聞けば、狂人だとしか思えない出鱈目さなのだ。


 できれば巡り合いたくなかった。


 後者についても、本人から聞いた話と関係者の話が著しく乖離していることが短期間に複数回あり、こちらがおかしくなりそうな程だった。


 どちらも約束を全く守らないにも関わらず、自分から確約を申し出る傾向があった。


 これらの人間と関わることで、経済的な損失だけでなく、精神的にもひどいストレスを受けることになった。もちろん、どちらとも完全に関係を絶った。


 それからかなり時間が経ったある日、突然に「あいつらはサイコパスじゃないか!」と思い至ることになったのだ。


 かなり以前から、実際にこの2人と面識を持つよりも前から、「サイコパス」には興味を持っていた。


 個人的には性善説性悪説も信じていない。善悪は相対的なものであると同時に、どちらも生まれ持つ性根に要素が含まれているとも思えるからだ。


 それでも、「絶対悪」や「生まれついての悪」というものが存在しうるのかについては、いつも考えていた。


 しかし、それは飽くまでも好奇心でしかなかった。サイコパスに関する研究やノンフィクションを読むことで、生まれつき良心を持たない人間が間違いなく存在しているという現実を知ったところで、どこかにある別の世界の話だと思い込んでいたのだろう。


 そのような人間と実際に関わることがあろうなどと、ちっとも考えたことがなかったのだ。


 いろいろな意味で付き合いを遠慮したい人は多勢見てきた。それでも、この2人については全く別次元だった印象がある。


 その言動を知れば知るほど薄っぺらい外面に嫌気が差すとともに、根本的に人間味を感じなくなっていったのだ。


 良心の呵責を感じることがなければ、誰かを食い物にしたり、他人同士をいがみ合わせて人間関係を破壊することなど容易だろう。


 2人の異質な人物と関わった忌まわしい記憶と、知識としての「サイコパス」が初めて繋がった。そして、自分の迂闊さに驚いたものだ。今となっては、致命的なダメージを受けることがなかった自分の幸運に感謝したい。


 もちろん、彼らが正式な診断を受けたわけではないので、本当にサイコパスだったのかは分からない。しかし、有名な「PCL-R」や「3因子モデル」等のチェックリストを見直すと、該当する項目の数に慄然とする。


 サイコパスが犯罪を犯すとき、常人では考えられない程の冷酷さを発揮するのも当然だろう。それに、犯罪に手を染めなくても、良心の咎めがなければどれほど汚いビジネスでもなんら躊躇なく行うはずだ。


 社会にはそのような人間が一定の割合で常に存在していること、関わってしまうことで受けるダメージが重大であることを正しく理解することが、自らの防衛のためにとても重要だと感じている。


 わざわざ他人に触れ回ったりする必要はない。本人を指弾することもない。無駄でしかないからだ。


 しかし、知人が関わってしまうような場合には、忠告をしないわけにはいかないだろう。



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 「サイコパス」(psychopath・精神病質者)という言葉は日本ではあまり一般的ではないように思える。


 「羊たちの沈黙」(トマス・ハリス)のハンニバル・レクター博士のように猟奇殺人をテーマにした小説や映画で取り上げられることが多いので、「サイコパス=異常な殺人者」と誤解している人も少なくないかもしれない。


 また、綴りは違っているものの「サイコパス」(PSYCHO-PASS)というSFアニメがある。これは、人間の心理状態を定量的に計測できるシステムが導入された近未来で、犯罪性向までが数値化され、一定の値を超えた者が予防検束されるというトム・クルーズの主演映画「マイノリティ・リポート」のような設定の物語だ。むしろこちらの方が一般的な知名度は高いのではないだろうか。


 辞書で「サイコパス」を引くと「精神病質(その人格のために本人や社会が悩む、正常とされる人格から逸脱したもの)である人」(小学館「大辞泉」)と出ていたりする(そもそも採録されていない辞書も多い)。しかし、各種の研究からすると「本人が悩む」という部分は誤りではないかと思う。


 サイコパシー(psycopathy・精神病質)の主因は遺伝であり、現在の医学では治療が不可能であるとされているだけでなく、そもそもサイコパス自身は治療を望まないものらしいからだ。


 米国では短縮形の「サイコ(psycho)」という言葉が異常者一般に対して使われているようだが、これも本来の意味とは違う用法だろう。


 国内で起こった猟奇殺人や大量殺人等にも、犯人がサイコパスなのではないかと思われるものはいくつもある。


 それでも、報道にこの用語が使われるケースはほとんどない。


 サイコパスは精神障害の一種ではあるものの狭義の精神病とは違うものであり、サイコパスであることを以って事理弁識能力に欠けるということは本来ないはずで、これが理由で心神喪失や心神耗弱とされた例はないのではないかと思う。


 それに、日本の精神医学ではサイコパスという診断名自体を正式には用いていないようだ。


 サイコパス=犯罪者というわけではもちろんない


 それでも、専門家をして

 「精神病質とはどういうものか、そしてそれが投げかける問題の重大性、さらにはそれが私たちの生活に与える悲惨な打撃を減らすための方策を、一般の人びとや司法関係者にもっとよく認識してもらうことを切に願う
(ロバート・ヘア「診断名サイコパス」)、

 「サイコパスから身を守るために最も重要なのは、一切の関わりをもたないことである
(マーサ・スタウト「良心をもたない人たち」)

とまで言わしめるものなのである。


 “残された数々の記録を調べると、サイコパスはさまざまな呼び名で、古くから世界各地に存在していたことがわかる。例をあげると、精神医学専門の人類学者ジェーン・M・マーフィーは、イヌイットの"クンランゲタ"について触れている。クンランゲタは、「自分がすべきことを知っていながら、それを実行しない人」を指す言葉だ。アラスカ北西部では、「たとえば、繰り返し嘘をつき、人をだまし、物を盗み、狩りに行かず、ほかの男たちが村を離れているとき、おおぜいの女たちと性交する」男が、クンランゲタと呼ばれた。イヌイットは暗黙のうちに、クンランゲタは治らないと考えていた。そして、マーフィーによれば、イヌイットのあいだでは昔から、こうした男を狩りに誘いだしたあと、だれも見ていない場所で氷の縁から突き落とすのが習わしだったという。
 サイコパスは古くから世界じゅうにいたようだが、ほかよりもサイコパスの数が少ない文化圏があることもたしかだ。興味深いことに、東アジアの国々、とくに日本と中国では、かなりサイコパシーの割合が低い台湾の地方と都市の両方でおこなわれた調査では、反社会的人格障害の割合が〇・〇三から〇・一四パーセント。西欧世界における平均約四パーセントとくらべて、きわめて低い数字である。”
良心をもたない人たち」文庫版(マーサ・スタウト 2012年 草思社)P.180-181より 傍線引用者


 サイコパスの要因は少なくとも半分以上遺伝によるもので、先天的なものらしい。


サイコパス-冷淡な脳-」 (ジェームズ・ブレア、デレク・ミッチェル、カリナ・ブレア 2009年 星和書店)によれば、

遺伝子異常によって扁桃体(脳側頭葉の奥にある神経細胞の集まり)の機能が障害され,嫌悪刺激に対する反応性が特異的に低下していることが示唆される。この情動(感情の動き)反応の低下という独特の病理のために,何らかの目的を達成しようとするときに反社会的行動を学習し,社会化が阻害される。
(P.207より・括弧内は引用者)

というのが有力なモデルだという。


 また、同書によれば、サイコパスの特徴は「道具的攻撃」にあるということだ。「道具的攻撃」は、何らかの目的を達成するための手段として用いられる、いわば計算にもとづく攻撃であり、生物が外的脅威から逃れるために本能的に示す「反応的攻撃」と対置されるものである。


 「良心をもたない人たち」は具体的な人物(プライバシー保護のためすべて仮名であり、創作を含む)のストーリーを列記していて非常に読みやすいのだが、断定的な記述が多く、やや厳密性に欠けるきらいがある。


 反対に「サイコパス-冷淡な脳-」は学術論文的な体裁をとっており、様々な研究結果に基づく仮説の検証が主体で、厳密すぎる程に断定的な記述を避けているように見え、読み進めるのに時間を要する。


 また、「良心をもたない人たち」は、数値的データの解釈に問題があるように思える。

 サイコパスが四パーセント(P.15他)としており、邦訳の副題にも「25人に1人という恐怖」と書かれているが、この数値は「サイコパス-冷淡な脳-」(P.25)に示される「反社会的人格障害」の有病率である三パーセントを超えている。
 

 因みに、「サイコパス-冷淡な脳-」は、反社会性人格障害の約25%(全体の0.75%)がサイコパスだとしており、「良心をもたない人たち」との乖離が大きい。


 「良心をもたない人たち」の原題は、「THE SOCIOPATH NEXT DOOR」(隣の社会病質者)であることからも分かるとおり、サイコパスソシオパスを同義で用いている。また、反社会的人格障害(Antisocial Personality Disorder)、精神病質者(Psychopath)、社会病質者(Sociopath)がすべて一緒くたに扱われており、信頼性に欠ける印象が拭えない。


 前記の引用部分の後半も「日本と中国でサイコパシーの割合が低い」という言及の直後に示されているデータは、なぜか台湾のものである。仮に台湾は中国の一部だとしているにしても、その結果を日本にまで一般化することは本来誤りであろう。


 同書では文化圏によるサイコパスの割合の相違について、概ね以下のように主張されている。

後天的な要素である、社会的な要因として、アジア文化圏では社会に対する義務に価値をおいているために、サイコパスが発現しにくく、対して欧米文化圏では、個人主義を尊重し過ぎるあまり、サイコパスに向いた社会となっている

 これは、後天的な要素である学習が阻害されてサイコパスになりにくいということなのか、あるいは社会文化的な要因がサイコパスの行動をある程度規制しているということなのかが分かりにくい。


 両書に共通している内容としては、

 ・サイコパスの主因は遺伝的要因である。

 ・サイコパスは良心を持たない。

 ・サイコパスは昔から一定の割合で世界各地に存在している。

 ・サイコパスの治療は現時点では不可能である。



といったところである。


 「良心をもたない人たち」によれば、サイコパスから身を守るために最も重要なのは、「一切の関わりをもたない」ことである。

が、同書の訳者(木村博江)あとがきには、

“ロバート・ヘアがみずから作成した精神病質チェックリストについて、「(素人が)自分自身やそばにいる人を、これを使って診断してはならない」といましめているように、軽々しくこの名称を人にあてはめ、排除すべきでないことは、強調しておきたい”

と書かれている。


 確かに素人診断の危険性はあるだろうが、関わってしまった場合のダメージを避けるために、ある程度の自衛策は必要であろう。事実、ヘアも、その著作「診断名サイコパス」(文庫版 2000年 早川書房)のまえがきに、

“わたしはこの本で、精神病質とはどういうものか、そしてそれが投げかける問題の重大性、さらにはそれが私たちの生活に与える悲惨な打撃を減らすための方策を、一般の人びとや司法関係者にもっとよく認識してもらうことを切に願うものだ。”

と書いている。そうした意味でも、前記の引用部分にあるイヌイットのエピソードは興味深い。運命共同体の自衛策として、やむを得ないことだったのだろう。こうした慣習の伝承が他の地域・民族にも恐らく存在していると思われるので、是非知りたいものである。


 昨年、サイコパスと診断されたという米国人男性がネット上で行ったAMA(Ask Me Anyting・「なんか質問ある?」)が話題になっていた。


【人間社会の捕食者】サイコパスだけど、なんか質問ある?【暴力+心理操作】
(2014年2月22日 Ask Me Anything!!!【海外版】なんか質問ある?)
http://askmeanything.blog.jp/archives/3638267.html

 これは、もともと2010年8月に米国のネット掲示板「reddit」で行われたAMAを翻訳したもので、元サイトはこちらである。

I was diagnosed a Psychopath AMA
http://www.reddit.com/r/IAmA/comments/czt0l/i_was_diagnosed_a_psychopath_ama/


 翻訳も読みやすいものでよくまとめられている。サイコパス自身が質問に答えているのは珍しいケースなのではないかと思うが、やはり異質な存在であることがはっきりと分かる内容になっており、興味深い。


 回答者はセラピーを担当する精神科の女医について言及しており、その著作が広く知られているようなことも言っている。そして、彼女は回答者の経験を著作の一部に使いたいと思っているらしい。この女医というのがマーサ・スタウトなのかも知れない、とふと思った。


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