隠岐三日目の最後の日となった。

それは噂に聞く県立島前高校の復活である。

全校生徒数が90人まで落ち込んだ島前高校。

このまま放置すれば間違いなく廃校の憂き目。

高校がなくなれば、島から若者がいなくなる。

これは、いずれ島全体が消える事を示唆している。

町長を中心に、住民が一丸となって島の浮沈を考えた。

その処方箋は“人造りだ!”

企業誘致でもない、産業の振興でもない、人材の育成だ!

それは即、島前高校の存続、復興であると。

海士町の菱浦港船乗り場に、目を引くポスターがあった。

“ないものはない”と言うポスターが羅列して張ってある。

有るものしかないと言うのか?

何でもあると言う表示なのか?

一瞬、おや?と思ったが、意思は後者だろう。

物事を、全て前向きに捉えよう!と言うことだろう。

ここからして、島前の人達の心意気が伝わってくる。

ツアー旅行で自由時間が取れなかったが寸暇を割いた。

朝早く、ホテルから歩いて15分位の島前高校を見に行った。

外見は何ら変わらない、普通の学校だ。

だが寮が建っていた。登校してきた生徒に聞いた。

今、地元の生徒が90人、留学生が90人いると言う。

本州の県外からも来ている。外国からも、と聞く。

原因は優秀な進学校に変身した事だ。

単なる、ガリ勉高校ではない。

島の大自然の中で、あらゆる体験をして、人間を鍛えている。

高校は見事に復活した、そして島全体もよみがえりつつあると聞く。

 我が故郷にも、これに似た高校がある。

岐阜県立郡上北高等学校。

今年の初めに、県の廃校リストに選ばれた。

何とも不名誉な選抜である。

だが地域は、なんの反応も見せない。

このままでは近い将来、子や孫達は遠くの高校に行かねばならない。

このままでは子供達はいなくなり、やがて故郷も消えるのでは・・・。

楽しかるべき旅で、ふと深刻な事を考えてしまった。

先のことなどどうでもいいのだろうか?

                  県議さん市長さん議員さん! 寅次郎

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7時の朝食後、ホテルの隣にある神社を一人参拝した。

神社総代長になってから、役目柄、他所の神社が気になる。

水祖(ミオヤ)神社と言って水の神で、海賊からも守った由。

昔、尼子一族を救うために山中鹿之助が本土から懇願に来たと言われる。

 今日は島前観光である。

朝8時半、西郷港をフェリー“しらしま”で出発。

船から西郷港を見ると、ラッシュなのか人が意外と多い。

フェリーは856人乗りで安定している。

船室は二等で我がツアーは雑魚寝状態での旅。

俺はデッキに出て、いすに座り海を眺めて過ごした。

360度のパノラマに地球の不思議さ、大きさに、物思う。

水平線が丸い!己の小ささもあわせて感じる。

船内には昨日書いた古典相撲のポスターが何枚も張ってあった。

9時40分に菱浦港に到着。

先ずは後鳥羽上皇ご火葬塚を見ながら、説明を受けた。

その時、奇しくも近くに住まわれる、48代目の村上氏が来られた。

村上氏の先祖は後鳥羽上皇の面倒を見たといわれる。

旧庄屋で、現在は宮内庁から火葬塚の管理を命ぜられている。

今日は作業着姿で、墓地の清掃に来られたようだ。

皇族方も多く参拝しておられ、植樹や歌碑が建立されている。

ここは宮内庁の管轄で、落ち葉一枚の持ち出しもご法度。

ここにも天井付きの立派な土俵があった。

その隣が隠岐神社になっている。

隠岐神社は昭和14年に創建され、後鳥羽上皇を祭神として祀った。

鳥居の反対側に上皇の資料館があり見学。

係員の説明では、上皇は付き人は5人位の少人数で流されてきたようだ。

医者、坊様、記録係、身の回りをする人など。

「我こそは 新島守りよ 隠岐の海のあらき波風 心して吹け」

隠岐に来て、新たな意気込みを見せた歌といわれる。

41歳で承久の乱に破れ流刑され、60歳、隠岐で崩御。

昼食後はバスで国賀海岸に向かう。

途中車窓から由良比女神社を見る。

ここは海に面していてイカが寄せてくるという伝説がある。

赤尾展望台で国賀海岸を望む。

その先、牛や馬が放牧してある中を魔天涯へ進む。

その先端は、天気が良いのに、台風並みの猛烈な風!

写真を撮ろうとカメラを構えてもぶれて撮れないほど。

景色は抜群である、海と崖のコントラスト。

次は様々な奇岩が並ぶ通天界へ。

かなりの下り坂を海岸に向かって下りる。

観音岩、通天橋は波で岩がくりぬかれている。

今宵の宿は、海士町のマリンポートホテル。

二次会はスナック“みちくさ”で飲んで歌う。

昔は美人だったと言う、自称69のママさんと鳥取民謡・貝殻節をデュエット。

    ♪カワイヤノー、カワイヤノー 寅次郎

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 隠岐は江戸の昔より、神事として相撲が行われた。

高度経済成長期に入ると島の若者が流出し、相撲はすたれた。

これを憂いた地元民が昭和47年、古典相撲を復活。

その第1回を、この水若酢神社境内で開催。

古典相撲の特徴が面白い。

島で祝い事があった時のみ開催する(公共工事の竣工等)

祝い事のあった所を“座元”それ以外の地域を“寄方”と分ける。

これが相撲で言うところの東西に当たる。

役力士は、大関、関脇、小結で横綱は居ない。

役力士に選ばれるには強いだけではダメで性格も加味される。

相撲は2番勝負、必ず1勝1敗がルール。

狭い島内で人間関係が、まずくならない為にと。

役力士には長さ5mの柱が授与される。

勝者はこれにまたがり、皆に担がれて家に帰る。

足に土がつかない様にと。土が付く=負ける、の意。

車中から、家の軒先に、その柱が飾ってあるのを見た。

相撲は夕方始まり、翌日の昼ごろまで、300番取られる。

塩は全部で2トン程使い、土俵際の観衆も激励で播くと言う。

土俵は三重になっている、見易い為と聞いた。

古典相撲を題材に“渾身”と言う映画が出来た。

島内の程々の神社には、例外なく土俵がある。

 我が故郷白鳥にも秋祭りには境内で寄り合い相撲が盛況だった。

青年団が音頭を取り、地域が一丸となり盛り上げた。

地域の絆や連帯感は、青少年が居ないとダメだと痛感。

御朱印を戴いて次のローソク島に向かう。

夕陽の沈む時刻に合せて赤崎岸壁を16時に出港。

30分位してローソク島が見えて来た。

暫く、波が削り出した、近辺の奇岩にウーン・・・。

16時45分、船頭がカメラを構えよ!と叫ぶ。

太陽がローソク島のてっぺんに近付く!

行きつ戻りつを繰り返して、撮影の瞬間を与えてくれる。

だが、安っぽいデジカメでは逆光の太陽は捉えられなかった。

我々の写真ではローソク島のてっぺんが大火事!

逆光モードで挑戦しないと素人には無理だ。

でも、その瞬間は実感できた!

帰りにプロが移した写真を戴いた、流石だ!

水平線に沈む夕日を浴びながら帰路へ。

隠岐プラザホテルに草鞋を脱ぐ。

       さあー!宴会だ! 寅次郎

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