講仲間9人が、ツアーチャーター機で隠岐を目指した。

全員がシニアーなのに、隠岐へは処女航海・航空。

隠岐は流刑の島だ、歴史的に何かあるだろう。

素晴らしいものに出会えるか、はたまた空振りに終わるか?

賭け、博打的な思いで、10時半、名古屋空港を飛び立った。

1時間弱のフライトで隠岐ジオラマ空港へ無事ランデング。

フジドリームエアーライン84人乗りは、我々28人だけ。

がら空き状態で何とも楽チン! 申し訳ない感じ。

一週間前に鳥取で震度6強の地震!

これで5人がキャンセルしてきたと添乗員が嘆く。

我々はいよいよとなればボランティアをやればいい!と意気軒昂。

今回は2泊3日、隠岐4島めぐりである。

4島とは、島後(隠岐の島町)、島前(海士町、西ノ島町、知夫村)

島後~どうご、島前~どうぜん、と読む。

隠岐諸島は全部で180の島があるそうな。

先ずは迎えのバスで西郷港、料亭・末広で海鮮料理に舌鼓。

貸し切りバスで島後観光に向かう。

先ずは、玉若酢命神社。樹齢2,000年の八百杉が鎮座する。

樹高30m、目通り幹長10m、大きな丸太数本で支えられている。

大杉の中には大蛇が眠っていて、いびきが聞こえるらしい。

ここで最初の御朱印を戴く。

隠岐諸島には150の神社がある。まさに神の国!

隠岐諸島は350km2。白鳥町の2倍弱。

単純に割っても、1,5km2に一箇所の神社となる。

お賽銭は一神社参拝で150円では、一神社一円にしかならない。

そうお考え戴いて奮発してください!とガイドに頼まれる。

そうか、一神社当たり100円投ずると全社で15,000円となる。

お賽銭箱を前にして、迷ってしまった。

俺は神社へ何をしにきたのだろう?

次に向かう道路脇に“かぶら杉"を見た。

島後の最北端に白島展望台がある。美しい!

この海岸沿いに99の島があり、百まで一つ足りないので白島とした由。

竹島まで161kmと表示されていて、韓国の近さを知る。

天皇に逆らい隠岐に流された“小野篁”が百人一首に詠んでいる。

“和田の原 八十島かけて 漕ぎ出でんと 人には告げよ 海人の釣船”

流されても、なお漕ぎ出さんとする、小野の心意気か?

次は古典相撲発祥の地“水若酢神社に向かう。

        興味深い島に見えてきた 寅次郎

 

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 二泊三日の信州攻めも大団円間近。

食も忘れ、上田城を攻めていたが、空腹を覚えた。

上田から北に約三里。

真田氏発祥の聖地を訪ねた。

元祖真田流手打ちそば“佐助”にて腹こしらえ。

建物は萱葺きで天井は高く、築350年のモノを移築との事。

猿飛びが出てきそうな雰囲気。

有無を言わさず幹事は全員、ざる大盛り!を発注。

江戸じゃ、酒が飲みたい時は、そば屋に行ったもんじゃ!

昨晩飲んだ“真澄”を忘れがたく候。

すぐに冷で出てくる。

旨い!

ここら辺りは阿吽の呼吸!

何本いりますか? おちょこはいくつ?

無粋な事なんぞは聞かない!

ばらばらばら!と出てくる。

そばとてんぷらを肴に・・・・・旨い!

 未練はあるが時間がない!次に参ろう!

長谷寺(ちょうこくじ)。ハセデラではないぞえお立会い。

真田家の菩提寺、真田幸隆が開山した曹洞宗の古刹。

幸隆夫妻と昌幸が並んでいる墓所を参拝。

和歌山県九度山で没した昌幸の遺髪、つめ等はここに埋葬されている由。

墓前には、硬貨で六文銭模様を造り、賽銭されている。

最初にこれを考えた奴は、とても偉い奴だと、妙に感心。

御朱印を戴く時、ここは元々白山信仰の修験道の霊場だったと聞いた。

おらが白山と繋がっている事に驚きと親近感。

 真田氏本城跡に向かう。

戦争用の山城であり、平時の政務は麓で行った。

現在、建物は何もない。

周囲の小高い山に枝城を持ち、その中心地だったようだ。

上田が一望できる絶景の場所。

大河ドラマで有名な砥石城等も遠くに望めた。

まだ見残した場所は多いが、制限時間一杯。

やむなく下山して、上田駅にて再会を約して解散!

慌しい三日間であったが、忘れまい!

“瀬を早み 岩にせかるる滝川の 割れても末に 逢わんとぞ思う”

             達者でナぁ! 寅次郎

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 真田の本丸、上田城に入った。

さすが本丸!大変な賑わいだ・・・平日なのに。

正面駐車場は満車!止む無く、裏門から攻める事にした。

くの一・ボランテァガイドに道案内を乞うた。

くの一の常套挨拶“どちらからですか?”

“全国からよ!”と老いぼれ忍者共。

くの一が一瞬たじろぐ。

一地方ならば、そこから話を展開する予定なのに。

こちとら、全国のあちこちからだから。

彼女はイントロ抜きで、一気に本論の真田三代記に入る。

真田幸隆は武田信玄に仕えて活躍し真田繁栄の礎を築く。

その三男・昌幸が上田城を築く。

昌幸はここで徳川家康を二度に渡り撃墜している。

昌幸の後は、徳川方に付いた昌幸の嫡男・信之が継いでいる。

その後は、仙石氏が三代、松平氏が七代が明治まで続く。

昌幸の次男信繁(後の幸村)は大阪夏の陣で戦場の露と消える。

家康に付いた兄・信之は松代に移封となるも家名は存続となる。

明治まで十代続き、真田十万石と栄えた。

豊臣方と徳川方と別れて戦ったが、一方は生き残った。

我が郡上藩も、江戸詰めは凌霜隊として幕府側に付いた。

郡上の国元は西軍に付き、ここでも敵味方と分かれた。

戦国の世の、生き残る知恵、術であったのだろうか?

 東虎口櫓門をくぐり、真田神社に参拝。

この神社は、松平神社→上田神社→真田神社と名を変えている。

真田、仙石、松平が祀られている。

真田軍は少数で徳川の大群を破った事で、知恵の神社とも言われる。

又、二度の徳川大軍にも落ちなかった事で、受験生に人気。

 我が新幹線会はその年の大河ドラマを追いかけて旅している。

今迄、数多く行って来たが、これほど人出の多い事は初めてだ。

ここ上田は、地理的に人の集まりやすい所なのか?

国土の中央に位置して、地政学上、重要な所なのかもしれない。

故に武田、上杉、北条、徳川等が拠点を置きたかったのか?

 大河ドラマの題字は左官の鏝で描いたモノとか。

描いた人は岐阜県高山市の左官職人・挟土秀平氏。

前に一度、名刺交換した記憶がある。

          身近に感じた 寅次郎

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