幼い頃から母との関係上
甘えやワガママが許されない環境で育った私は
非常事態でも誰かに頼る事もできず
自分一人で解決しなければならない状況に
置かれることが多かったです。
 
前々回の記事の最後にあった 
覗き魔と、私が恐怖に震えながら対峙していた時でさえ
母は不倫相手と外出していたのでした。
 
前々回の記事 「両親への愛憎とリベンジ人生(1)母子家庭」
http://ameblo.jp/toraji-j/entry-12282112451.html

 

過去記事 「自叙伝(16)母の奇妙な行動」

http://ameblo.jp/toraji-j/entry-12276811674.html

 

 
母は私に対して 常に強くあれと教えました。
 
過去記事 「自叙伝(6)火の粉を払える人間になれ!」
 
「誰にも頼るな。 甘えるな。 自分で何とかしろ。
自分に降りかかる火の粉は 自分で払える人間になれ。
お前に降りかかってくる火の粉は、誰も払ってくれないよ。」

 

幼い頃から繰り返し聞かされた その言葉は

まるで、呪文のように私を拘束しました。

 

(誰にも頼っちゃいけない。 誰も 私を助けてはくれない…)

 
その教育方針は、私に同年齢の友達よりも早く
自立心を育ませてはくれましたが
どこか冷めた子供らしくない子供として成長していきました。
 
 
 
母は、私が何か小さな失敗をすると
それが まるで私の全てであるように全人格を否定し
あげつらい、叱責し、何年もの間 同じ話を繰り返しました。
 
 
 
保育園に通っていた頃に、近くの叔母の家に
少しの間、同居させてもらっていた期間がありました。
 
保育園から、帰ってきて冷蔵庫を開けると
母が作ったプリンがありました。
 
私が、食べてもいいかと母に聞くと
「人数分しかないから、今は食べちゃダメ。
後で夕食後に みんなで食べる予定だから。」
と言うので
「じゃあ、後で私は食べないから 今 食べたい。」
と言って、先に食べました。
 
夕食の時間になって、みんながプリンを
食べているのを見たら、無性に又 食べたくなってきました。
 
それで、その思いを抑えることができなくなって
隣に居た母に小声で
「お母さん… 私もプリンちょっと食べたいな…」
と言ってみました。
 
もしかしたら、母が一口くれるかもしれないと思ったからでした。
 
そうしたら、母が烈火のごとく
叔父・叔母の前で怒り出したのです。
 
「さっき、夕食の時には食べないから
自分の分だけ先にくれって せがんだのは お前だろう!?
何て意地汚くて、欲深い子なんだろうね!
自分の口で言った事、約束も守れない子は
将来 ろくな人間になりゃしないよ!」
 
叔父と叔母の前で叱られて
ものすごく恥ずかしかったのを覚えています。
 
それから後も、その時の事を持ち出しては
「お前は小さい頃から 意地汚くて欲深くて
約束を守れない子だったから 
将来ろくでもない人間になるのは間違いないね。」
と くどくどと繰り返し 高校生になっても言われ続けました。
 
その話は、少なくても10回以上は聞いていて
私の中では 「プリン事件」 という名前をつけていました(笑)
 
それで、その話が始まると
(あ~~ 又、プリン事件の話が始まったよ~~)
と うんざりしていました。
 
自分の失敗や短所を
何度も何度も断定した形で聞かされるのは
小雨に濡れながら外を歩いていて
体が少しずつ冷えてくるのと似ているような気がします。
 
時間をかけて少しずつ自分は そういう人間なんだ…
と自信を失わせ、未来を希望的に捉えられない
消極的で悲観的な性格の下地を固める “呪いの雨” のように
徐々に沁みこんで心を冷たくしていくのです。
 
 
私は… 母が大嫌いでした。
 
この世の誰よりも母を憎んでいました。

 

 
でも、自分でも意識していない潜在意識では
そんな母であっても、その母から愛と承認を受けたいと
願っていたのだーということに最近 気がつきました。
 
私は ずっと自分の素直な喜怒哀楽の感情を抑えてきたので
常に冷静で強い男性的な性質だけが
自分の性格だと思い込んで生きてきました。
 
もちろん、そういう男性的な性質の部分は
私の中に確実に存在していて、無いわけではありません。
 
でも、ずっと長い間
その性質だけが自分の全てだと思い込んできたので
自分の中の女性的な部分や弱さや
甘えたい自分の存在を認めることができませんでした。
 
結局、私は教会に来る前も、教会に来てからも
母の願う 「強い女」 であり続けようと努力してきたのだー
と いうことに最近 気がついたのです。
 
だからこそ、私の中にある強い男性的な性質を
それが 私の全てであるように思い込み
そうあろうと常に強くて冷静な自分を演じ続けてきたのでした。
 
そうすることで、母から認められ、愛されたかったからでした。
 
子供の頃、欲しかった愛を周りから与えてもらえなかった人達は
その愛を どこかで補充しようと 自分でも意識しないうちに
愛と承認を人並み以上に求め、さまようような気がします。
 
母に対する愛と憎しみは、母を反面教師とすることで 
全く逆の極端な方向に私を走らせ
そこに執着させるようになりました。   (つづく)
 

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高校生の頃

「オサラバ坂に陽が昇る」 というドラマの主題歌だった

谷村新司さんの 「小さな肩に雨が降る」 が大好きでした音譜

 

学生時代の私にとって、春の雨は友人達でした。

 

今の春の雨は

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動画は、Doraemon990...ung-ingさんから お借りしました。

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