< はじめに >

 

この自叙伝は、今の私の考えではなく

その年齢の当時の心境を綴ったものです。

 

その当時 視野が狭く 一つの価値観が
絶対に正しいと思っていた 多感な年頃に感じた内容です。

 

現在の私は、この頃とは違って

恋愛に対しても、かなり自由な考えを持っており

恋愛や夫婦の様々な形を 批判するつもりは全くありませんので

それを踏まえた上で 自叙伝(16)~(18)を 

お読み頂きますよう お願い申し上げます。

 

 

 

私が小学校4年生の時に 父の残した借金を完済した母は

新しいカラーテレビを買ったり

少しずつ生活に余裕が生まれてきていました。

 

中卒で中学卒業と同時に工場で働き始めた母には

学歴や資格というものに対して強い劣等感がありました。

 

夕方5時に工場での勤務を終えて帰宅し

6時ぐらいに夕食を食べて後片付けをしてからは

私が侵害してはならない母の完全な自由時間でした。

 

私は、小学校の頃から宿題や勉強などを

母に見てもらった記憶はありません。

 

小学校3年生の頃からは、学校からの お知らせの返事や

提出書類などは自分で書いて判を押して

提出するようになりました。

分からない漢字があれば辞書で調べました。

 

4年生になってからは小学校に入学した妹の分まで

私が書くようになりました。

いくら丁寧に書いても、子供の字だということが

先生には分かったようで、時々 先生から

「これ、もしかして、あなたが書いたの?」

と驚いて聞かれる事がありました。

 

妹の宿題や勉強も私が見てあげていました。

 

そんな感じで夕方の7時以降は母の唯一の自由時間でしたが

学歴コンプレックスのある母は

時間を惜しんで高校生が学ぶ漢字を練習したり

調理師免許が取りたいと言って その勉強をしたり

福祉センターで開講されている趣味のカルチャー教室などに

週に何回か通うようになりました。

 

その姿は、ある面 私にも好影響を与えてくれました。

 

時間を惜しんで勉強と自己啓発に勤しむ母を見ながら

(勉強って学校だけじゃなくて一生するもんなんだなぁ~)

と感じました。

 

 

 

夕方の時間は そんな感じで 母が家に居ないことは

私達 姉妹にとっては当たり前の感覚になっていました。

 

中学校の途中ぐらいからだったと思います。

 

母が夕方、友達に会ってくると言って出掛けては

2~3時間後に帰ってくる事が週に一度ぐらいありました。

 

シングルマザーの友達も多く、そういう お宅は

夕食後に遊びに行っても構わないので よく行き来していました。

 

私は、てっきりシングルマザーの友達の家に

母が遊びに行っているのだとばかり思っていました。

 

週に一度ほど、夜の外出を終えて帰ってくる母は

私達のために必ず お菓子を買ってきてくれていました。

 

私は違和感を感じました。

 

普段から優しい母親だったら

疑問にも思わなかったかもしれません。

 

でも、夕食後は自分の自由時間だと言って趣味や勉強に励み

子供の学校の お知らせにさえも目を通さないー

そんな母を見ながら自己啓発に励む姿を尊敬する反面

自己中心的で冷たい人だと感じてもいました。

 

 

 

貧しい我が家では

普段 母が お菓子を買ってくることはありませんでした。

 

私たちが病気で学校を休んだ日とか

特別な日だけ買ってくれるので

ものすごく嬉しかったのを覚えています。

 

カルチャー教室に行った日も

シングルマザーの友達の家に遊びに行った日も

お菓子を買ってくることは ありませんでした。

 

週に1回ほど夜に お菓子を買って帰ってくる

母の気遣いと優しさに奇妙な違和感を感じました。

 

そして、時々、帰宅した母から

家にある石鹸とは違う香りがするのです。

 

妹は分からないと言っていましたが

元々、嗅覚が敏感な私には分かりました。

 

その頃、住んでいた市営住宅には お風呂が無く

私達 家族は近くの銭湯に通っていました。

 

私は母に尋ねました。

 

「ねぇ、お母さん。 お風呂 入ったの? 石鹸の匂いがする。」

 

母は、ギクッとしたように言葉に詰まって

「え!? あぁ… 友達と温泉に行ってきたんだよね…」

 

母の言葉を真に受けた私は

「え~~~! ずるい~~~! 
一人で温泉なんか行っちゃって~~~!」

と むくれていました。

 

 

それから、もう一つ気が付いた事がありました。

夜、家の前の道路で必ず車のエンジン音が止まり

バタン!と車のドアを閉める音がして

その直後に母が帰宅するのでした。

 

車のエンジンの音が止まってからドアの閉まる音

母が帰宅するまでの時間の長さが いつも同じでした。

 

母が その車で送ってきてもらっているのだろうー

ということは容易に想像がつきました。

 

私は、車のエンジン音を聞くと

玄関近くの小窓から外を覗いて確認するようになりました。

 

車は いつも同じ軽トラックで、運転しているオジサンも

顔は ハッキリ見えませんでしたが いつも同じ人でした。

 

                                (つづく)

 

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