ドライフラワーについて考える。
ドライフラワー =死骸
切り花 =余命宣告を受けたもの
鉢植えの花 =檻の中の暮らし
庭植えの花 =日本的社会生活
山奥の花 =サバイバー
造花 =ディズニーランド(笑)
と私はとらえている。
まぁ他人がどれを好きでも良いんだ。
あー、
そもそもお花が好きな人と、
お花が好きでも嫌いでもない人と居るかな?
だけど花を美しく感じる理由は置いといて、
部屋に花を飾る理由について今回は綴りながら考える。
最近は店の入り口にドライフラワーを飾る店舗が増えている。
んー。まぁ正直カッコいいと思う。
だけど「ここにドライフラワー??」とも思う。ここまでドライフラワーが流行る前までは「店にドライフラワーとか馬鹿なんじゃないの?」って思っていたけれど、美しい標本(動物の死骸)や鹿の角なんかを見るうちに「あー。ドライフラワーは花ではなく、書や絵画なんだ!!」(鹿の頭が壁から突き出てる奴とか、頭付きの虎の絨毯とかの類いのインテリア)という感覚になってきて、それはそれで理解出来るようになった。
なんせ殆ど毎日、植物や動物の死骸を加工して人間が生きるためのエネルギーに変えてるので、死体だから悪趣味とは思わない。
んで、じゃぁ何故お花を飾るのか?
『季節の物でお客様をお迎えするため』だと私は思ってます。
花は植物の生殖器であり多くの生き物と一緒で繁殖期が有り、その時期に花を咲かす。種類ごと花期が違うので、その季節を表現しやすいし、生殖器なので生命力を感じさせやすい。
そして何より切り花は枯れる。
だから『今日のお客様の為に用意した品』としての役目がある。店主としは花の役目を(枯れる前に)より多くの人に見てもらいたいと思うから、お客様に沢山来てもらいたいと思うのである。
ドライフラワーも美しいが、
切り花の代わりには成らない。成れない。
これが今の私のドライフラワーについての考えかな


ドライフラワー =死骸
切り花 =余命宣告を受けたもの
鉢植えの花 =檻の中の暮らし
庭植えの花 =日本的社会生活
山奥の花 =サバイバー
造花 =ディズニーランド(笑)
と私はとらえている。
まぁ他人がどれを好きでも良いんだ。
あー、
そもそもお花が好きな人と、
お花が好きでも嫌いでもない人と居るかな?
だけど花を美しく感じる理由は置いといて、
部屋に花を飾る理由について今回は綴りながら考える。
最近は店の入り口にドライフラワーを飾る店舗が増えている。
んー。まぁ正直カッコいいと思う。
だけど「ここにドライフラワー??」とも思う。ここまでドライフラワーが流行る前までは「店にドライフラワーとか馬鹿なんじゃないの?」って思っていたけれど、美しい標本(動物の死骸)や鹿の角なんかを見るうちに「あー。ドライフラワーは花ではなく、書や絵画なんだ!!」(鹿の頭が壁から突き出てる奴とか、頭付きの虎の絨毯とかの類いのインテリア)という感覚になってきて、それはそれで理解出来るようになった。
なんせ殆ど毎日、植物や動物の死骸を加工して人間が生きるためのエネルギーに変えてるので、死体だから悪趣味とは思わない。
んで、じゃぁ何故お花を飾るのか?
『季節の物でお客様をお迎えするため』だと私は思ってます。
花は植物の生殖器であり多くの生き物と一緒で繁殖期が有り、その時期に花を咲かす。種類ごと花期が違うので、その季節を表現しやすいし、生殖器なので生命力を感じさせやすい。
そして何より切り花は枯れる。
だから『今日のお客様の為に用意した品』としての役目がある。店主としは花の役目を(枯れる前に)より多くの人に見てもらいたいと思うから、お客様に沢山来てもらいたいと思うのである。
ドライフラワーも美しいが、
切り花の代わりには成らない。成れない。
これが今の私のドライフラワーについての考えかな

