『東京電気通信大学、一類メディア情報学部プログラム科』H君について。 | fadoおじさんのblog~明日の君に~

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子ども達の未来を共に考える、小さな個別指導の学習塾の先生fadoおじさんのblogです。

 教室へと歩いて来る途中に、サルビア公園という銀杏の木がとても美しい公園がある。今日、その公園の傍を通ると、銀杏が金色の葉を落とし、あたり一面、黄金色の絨毯が敷き詰められたように美しい姿を見せてくれていた。

 あと、ひと月もすると一面が銀色の雪をかぶり「銀界」へと移り変わる。そして、来年の春には、再び銀杏の木は葉をつけ新しい季節へと移り変わって行く。

 もう、何人の若者たちと「出会いと別れ」を繰り返したことだろう。

 

 『堅固法身(けんごほっしん)「碧巌録より」』

 

 ある修行僧が、大龍和尚に問います。

 「色身は敗壊す、如何なるか是堅固法身」

 ※「人間の身体は、いつか滅んでしまいます。永遠に滅んでしまうことのない、不生不滅(仏教の教え)とは、どんなものでしょうか。

 

 大龍和尚・・・「山花開いて錦に似たる、澗水(かんすい)湛えて藍の如し」

 ※「山の花が満開で錦のように美しく、谷の水が藍のように澄きって美しい」

 

 銀杏の黄金の絨毯、銀界、そして春の芽吹き・・・。季節は、必ず、少しずつ移り変わって行く、その移り変わりの瞬間にこそ「永遠」を見る覚悟で、子供たちと接してゆきたいと思う、今日この頃である。

 

 

 5月のゴールデンウイークが終わった頃、新高校1年生のH君と彼の母親が、私の教室を訪れた。

『どうして、この時期に、この教室に来たの。新1年生は入学するときが一番大切なんだよ。』との私の質問に・・・。

 

 『M高の受験に失敗して、大学では絶対に希望をかなえてやると思って、予備校やら大手学習塾やらいろいろな教育機関の体験を受けて来たんだけど・・・。どうも、みんな飾りばかり(お金が高く、しかも教育の実態が伴わない)で、しっくりこなかったんです。何処に行っても行きたい大学には合格できない感じがしないんです。』と、志望大学に上記の大学を私に告げた。

 

 私は、H君と彼の母親に、『何か勘違いしていないかい。合格するのは君でさ。塾が出来る事なんて、君が元々持っている潜在能力に気がつかせてあげることぐらいなんだよ。そのためには、君が君自身の持っている「思考力」に気がつかなけりゃね。』と伝えてから・・・。私は、こんな話をした。

 

 最近、インターネットやスマートフォンの普及で生活は便利になったけどね。一方では「考える力」が低下しているんだ。「考える力」は、活字を通じてしか付かないんだよ。言い換えると、学力とは、活字(読書)を通じて沢山の「語彙」を獲得する事なんだよ。

 カーナビの発達により、頭の中から「地図」が消えたし。情報の洪水の中に生きながら、人びとは事の軽重(平坦)が分からなくなり、「思考力」が衰退しているんだ。

 

 H君の進む高校は進学校だから、教科書がしっかりと理解できて、授業や試験が終わった後に、必ずわからないところがないようにするんだ。そうしたら、志望する大学には合格できると思うよ。教科書の目次や内容に目を通したかい。また、君が受験する大学の問題や、センター試験を見てみたかい。まずは、そこから始めなきゃね。

 

 私の話した言葉が新鮮だったのか、H君とお母さんは、その場で、入会の申し込みをした。

 

 指導というのは、自分の置かれている現状がわかることでしょう。そして、目的地に到着するためには「考える力」を身につけること以外にはありません。「考える力」を身につけた子供たちは、只管(ひたすら)自学自習をすることになります。そうすると、一般の学習塾や予備校の様に、「あれをやれ、これをやれ」と指示は全く必要ではなくなります。

 私たちの出来ることは、彼らや彼女たちの「学びのスイッチ」を入れる事に尽きます。これに成功したら、後は、「やることがない」これでは困るから、大手塾や大手予備校は、無意味(でもないかもしれないが・・・)な、オプションをつけ、指導をしている「ふり」をする。

 

 私の塾に通う生徒(特に高校生)は、今、何をやると良いのかわかっているから、「色々と口出しすると『余計な口を出すな』となる」北大の経済学部を首席で合格し、首席で卒業したMさん(財務省勤務)や、北海道医科大学の医学部に首席で合格したTくん等、殆どの高校生は、私の教室に「自学自習」をしに来る。余計な事をやらせようとすると、睨まれる。(笑い)

 

 H君も然り、入会した時こそ、勉強方法や、マッピングのやり方を指導したが、3年間の殆どが自学自習だった。それから、テニス部で活躍し、遠征にも行っていた。でも、私の教室は辞めようとしなかった。彼とは、様々な話題の話もしましたね。

 

 最近思う事・・・。あらゆる面で便利になり、「考える力」とか「人に伝える力」というものが、早い段階で奪われているのでは?と、思う。幼稚園で手洗い場の蛇口を前に、園児が水が出ないと立ったままでいる。先生が蛇口の捻り方を教えようとすると、母親がセンサー式にならないかと言ってくる。で、改築してしまう。園児の様子をカメラで撮影し、職場にいる母親がリアルタイムで確認できる保育園もあると聞く。こうなると、幼児が帰ってから、保育園で何があったかとか、子供との会話が成立しない。

 深く考えない現象はあらゆる局面に弊害をもたらす。

大衆迎合へとまっしぐらである。教育とは、人間の奥底、本当に望んでいることは何かを洞察することがとても大事なのに・・・。

 

 

 For Ingrid『青年は荒野を目指す』作詞:五木寛之 作曲:加藤和彦

 You tube 歌:ザ・フォーク・クルセダーズ 

 

 

 

 ひとりで行くんだ幸せに背を向けて

 さらば恋人よなつかしい歌よ友よ

 いま青春の河を越え

 青年は青年は荒野を目指す※

 

 もうすぐ夜明けだ出発の時が来た

 さらばふるさとよ想い出の山よ河よ

 いま朝焼けの丘を越え

 青年は青年は荒野を目指す

 みんなで行くんだ苦しみを分けあって

 さらば青春の日よちっぽけな夢よ明日よ

 いま夕焼けの谷を越え

 青年は青年は荒野を目指す

 ※くりかえし

 

 ジュンはジャズを愛する20歳の若者だ。ソ連の客船バイカル号で横浜を旅立つ。高校を卒業したが進学せず、海を渡る。五木寛之さんの小説「青年は荒野を目指す」だ。モスクワ、ストクホルム、パリ・・・の街めぐり、人々との出会い、そして恋・・・。五木寛之さんの経験を下敷きにしたこの小説は、雑誌「平凡パンチ」で1967年に連載された。翌年には、ザ・フォーク・クルセダーズの同名楽曲も発表された。未知の世界へ、時代の空気感をとらえた二つの作品は、当時の若者たちに広く支持された。

 時代は違うが、3年前、H君は親元を離れ、東京に旅立った。旅立つ数日前、H君は友人のT君と一緒に、指導机を隔てて、私と向かい合っていた。

 『現役で難関大学に合格する高校生と、合格できない人の違いはどこにあると思う』という、私の問いに、『自分を如何に「律することが出来る」かどうかです』。と、きっぱりと答えた。

 H君は、彼が進学した大学で、何を学び、どんな友と出会い、どんな女性(ひと)とめぐり合い、どのように成長するのかとても楽しみだ。私は、旅立ってゆく、子供たちを見送るたびに、心がときめく・・・。