日本棋院と関西棋院との分裂について、表題記事より引用。

再統一の障害が、日本棋院の財政赤字と関西棋院の甘い段であることは、みんな知っている。

すみません、私は知りませんでした。

2つの障害のうち財政赤字の方が大きな問題である気がします。

段が甘いかどうかについて私は認識していないのですが、仮にそうだとしても十段とか十一段とか作って解決する方法があるので、それほど大きな問題ではないように感じます。

将棋の九段と同じ感覚で囲碁の九段を見ると確かに多すぎる気がしますが、将棋と囲碁は別物ですから、段位は囲碁界が自由に決めてよいことだと思います。

表題記事より引用。

そもそも全ての出発点は、競技すなわち戦って勝敗を決める興行の技芸(以下単に「技芸」という)の競技団体は人数を厳格に管理する必要がある、ということである。競技団体が無制限に人数を増やし続けて持続可能なわけがない。スポンサーのことを考えろ。

これは本当にそうで、囲碁も将棋も社会的需要に見合う金額までしか収入にならないので、今後の需要変動も考えた上で人数をきっちり管理しないとまずいことになります。

私は、日本将棋連盟の「三段リーグ」上位2人という仕組みもかなりガバガバだと感じています。(追記: 「三段リーグ」上位2人の制度を残したままでも人数調整が可能であることに気付きました。)

幸いなことに今はこの仕組みでうまく回っていますが、例えば日本の人口が半減した時もこの仕組みは維持できるのでしょうか。社会的需要が減ってきてからプロ入り人数を減らしても遅いので、かなり厳しめに絞り込んでおくことが望ましいように感じます。

例のレーティングサイトでレーティング対象となっているプロ棋士の人数を見てみた。
2023.4:464人
2013.4:413人
2003.4:337人
1993.4:333人
1983.4:275人
1973.4:218人
1963.4:150人
1953.4:78人

どんだけ増やし続けとるねん。

これは完全に同意します。人数が多すぎると、社会的需要が減ってきた時にごく短時間で破綻します。

完全に主観で書きますが、プロ棋士30人なら囲碁界は維持可能、プロ棋士60人なら維持は微妙、それより多くのプロ棋士を残すことはできないように思います。

なぜ私が「選手ファースト」という言葉が嫌いか、いろいろ考えてみたのですが、その根本は以下の話と共通しているように思います。

商いをする側が、信条として「お客様は神様です」を掲げるのと、客側が「私は神様です」と現実的に宣っちゃうのとは、等しく成立しそうで全くしないし、イコールで結びつきそうでいて結びつかない、という話である。

自分は将棋大会には一切参加しない、いつも運営員として頑張っている、という人が「選手ファースト」と言うのなら、まあ分からなくはないです (賛同はしません)。ですが、将棋大会に参加する人が自ら「選手ファースト」を唱えるのって、おかしくないでしょうか。

このところよく話題に上がる「カスハラ」とも共通している感じがします。

以前も書いたと思いますが、player-centered (player-centric) とかは全然構わないです。「選手ファースト」とは異なるものです。


大会参加者が「選手ファースト」を主張することは、客が「お客様は神様です (だから客の要求はどんな理不尽なことでも黙って実現しろ)」と主張することに等しいと感じています。

運営ができる範囲でちゃんと選手のことを考慮してくれ、という主張 (≒ player-centered) ならなるべく意向に沿おうと思うんですけどね。


事前申込制の大会なのに事前に申し込まずに当日やってくるような人は、運営側にとって最上級に近いくらい迷惑です。

運営側は、優秀な頭脳が集まる将棋大会の誰からどんな主張が出ても全て論破できるように、確率論の色々なことに注意を払いながら対局の組み合わせを考えていきます。そのために参加申し込みを事前に締め切っているのであり、参加人数が1人でもずれると大量の確率論的検討をやり直すことになります (事前申込者が当日欠席することは運営の責任ではないので再検討は不要ですが、1人増えた場合の組み合わせは運営の責任になります)。

その検討のため、私は最低でも8時間はほしいです (できれば24時間以上ほしいです)。

でも、当日やってくるような人がいたら、そういう検討をほんの10分間程度で終わらせて理論武装しないといけません。

「選手ファースト」の場合、そういう人を断ることができません。なにしろ、運営員の主張よりも選手の主張の方が「ファースト」ですから。選手の言い分がどんなに無茶苦茶でそれによって運営員がどんなに苦しもうが、「選手ファースト」である限りは選手の主張を採用しなければなりません。

 

子どもの対局相手をしている方ならすぐわかる問題です。

以下の写真で、子どもが座ることを想定している側は、左右どっち?

この blog を読んでいる方ならすぐわかったと思います。

  • 盤面は左端に寄せてあります。多くの机・椅子は大人の体の大きさに合わせて設計されているので、子どもが着座すると手が届きにくいです。少しでも子どもが指しやすいよう、盤は机の端に寄せます。
  • 棋譜が読めない子どもであっても少しずつ棋譜読みになれるよう、算用数字や漢数字は子どもの側から正しく見えるようにします。
  • 写真からは分かりませんが、子どもが着座した時に膝が机にあたりにくいよう、机の向きも考えて配置しています。

正解は「左側」でした。

表題の通りです。囲碁の話です。


正直に言いますと、今までの私は杉内寿子八段に良い印象を持っていませんでした。プロ棋士が高齢であることに価値はないと思っていました (今でもそう思っています)。

しかし、ちゃんと引退する方が少ない日本棋院において、自ら引退宣言をすることはかなり貴重だと思われるのです。

しかも、「2年間くらい対局してなくて事実上引退状態だから、引退宣言してしまおう」みたいな形ではなくて、最近 (2025年5月?) もちゃんと対局しているのです。最後の実対局から引退宣言までの期間が短いことも、素晴らしいことだと思います。

前出の記事の中では「6時間休憩なしの対局は、これ以上無理と判断いたしました」と述べていますが、これは多分、何年も前からそう考えてらしたんじゃないですかね。で、囲碁界に話題を提供するために頑張って対局して、夫の杉内雅男九段の記録を少し塗り替えることで話題をさらに1つ増やして、最後は自ら引退宣言。

杉内寿子八段に対する印象は、今日、ガラッと変わりました。


日本棋院は、新規棋士採用枠を絞りました。そして今日、タイトル通算10期の八段が自ら引退を表明しました。

こうした状況を受けて、現役のプロ棋士の方々はどう判断するでしょうかね。

できれば日本棋院には存続してほしいです。あと数年のうちに厳しい引退制度ができるかどうか、が焦点かと思います。組織改革の材料が少しずつ揃っている、と思いたいです。

私の息子が小学生の時、多分「最も固い囲いは穴熊囲い」のような書籍文章を読んで、相手の指し手も見ずに穴熊囲いばかりやっていた時期があります。

でも、組みあがるまで時間がかかるから金銀を剥がされてしまって、玉+香+桂 だけの囲いになったりしていました。私はこれを「最弱穴熊」などと呼んでいます。


これは、入門者の小学生が陥りやすい罠だと思うのですが、どうしたらいいですかね?

将棋の入門書では囲いがいくつか紹介されていて、知識をつける分にはいいのですが、RPG の防具店で防具を購入するような感覚 (必ず入手・装備できる感覚) で穴熊囲いを採用されると、相手から見ればよいカモになってしまいます。

手数が RPG での代金に相当するんだよ、ということを伝えたいです。

(そういう点では、将棋不動産の動画がよいかも知れません。)

私はかつて町内会の会長をしていました。連合会の会議に出席したら、私は (恐らく) 若い方から2番目で他の方は殆ど高齢者でした。町内会の業務が多すぎて「役員のなり手がいない」という問題がいつも課題にあがっていました。

実際には、単体の町内会の業務はそんなに多くなくて、体感的に8割くらいの業務が連合会から降りてきたものでした。

「この業務量を何とかしないと、存続できないな」と直感しました。


この状況が、日本棋院の状況と少々似ている気がします。

私の主観ですが、町内会の業務は8割削減しても存続が厳しいです。

私の主観ですが、日本棋院のプロ棋士を8割削減しても存続が厳しいように見えます。


削減・縮減って、実現は難しいものです。これは体験した人でないと分からないと思います。

私の2代後の町内会長さんが意気込んで町内会業務の削減案を提示してきたことがあります。でも、「あの業務も必要」「この業務も必要」という思考に囚われて、あまり削減できていない案でした。これも私の主観ですが、業務量の2割も削減できていない案でした。

町内会ってのは「〇〇をしなければならない」という使命から出発したら失敗します。人口増加期ならそれでもうまくいきますが、人口減少期ならほぼ必ず失敗します。

町内会の基本は「私は〇〇ならやってもいい」を積み上げることです。町内会員の「私は〇〇ならやってもいい」の総量が、その町内会の最大限の活動可能量です。そこを見失って「〇〇をしなければならない」を積み上げるとうまくいきません。

日本棋院も同じだと思います。「世界戦で勝つ」とか「囲碁を普及させる」とか、そういう使命から出発すると恐らく失敗すると思います。社会的な囲碁人気の量があって、そこから会費収入・免状収入・(sponsors を経由する) sponsor 収入などの総量が決まります。その量を超えて活動を行おうとすると、財産を食いつぶしていくか、プロ棋士や職員 (や囲碁愛好家) のやりがいを搾取していくか、何らかの歪な方法をとる必要があります。


私が所属する支部は、支部会員であるための義務は殆どありません。年会費を払うこと、「次年度も支部会員を継続します」と意思表明すること、くらいだと思います。

支部役員も基本的に義務はありません。都合が悪かったら1年間で1度も支部例会に参加しなくても問題ないです。「運営できる人が集まったら例会を開こう」という感じなので、集まらなければ例会を休会にするだけです。

義務感が一切ない支部運営がだいたいできている気がします。