表題の記事、なかなか良い記事だと感じました。
ただ、分量がかなり多いのでここで論ずることは難しいです。
以下、気になった部分を引用。
この記事では一旦「継続的に将棋に触れるようになった、一番最初のきっかけを作ったなにか」を普及という扱いにする。
今まで私も「普及」をちゃんと定義してこなかったのですが、「普及」の定義はこれでいいと感じています。
将棋人口が絶対的に減ることがほぼ確約されていると言っていい状況にあるわけだ。来年や再来年はわからないけど、10年後20年後となると、おそらく将棋人口は400万人を切っていくと思う。
この論点、将棋界の中でも真面目に考えている人はかなり少ないと感じています。
そもそも日本の年齢別人口分布が偏っていて、今の子ども達は多い年代の半分くらいしかいないのです。私たち大人がこの世から退場していくと共に、日本の総人口は確実に減っていきます。どこかで下げ止まるかも知れませんが、今の大人が生きている間に下げ止まりを体験することはないでしょう。
そういう中で将棋界はどう振舞うか、を考えなければいけません。相手がいないとつまらない競技です。人口減の速度以上に将棋の普及に影響してくるはずです。
大局料や賞金以外にも棋士には収入があるので、これはすごく乱暴な言い方になってしまうけど、将棋界のトップ8人が集合して、コスプレイヤーのトップをようやく抜かせるくらいの金額が動く世界が、将棋の世界。
こういう市場感覚ってものすごく大事で、将棋はかなり市場が小さいということを念頭に置いておく必要があると考えています。
…というか、市場が小さいのに日本国内の頭脳や才能などが何だか集結しているのが将棋界だ、と表現するほうが適切な気がします。推測ですが、プロ棋士の大部分は、年収だけ考えたら他の業界に行った方が成功したんじゃないですかね。プロ棋士の能力が汎用的かどうかは一概には言えませんが、まあでも私が見てきた限りではそう言っていい気がします。
普及の仕事としては、将棋のわかりやすい魅力を用意していないといけない。この、「難しいよ、他のゲームで良くね?」に対抗できるなにかを。野球でバットを振って真芯で捉えたときの感覚とか、フリースローでリングに当たらずしゅっとゴールする感覚とか、そういうわかりやすい快感を。
将棋って、対局に勝利した時の喜びがとても大きいじゃないですか。でも、将棋の楽しみ方の中心に「勝つこと」を据えると、究極的には藤井聡太七冠しか将棋を楽しめなくなります。まあそこまでいかなくても、県大会で県代表争いに残れる人くらいなら「勝つこと」を中心に据えてもいいかも知れません。そうすると、それ以外の人はどうやって将棋を楽しむのかを提示しなければ普及できません。
「観る将」ですらない、将棋の指し方も知らない、だけどほんのちょっとだけ将棋に興味を持っている25歳~50歳の女性 (棋力は25級程度) があなたの支部に年間20人訪れると想定してください。ほんのちょっとの興味ですよ、他にも娯楽は大量にあるこの時代に「とりあえず1回だけ」のつもりで支部に来た人ですよ。
そのうち2割の人が支部例会に通うようになるためには、将棋の楽しさとして何を提示したらいいと思いますか?
初めての将棋体験で勝たせてあげることは当然ですが、その勝利体験を楽しさの中心に据えると、連敗したらすぐに将棋をやめてしまうでしょう。
実証したわけじゃないので私も偉そうなことは言えないのですが、将棋の楽しさの中心に据えるものとして「多分これが最適だろう」という考えを一応持っています。
すみません、文章化はなかなか難しいです。後日機会があったら書きます。