この1年を通じてこれまで以上に様々なことについて考えさせられました。
考えさせられましたということには理由があるのですが、もし、新型コロナウィルス感染症という未曽有の災禍がなければ命の意味についてこんなに深く考える機会がなかっただろうと思うからです。
恐らく多くの方々が同じ思いでおられるのではないかと思います。
このブログは本来、ジグリングという保存療法の普及のために始めたのですが、
前回のオリンピックの話に続いて、
少し違う角度から仕事ということについて考えてきたことを書かせていただこうと思います。
これは何度も書いてはみましたが、このブログの趣旨にはそぐわないと判断し掲載はしなかった内容になります。
いつどんな形で、命の終焉を迎えるかわからない昨今ですから、
こうして思ったことを発信することに多少の意義を感じ書くことにいたしました。
私は、これまで一緒に働いていただいた方々に年齢を問わず、
私自身が感じてきた仕事=命の意味について話をさせていただいてきました。
私の年齢的にも上からの目線になってしまったこともあるかと思いますが、
一緒に仕事をする限りはこれだけは考えながら仕事をし、人と接するようにしてもらいたいとの思いからのことです。
しかし、私自身も人に認められたり、自慢できる能力があるわけではありませんので、
説得力にはかけていたことは否めませんが…。
医師に限らず、医療に携わる仕事に置いて、必ずと言っていい程出会う言葉があります。
一般にGCPと言われています。
GCPとは、Good Clinical Practice の略となります。
医療におけるGCPを調べると色々とでてきますが、
私がジグリング療法のご提唱をされた井上先生から学んだGCPは、
「すべては患者さんのため」に帰結していました。
これはお話しても良いことかどうかは、非常に迷いましたが、敢えて書くべきと思いましたので、初めて書かせていただきます。
ジグリングの有効性について各地の医療施設を訪れた際によく、ジグリングで患者さんが治ったら病院は利益が上がるのかと質問を受けたことがあります。
病院は、手術をすることで大きな収益を上げるため、ジグリングのような保存療法で治療が完結してしまえば、病院の収入減につながる恐れがあるからです。
この点は、井上先生が一番危惧されておられたこととなります。
大多数の医療従事者は、患者さんのために一番利益になる治療法を選択しますが、
中には収益を上げるため、安易に手術をすすめようとする医療従事者がいることに対して先生は警鐘を鳴らされておられました。
手術は最後の手段、それまでにできるだけのことを実施して、それでもだめなら手術。
先生の著書にも書かれておられますが、
移植医療は医療の敗北とまで言われておられました。
言葉の表面的な意味だけを捉えられると誤解も生じる見解ですが、先生は医療従事者としてのあるべき姿をこれからを担う医師の方々に伝えたかったのだろうと推察いたします。
医療も経済活動なのか?
医療も仕事である限り、経済活動に重点を置いて考えるべきなのかという問いは、
ジグリングに携わってから常に考えています。
仕事とは、経済活動抜きにしては成り立たないものなのか…
その答えには、未だ辿りついてはいないまでも、
GCPという概念を基本に考え、
仕事は、字のごとく、事に仕えるべきであり、
お金に仕えるものではない。
世の中の経済活動の多くは、事に仕える仕事ではなく、お金に仕える仕金ではないかと思うようになりました。
その是非を問うつもりは、ありませんが、少なくともやりがいのあることを見つけるためには、
事に仕える仕事という考え方が大切なのではないかと考えるようになり、
知り合った方々、身近な方々にはこのことを一度はお伝えするようにしています。
近頃、価値観の変革の節目の時代とよく言われるようになりました。
最近の情勢を見ると本当にそうであると思います。
何が正しくて、何が正しくないのかは私ごときの能力では図り知ることはできませんが、
少なくともジグリングという仕事を通して利他の心を学ばせていただいたことに、
これからの時代を担う若い方々に伝えて行かなくてはならない何かに近づいているのではないかと考えるようになりました。
わたしに与えられた時間の中で、何をどのようにできるのかはわかりませんが、
ジグリングという保存療法を必要とされる一人でも多くの患者さんにジグリングの有効性をお伝えできればと、今、考えこのブログを書かせていただいております。