年齢と体重、増えるのが嫌なのは? ブログネタ:年齢と体重、増えるのが嫌なのは? 参加中
 今回も、微妙な設問であります。
自分が現在、青春時代真っ盛りの段階だったら、即、体重増加の方が嫌だと言いますね。

 でも、人生も今の段階では、残された寿命を考えた場合、この選択は、究極の選択に限りなく近くなりますね。(砂を振りかけた御飯と、土を振りかけた御飯と、どうしてもどちらかを選んで食べなくてはならなければ、どっちを選びますか、なんて類いの問題同様ですね。)

 体重が適度に増えるのは、健康的なんでしょうが、この設問の場合は、おそらくは肥満体になることが前提と解釈する訳ですから、そうなった時の自分のスタイルのイメージは最悪ですね。それに、メタボという非健康的な状態もおまけに加わるのですから、あんまり考えたくない展開です。
 それに、透析患者の場合は、体重の増加はおそらくは御法度と考えていいのでしょう。合併症も当然出ますし。動脈硬化症も怖いです。ここだけの話ですが、透析患者では、血管の石灰化による動脈硬化は、体の色々なところで起り得るということです。そして、あまり知られていないのですが、男性の大切なところが、動脈硬化で壊死を起こして、もう一つの大事な器官と共に切断という悲劇に見舞われる患者もいるそうです。恐ろしいことです。動脈硬化は、悪玉コレステロールや、中性脂肪が引き金になっても起こりますから、喫煙と肥満は、健康の大敵であります。
 太っていると、腰や足にも負担が来ますから、やっぱり受け入れることはできません。

 では、年齢が増えることはというと、当然、死に近くなっていく状態を表わすものですから、いつまでも人生を楽しみたい僕としては、とても悲しいことです。

 でも、人間は誕生の瞬間から死へのスイッチが入るのは、誰もが同じ事なんですよね。古来、権力を手に入れても、不老不死を夢見て、その方法を手に入れようとあがいた末、死んでいった権力者の話は尽きません。ましてや、名もなき多くの民は、歴史の忘却の世界に消えていったんですよね。

 肥満になって、健康問題や見た目に気苦労するよりは、自然の摂理を受け入れて、年齢を重ねることは仕方ないことなんですね。そうだったら、少しでも充実した時間を過ごすように頑張ってみる必要がありそうです。
 なるべく、多くの人と、有意義な交流をしながら、また、少しでも社会に貢献できたら、諦めることができるのかな?仏教で「諦める」というのは、悩んで、考えて、これ以上結論が出ない段階を指す言葉だそうです。死というのも、いくら考えても受け入れざるを得ない「明らかな事」ですから、「諦める=明らかにする」境地に属することなんですね。そう、生きている内が花なんだと居直って、上手に年齢を増やしていきたいです。



自分をひらがな一文字に表わすと? ブログネタ:自分をひらがな一文字に表わすと? 参加中
 これも、ちょっと考え込んでしまうブログのお題ですね。

 「み」にしておきます。一つは、自分の干支が「巳」なので。性格も、蛇のようなのかななんて思っております。

 もう一つは、「み=実」で、「木に生る存在」→「気になる存在」になりたいですね。もともと、地味な性格なんで、あまり目立つ存在ではありませんでした。でも、人生も終わりの時期にさしかかって来ると、何か、自分の生きた痕跡を少しでも残したいという気持ちが生じてきました。
 自分が今、透析医療を受けられることも、運が良いといつも感じています。一昔前だったら、器械もなかった。その後は、経済上の理由から、多くの人が透析治療を断念して亡くなっていた。現在は、透析患者の先人の社会に対する運動の成果を誰でも受けられるようになっています。透析導入になると、身体主会社手帳も交付され、透析医療に関する医療費も、実質無料で受けられます。
 もし、一昔前に生まれていたら、あるいは、現代でも、貧しい外国で生まれていたら、透析医療を受けることなく、当然のように死んで行ったでしょう。

 だから、今の状況にはとても感謝しています。その分、残りの人生で、少しでも社会の役に立つことや、透析患者の充実した透析ライフのために、出来ることをやって生きたいと思っています。

 地域腎友会が、昨年立ち上がり、先日、地元での最初の定期総「会と、第1回目の「透析サロン」が無事終了しました。「透析サロン」では、日ごろお世話になっている臨床工学技師の方の透析の基本的な話をしてもらった後に、患者の質疑応答で、日ごろ疑問に思っていることなどの情報交換をすることが出来ました。

 地域腎友会の活動のお手伝いも、出来る範囲で続けて生きたいと思っています。

 手話については、年齢上から、技術の向上は望めません。その分、地域の手話力の一番下の部分で、サークルを通じて、少しでも、地元のろう協のお手伝いが出来たらいいなと思っています。

 残りの人生を意義のあるものにしたい、特に地域腎友会の活動のお手伝いをして、今までの消極的な人生と比べて、ほんのちょっとでも、「気になる存在」になってみたいという気持ちです。その意味で、自分を「み」の字で表現できたら良いかなっと思って登校しました。

 「み」の程を知るべく「み」のようにでかくなくていいんです。



頼みごと、上手に断ることできる? ブログネタ:頼みごと、上手に断ることできる? 参加中
 人から頼まれた時、特にそれが友人や知人だった場合、断ることはめったにありませんね。多少無理があっても、依頼者の期待に添いたいなんて思ってしまいます。特に親しい人でない場合も、相手の押しが強い場合は、なかなか断れません。この年になっても、「いい子でありたい」なんて、郵送性気分が抜けきれないのも、その理由の一つかも知れません。
 
 僕自身は、余り人に頼みごとをするのが苦手です。行事などで、ものを売ったりする時は、かなり強引に相手をおだてて、買ってもらうことなどは平気なんですが、頼みごとが自分に関する個人的な場合は、依頼するのが難しいです。それに関して、後悔する思い出があります。大学時代のことです。高校の時に、病気で長いこと休学していたので、大学に入った時は、同級生はほとんど年下でした。また、腎臓病だったので、学校の授業の往復だけでも、結構大変だったので、同級生と交流することはありませんでした。普通だったら、大学時代、学校の友達がいても良いのですが、僕の場合はいませんね。自分の時間を中心にする必要があったので、好きな観劇とか、コンサートを聴きに行くのも、同級生と一緒なんてことはあり得ませんでした。
 病院にも、定期的に通院しなくてはならないので、講義を休むこともありました。何とか、出席日数を確保して、定期試験で落第しないように、休んだ分は冷や冷やものでした。友人がいれば、講義のノートを見せてもらえるのですが。そうしたことも期待できなかった訳です。
 でも、ドイツ語の科目で、夏休みに課題の図書を読んで感想文を提出するという宿題が出ました。読書は好きですし、課題図書の内容も自分好みのものだったので、感想文を書く所までは順調にいきました。問題は、提出日でした。その日は、病院へ通院する日なので、講義を休まねばなりません。といって、同級生の友人はいないので、誰に提出を頼むかが問題でした。
 同じクラスの中に、僕と同じ年の、おとなしい目立たない学生がいました。思い切って彼に頼みました。彼のおかげで、無事に宿題を提出して、ドイツ語は単位獲得できました。
 彼は、きっと性格が良くて、人から頼まれても断れない性格だったんですね。僕は、本当は、それを機会に彼と何らかの関係を構築すべきだったのです。まずは、お礼に食事くらいおごるべきだったのです。でも、当時は、病気と自己中心型の生活で精一杯だったので、彼に「ありがとう」といっただ毛でした。年齢も一緒だし、友人になるチャンスはあったはずです。駅で、彼の姿を見かけることもありましたが、声をかけることもできませんでした。今考えると、何故、ああした行動をとったのか良く分からないのです。だから、現在も彼に対しては申し訳ないことをしたと思っています。
 もう人生の終局に入っている今でも、彼にもし会える事があったら、当時の感謝の気持ちとお詫びを言いたいと思っています。

 彼の事も、人から頼みごとをされた時に、断るのが苦手な原因の一つです。それに、物事には、何事にも2面性がありますから、人から頼まれやすいとう事と同時に、頼まれるうちが花なんだという意識もありますね。自分で、多少の無理をしても、相手の依頼に応えられ時の相手の喜んでくれる顔を見られるのなら、まあ、いいかって言う気持ちが強くなります。

 そういう人に私はなりたい、なんてね。



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