炎天下に | ディックのロードバイクと共に

ディックのロードバイクと共に

50代にして始めたロードバイク 。様々な艱難を克服した満身創痍のローディーが綴るブログです。興味を持たれましたら、どうぞご一読ください。

これを日焼けとはいわない 

 
 
これは5月のライド記録。
梅雨入り前のこの時期は、気候も穏やかでロングを走るのにはもってこい。なので、時間にゆとりのある週末に術後初の100km超のライドを敢行。  
個人的には北摂方面を走りたいんだけど、あのエリアは山ばかりなので、100kmで1700mくらいは軽々とクリアしてしまうのです。まだ本格的に峠を登っていない、この時点での脚力では走破できる自信は全くなし。なので、以前からマークしていた大津市を流れる大戸川沿いのルートで信楽方面に走ってきました。
その結果、走行記録は以下のとおり。
 
距離 122km
獲得標高 1164m

 

結論から言うと、距離よりも獲得標高よりも、ただただ暑さだけがつらいライドでした。

暑さには極端に弱いのに、炎天下の下で走ることは身体も心構えも準備できておらず。

これが灼熱地獄かと思ったくらい。

 

 

当日の状況。まず朝8時前スタート。

淀川CR~木津川CRと走り抜け、写真は木津川CRとR307との合流地点。Stravaにログをアップするときの定点撮影ポイントです。空は抜けるような晴天ですが、まだ爽やかな天候。

 

 

R307は、上方温泉一休京都本館あたりから宇治田原町のかつぜん(とんかつ屋)までの間は歩道が無く、ほぼ意味を成さない路側帯が引かれた片側1車線のくねくね道だったのが、新道が開通して歩道付きの直線路へと様変わり。旧道の入り口は、この時既に封鎖。

 

 

そして宇治田原町から望む新名神工事現場。以前来た時よりも、工事が進んでいます。

今回の走行ルートの前半は新名神の予定ルートと付かず離れずなので、延線状況が走りながら見られるのが面白い。

 

 

MAP緑のラインが走行ルート、赤線が新名神予定ルート。

 

9:40 猿丸神社。直前の登坂路で汗だく、心地よい風が吹いているにもかかわらず。

 

猿丸から琵琶湖方面に下っていくと鹿跳橋。この手前を右折して関津峠。

 

関津峠から北東方向に向かって走り、大戸川に合流すると見えているのが新名神の工事現場。

 

写真は地図の緑のマーカーあたりで10時半過ぎ。陽光がじりじりと照りつけてきます。

穏やかな天候と思っていたこの日は、30℃近くまで気温が上昇するほぼ真夏日なみでした。

 

予定では、大戸川沿いに走る2本の道路のうちMIHO MUSEUM方面へ曲がることができる川沿いの旧道を走る予定でした。

 

でも2本の道路の分岐点がわからないまま走っていると、道はどんどん高度を上げていき、まるで高速道路みたい。

 

 

時折このあたりを走っているショップ仲間のきー坊さんに現在地をLINEすると、やはり道が間違っていたみたい。川沿いの方の道を走ってと連絡あるも、ここからまた戻るのも癪だし、なんとか降りていける道をさがしてみたら

 

 

この道路を建設したときの資材搬入か作業員のために作られたと思しき、下り坂を発見。

 

 

地図上では下道と繋がっているので、喜び勇んで降りてみたら

 

 

下道とはフェンスで封鎖されていました。(ーー;)

上の入り口にもせめてフェンスしておいてほしいな。全く無駄足を踏んだわ。

ここで11時15分。太陽光が段々とつらくなり始め、ヘルメットの中もまるでサウナ。

 

 

あとはひたすらペダルを回しているだけの記憶しかなくて、ほとんど写真がない。これは全く余裕がなかったことを示しているのです。

特にMIHO MUSUEMまでの坂が地味にしんどくて、脚が削られてしまった。信楽のセブンイレブンで30分ほど休憩を取ったら、あとはR307で復路に。

 

image

 

家に到着すると、見事な日焼け跡。

 

 

翌日には赤みを帯びてきて

 

 

数日後には、腕の皮が剥け出しました。この状態変化を見ていた家族からは、日焼けではなく火傷やん との総評をもらいました。

 

術後初の100km越えでしたが、後半は暑さとの闘いでした。これからの季節は益々日中に走ることがしんどくなってくるので、より早朝へのシフトをしなければなりません。

あるいは北摂方面に涼を求めて走る方がいいかな。