人の本性を暴くものとして
人のストレスを解消するものとして
飲まなければ、
本性を出す事もできず、
楽しむための引き出しさえも
アルコールの力を頼らなければ
発揮することもできず
また、後の「言い訳」にも
必要不可欠だ。
当然、何一つ悪いことはない。
車の運転と同様、
その人の本質が出るだけだ。
事故をした時に使えるのが
お酒を飲んでいたと言えるだけだ。
=本性を出してしまいました。
そのことを楽しむのは
もちろんとても楽しく面白い。
いいことだと思う。
ただ、社会的責任が大きい者ほど
楽しくなさそうではある。
みんな、本当を出したい。
本当で生きたい。
ただ、本当で生きることは
みんなに迷惑をかけることなので、
ルールと理性でそれを抑える。
これがストレスとなる
永久機関。
しかし、社会が緩やかになれば
皆が本性を出せる世界が作れる。
比較的緩やかな社会=SNSでは
すでにそれが多発している。
お酒を飲もうが飲むまいが
人間性は変わらない。
品位はそのままである。
誰もが甘えたい。
お酒に甘え、本性を出す。
それを酒の席と
みんなが棚にあげる。
明日は我が身だから?
我が身の品位に自信がない。
要は、本性が出せない。
そういう本性の人間だから。
だから、人は学ぶ。
失敗を繰り返し、
人の振りを見て我が振り直し、
学び続ける。
それが人が与えられた力。
今を築き上げた力。
失った者はもうどれくらい
この社会に蔓延しているのか。