■社宅のあった東横線綱島から
相鉄線鶴ヶ峰に移り住んだのは昭和55年、1980年
今年でもう27年になる。
この間、町内会の役員としての活動には参加したことはなく、
10年に一度回ってくる組長の役目も、
松下在籍中は、カミさんに任せたままだった。
近所付き合いがなかったというわけではなく、
町内会の最小単位「組」である10軒会では、
年に2~3度、総出で、周囲の草刈があり、
これには、余程の事がない限り参加していた。
これで結構お隣さんとの絆は築けていたが、
率先して仕切っていたわけではない。
役員としての活動は、会社勤めの身には困難だった。
今月、10年ぶりに組長の役目が回ってきた。
今は、松下を去り、事業もカミさんと一緒に進めている。
最早、町内会活動をカミさんに頼む由もない。
意を決して、月に一度の組長会議に出席した。
町内会役員の方が20名強、
新組長20数名、総勢50名弱の集まりだった。
ほとんどの人を存じ上げなかったことをまず恥じた。
長く努めているという会長さんが、
上部での会議をとうとうと報告いただいた。
そうか、こんなに地元で頑張ってくれている人がいるんだ、
と頭が下がる思いだった。
自分は、会社で頑張っているから特別なんだ、
何も近所の事はしなくてもいいんだ、
という思い上がりにも似たものが、
地元活動からの阻害要因になっているような気がした。
新人組長なんだから、
最後までおとなしくしていよう、目立たないでいよう、
と思ったけれど、
やはり、最後に少し発言してしまった。
このあたりは、どうしようもないところ。
町内会会費の領収書と町内会の地図を
ご近所に配って回ったが、
奥さんはどうしたの?具合が悪いの?と言われた。
町内会活動が違和感なく受け入れられるには
かなり時間がかかりそうな気がする。
団塊の世代、こんな思いをする人は多いのでは。