今日は職場のOBの方と登山。
候補の山の中から、四王寺山に決定。
四王寺山は太宰府市・大野城市・宇美町にかけての4山(岩屋山・大城山・大原山・水瓶山)の総称。
古代の大宰府は外交・防衛の拠点で、白村江の戦に敗れた倭国(日本)は大宰府を守るために平地に水城を、大城山山頂に大野城を築いて防衛線とした。
その後、大野城があった場所に四天王を祭る寺院を建て四王寺とよんだのが四王寺山の名の由来。
低山だが、至る所に古代・中世の遺構や石仏などがあって、それらすべてを訪れるには主要なルートから外れることも必要で、完全踏破は初心者には困難。
いくつもの登山ルートの中から、今回、OBの方には麓の大宰府政庁跡(都府楼跡)から出発して岩屋山山頂(岩屋城跡)に寄り、焼米ヶ原に至るルートを紹介(下図の黄色の縁取り線)。
(参考)
・焼米ヶ原 ⇄ 大原山 ⇄ 大城山 ⇄ 焼米ヶ原とぐるっと巡ることが出来る
・焼米ヶ原 ⇄ 水瓶山 ⇄ 太宰府天満宮/西鉄太宰府駅のコースもある
大宰府政庁跡の駐車場に車を止め、そこから山に向けて11:00に出発。
「令和」で有名になった坂本八幡宮を過ぎて、自然歩道の入り口から入る。
広葉樹の森はいいね(杉の植林エリアもあったが)。
土の登山道には樹の根が無数に張り出している。
岩屋山山頂(標高281m)には、1586年に島津氏と戦って滅んだ岩屋城跡の石碑があり、少し離れた場所には最後の城主・高橋紹運の墓がある。
岩屋城跡の石碑
岩屋城跡から太宰府市・筑紫野市を眺める(南 ← 南西 → 西)
岩屋山から進んで少し登り、焼米ヶ原に到着。
四王寺山には太宰府天満宮から宇美町へ抜ける舗装道路(四王寺林道)も通っており、焼米ヶ原の入り口には駐車場もある。
焼米ヶ原は奥へ進むほど標高は高くなり、一番奥(標高330m)の見晴らしのいい所で昼食。
焼米ヶ原
帰りは行きのルートを逆に辿る。
大宰府政庁跡に戻ったのは13:30
天気が崩れる前に帰り着けて良かった。
登山者とすれ違う時には挨拶。
家族連れもいて、登りで会った10歳くらいの男の子からは「おかえりなさい!」と挨拶されておかしかったし、下りで会った12歳くらいの女の子は大きな声で「こんにちは!」と挨拶してくれた。
山では街中では見かけない鳥に出会うのが楽しみだが、今回は山ならではの鳥には会えず、四十雀、鶯、烏、雀だけだった。
昆虫では、自然歩道に入ってすぐのところでハンミョウ(斑猫、歳時記では「道をしへ」で夏の季語)を見つけた。
次回の四王寺登山の記事