感音性難聴とよばれる聴覚障害がある。
加齢・病気・長時間の騒音(大音量)など様々な原因によって起こり、現在でも根本的治療法はない。
感音性難聴になると、「音が鮮明に聴こえない」「特定の周波数帯の音が聴こえにくい・聴こえない」そして「聴こえる音の大小範囲が狭くなる」。
「聴こえる音の大小範囲がせまくなる」=「ダイナミックレンジが狭くなる」。
それを図示すると以下のようになる。
感音性難聴では小さくて聴こえない音の範囲が広がり、うるさく聴こえる大きな音の範囲も広がる。
こうして、正常な聴力の場合よりもダイナミックレンジが狭くなるだけでなく、普通(快適)に聴こえる音の大小範囲がさらに狭くなる。
従って、感音性難聴の人に合わせる補聴器では、聴こえない・聴こえにくい小さな音を大きくし、逆にうるさい音は小さくする。
これをワイドダイナミックレンジコンプレッション(コンプレッション:圧縮)という。
感音性難聴でも聴きやすいように、音のダイナミックレンジを狭くしてその人の聴覚に伝えるのが補聴器の主な役割(他に、トーンコントロールやハウリング抑制など)。
音楽ソースを CD などのメディアに収録するには、レコーディング、ミキシング、マスタリングの過程を経る。
ミキシングにおいては、ヴォーカルや各楽器の定位や音量バランスが良くなるようにそれぞれのダイナミックレンジの調節(圧縮)が施される。
マスタリングにおいては、メディアに収録可能なダイナミックレンジの範囲内に音楽信号を収め、かつ、聴きやすくなるようにダイナミックレンジの圧縮が行われる。
そう、やっていることは補聴器と同じで、その目的に使用される機器がコンプレッサー。
しかし、コンプレッサーを過剰使用すると収録音量や平均音量が高過ぎになり、ダイナミックレンジが狭く広がりも奥行きもない喧しい音になる。
さだまさしが JVC ケンウッド・ビクターエンタテインメントへ移籍してからアルバム第1作『Reborn』、第2作『存在理由』、第3作『孤悲』 と出るにつれてダイナミックレンジが失われた喧しい音になっていった。
そして今月、第4作『グレープセンセーション』の CD が出た。
今日まで CD を通しで聴く時間がなかったため、3曲の収録音量波形だけ解析しておいたのが以下の記事。
そして今日、通しで聴いた。
収録音量・平均音量が最も高いと感じるのはトラック8の「春風駘蕩」で、案の定、高過ぎで落第。
「春風駘蕩」平均音量 -11.17 dB
今回のアルバムの各曲の平均音量は、アルバム『孤悲』よりも 2 ~ 3 dB ほど下げられたが、まだ高過ぎる。
全10曲にわたりヴォーカルは太く重たく、アコースティック・ギターや伴奏のストリングスの音は伸びも広がりも乏しく沈んでいる。
大多数のリスナーがイヤホンやミニサイズ・スピーカーなど再生音量が小さく低音域が貧弱な機器で聴くことに合わせて、エンジニアがミキシングやマスタリングでコンプレッサーを過剰使用し、かつ、低音域をやたらとブーストして収録している。
そんな CD を本格的なスピーカーで聴くと最悪の音。
仕方なくトーンコントロールの BASS を思いっきり下げると、少しはマシな音になる。
さだまさしによる歌詞と作曲は素晴らしく、せっかく他のギタリストを起用せずに吉田政美とギターを弾いているのに、それらの価値を音質が台無しにしている。
こんな音にプロデュース・サイドがOKを出したのか、それとも、初めからプロデュース・サイドがエンジニアたちにそんな音になるよう指示したのかは分からない。
いずれにしても、前作に続き補聴器のような音作りでアルバムを制作したことに対して、「音楽制作に携わる者として恥ずかしくないのか」「いい加減にしてくれ」と怒鳴りたい気持ちだ。
このようなコンプレッサー過剰使用の CD のレビューで「いい音」とか「いいオーディオ機器で聴いて欲しい」とかを見かけるが、このような音をいい音と感じる音楽業界とリスナーが多数派だとしたら、もう御仕舞である。
<参考・比較の収録音量波形>