2018年 米国、初の痘瘡(天然痘)治療薬テコビリマットを承認 | 俳句銀河/岩橋 潤/太宰府から

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1978年、痘瘡 (天然痘) の最後の犠牲者となった英国の Janet Parker は、自身が勤務する大学の研究室の階下の研究室から漏れた痘瘡ウイルスに感染して亡くなった。
その2年後の1980年に世界保健機関が痘瘡の 「根絶宣言」 をして以来、自然界には痘瘡ウイルスは存在しないとされる。
国家・団体・個人が痘瘡ウイルスを所持・使用することを禁止する世界的運動により、現在、痘瘡ウイルスは米国とロシアそれぞれ1か所の研究施設だけに保管されている (当初、そのウイルスも廃棄する計画だったが、バイオテロ対策の研究上必要だからと廃棄されないまま)。
 
しかし、2014年、アメリカ NIH において、使われなくなっていた研究棟での引っ越し作業中に、倉庫から Variola (痘瘡ウイルス) のラベルが貼られた6本のバイアルを含む多数の病原体保存バイアルが見つかり、うち2本の Variola バイアル中のウイルスは培養細胞で増殖したことが報告された。
バイアルの保存年月日から実に60年も経っていたにもかかわらず、バイアル中の痘瘡ウイルスは生きていた。
世界最高レベルの研究機関でも痘瘡ウイルスの管理が徹底されていなかったことは、他にも同様の例があるのではと危惧される。
また、秘密裏に痘瘡ウイルスを所持している国家・団体がないとの保証もない。
 
自然界から痘瘡ウイルスがなくなったということは、自然感染する人がいなくなったことを意味する。
つまり、「免疫」 がないということ (記事末尾の参考を参照)。
秘密裏に痘瘡ウイルスを所持する国家・団体が、ウイルスを使ってバイオテロを行えば、たちまちパンデミックになる。
そのため、バイオテロに備える国もあり、日本もその国の一つ。
 
痘瘡に備える最大の手段はワクチンであり、Edward Jenner の種痘法発表以来、ワクチンに使用されるウイルス (ワクシニアウイルス) の弱毒化が進められている。
日本では現在、1976年に千葉県血清研究所が開発した弱毒ワクチン株 LC16m8 を国家備蓄している。
同研究所は既に廃止され、ワクチン製造事業は化血研に移譲されたが、2018年に同事業は Meiji Seika ファルマを主体とする KM バイオロジクスに移譲された (商品名 『乾燥細胞培養痘そうワクチンLC16「KMB」)。
 
米国はイラク戦争時、イラクが痘瘡ウイルスを含めた生物兵器を使用するのではと考え、イラクへ赴く兵士にあらかじめ種痘 (ワクチンの製品名 ACAM2000) を行った。
弱毒化されているとはいえ、生きたワクシニアウイルスに対して、免疫が低下している人、アトピー性皮膚炎の既往歴がある人、妊婦では重篤な副反応のおそれがあり接種禁忌となっている。
重篤な副反応とは脳炎・脳症、進行性種痘疹 (進行性ワクシニア)、種痘性湿疹 (ワクシニア性湿疹) とよばれる疾患で、致命的になることもある。
 
米国でもワクチンを国家備蓄しているが、種痘以外の手段も必要なことから、米国では化学療法つまり薬剤の開発にも力を入れてきた。
そして2018年7月13日、米国 FDA は初の痘瘡治療薬として tecovirimat (テコビリマット;製品名 TPOXX) を承認。
この薬は、SIGA Technology 社と米国 HHS のバイオメディカル先進研究開発局との共同開発によるもの (画像、SIGA Technology のウェブサイトより転載)。
 
200 mg × 42 カプセル
 
投与対象は成人および体重 13 kg 以上の小児で、痘瘡・サル痘・牛痘の治療および種痘による重大な副反応の治療に使用。
承認されたのは経口用だが、静脈注射用でも承認を目指している。
承認前に使用例があり、イラク戦争に赴く兵士に種痘をし、発症した進行性ワクシニアの治療に tecovirimat を含む併用療法を数か月間行い (下図)、救命した。
 
<論文 J Infect Dis. 2012 Nov 1; 206(9): 1372–1385. より引用>
 
Oral ST-246: tecovirimat 経口投与
Topical ST-246: tecovirimat 局所投与
CMX001: brincidofovir (二本鎖DNAウイルスに広く増殖阻害効果がある薬)
VIGIV: ワクシニア免疫グロブリン静脈注射
G-CSF: 顆粒球コロニー刺激因子
各薬の右にあるボックスやバーの色は、薬の投与量や回数が多いほど濃く表示されている
 
この治療中、実は tecovirimat に耐性のワクシニアウイルスが現れている。
耐性ウイルスは、3月23日の検査で初めて検出された。
tecovirimat は、痘瘡ウイルスやワクシニアウイルスなどが含まれるオルソポックスウイルス属のウイルスのエンベロープとよばれる外被膜に存在する p37 タンパク質のはたらきを阻害する。
現れた耐性ウイルスは2種類。
1つは p37 をコードする F13L 遺伝子の869番目の塩基シトシンがチミンに変異し、それによって p37 の290番目のアミノ酸がアラニンからバリンに置換していた。
もう1つは、943番目の塩基チミンがアデニンに変異し、それによって315番目のアミノ酸がロイシンからメチオニンに置換していた。
 
もし tecovirimat だけで治療していれば、耐性ウイルスが増殖を続けて兵士は助からなかっただろう。
図中の、「2 Apr Last day viable virus detected」 とは、兵士の体から生きたウイルスが検出されたのは4月2日まで、を示す。
耐性ウイルスが検出された3月23日のすぐ後の3月26日に、brincidofovir の初回投与が行われたことに注目。
このように、複数の薬を併用することにより、治療中に現れた耐性ウイルスも消滅させることができた。
 
ワクチンの国家備蓄と化学療法 (薬剤) の両方で対策を進めている米国に対し、日本では上記のようにワクチンの国家備蓄だけという現状であり、ワクチン株 LC16m8 も免疫が低下している人、アトピー性皮膚炎の既往歴がある人、妊婦は接種禁忌 (メーカー添付文書)。
 
 
  参考  
 
ヒト体内である程度増殖する弱毒ワクシニアウイルスを用いた種痘について、世界保健機関によれば1回接種で痘瘡に対するじゅうぶんな予防効果の持続は5~10年 (リンク1リンク2) 、米国疾病予防管理センターによれば3~5年 (リンク)。
上記の、痘瘡による世界最後の死者となった Janet Parker は、亡くなる12年前の1966年に種痘を受けていた。
 
 
  追記  
 
tecovirimat 経口薬について
2021年12月、カナダ承認
2022年1月、EU 承認
 
tecovirimat 静脈注射薬について
2022年5月、米国 FDA 承認