祭りのあと | ダカールな日々

ダカールな日々

徒然なるままに不定期に気が向いたら更新します。競馬やダビスタの話題が多いですが、稀に別の話題にも触れます。

2018年に誕生したサラブレッドによる最強決定戦である第82回優駿牝馬(オークス)と第88回東京優駿(日本ダービー)が恙無く終了しました。優駿牝馬はミルコ・デムーロ騎手騎乗の⑨ユーバーレーベンが、東京優駿は福永祐一騎手騎乗の⑩シャフリヤールが、それぞれ優勝しました。



優駿牝馬は英国のオークスに範を取って創設されました。今では「樫の女王」と言われますが、実を言うと「樫」とは関係ありません。確かにオークスは英語でoaksと表記しますし、英語でoakは「樫」という意味があります。しかしオークスというレース名は地名が由来となっています。このオークスという地に樫の木が繁茂していた事から樫の女王と言うようになったのかもしれません。

東京優駿は英国のダービーステークスに範を取って創設されました。そもそもダービーステークスは第12代ダービー伯爵のエドワード・スミス・スタンリーにより始められた持ち馬の競走に端を発しています。「ダービー馬のオーナーになる事は一国の宰相になるのよりも難しい」とはウィンストン・チャーチルの言葉です。日本国内だけでも7,000頭以上のサラブレッドが誕生します。そこから最終的にその栄光の舞台に立てるのがたったの18頭なのですから、その舞台に立てるだけでも名誉な事だというのが分かります。

これは優駿牝馬も然りです。単純に半分だとしても、牝馬は3,500〜3,600頭は誕生する計算になります。その中から優駿牝馬に出走できるのが18頭ですから、無事に出走できるのが名誉な事なのです。

ちなみに三冠競走創設の範を取った本場英国はダービーよりもオークスの方が早く創設されています。オークスの由来と共に話してみて下さいグラサン


優駿牝馬は⑨ユーバーレーベンが優勝しました。ゴール後、鞍上のミルコ・デムーロ騎手は天に向かってガッツポーズしました。ユーバーレーベンを見初めた故岡田繁幸氏(馬主であるビッグレッドファームの総帥)への手向けであった事は間違いありません。自分の馬で三冠を勝つというその思いが生前に達されなかったのが非常に残念ですが、このユーバーレーベンの勝利で成就し、馬も強かったですが、本当に良かったと思いました。


東京優駿は胸すく叩き合いで素晴らしいレースだったと思います。2016年(マカヒキとサトノダイヤモンド)以来のハナ差の決着でした。個人的には2012年のディープブリランテとフェノーメノの壮絶な叩き合いを思い出しました。シャフリヤールの福永祐一騎手は流石と思わせるものでした。やはり経験というのは非常に大きなものなのだなと感じました。エフフォーリアは自身が持てるものは全て出した素晴らしいレースだったと思います。ただほんの少しだけ運の部分が味方しなかった。ただそのほんの少しが果てしなく長く感じる、この着差の10センチはそういう距離なのかもしれません。


エフフォーリアは父のエピファネイア、父父のシンボリクリスエス、母父のハーツクライがダービーの舞台で2着で、この結果を払拭するには至りませんでした。でもこれだけではありません。鞍上の横山武史騎手の父である横山典弘騎手が1990年の東京優駿でメジロライアンに騎乗、デビュー5年目・通算2度目の騎乗・1番人気で2着。当の武史騎手はというと全く同じ結果に。血は争えないのかなと思うのと同時に、血の呪縛を強く感じずには居られませんでした。横山武史騎手はこれを糧にもっと成長して、必ずリベンジして欲しいと思います。


来週から2歳新馬戦が始まり、翌年の東京優駿までの長い戦いが始まります(厳密には東京優駿までではありませんが)。一つの終わりはまた新たな始まりでもあります。ダービーのみならずGIを勝つような馬も必ず通る道です。


優駿牝馬も東京優駿も、出走全馬無事完走しました。本当に良かったと思います。どんな馬場状態であれ、無事完走しないとダメだと思います。勝った陣営の皆様、本当におめでとうございますビックリマークそして出走された馬の関係者の皆様、本当にありがとうございました照れ