三好 貴士に学ぶ | トニーの成幸ブログ

今日はバレンタインデーですね。

 

今夜はフライデーナイト! 楽しんでくださいね。

 

 

それでは、今日は成幸者紹介の日です。

 

 

 

男は神奈川県相模原市で生まれた。

小学4年生の時から野球を始める。

その頃の夢は、もちろんプロ野球選手。

しかし、夢はさらに大きく、メジャーリーガーを夢見た。

中学、高校と野球を続けるが、
プロを目指すどころか、甲子園にも出られなかった。

それでもメジャーリーグで活躍する夢を諦めきれず、
自主練習をしながらアルバイトでお金を貯めた。

高校卒業後、単身でアメリカへ渡米。

何度もプロテストを受け続けるが、
受かることは全く無かった。

25歳の時、カナダのプロ野球球団から
練習生として入団を認められる。

しかし、現実的にプロとしてプレーする厳しさを
身をもって感じた。

27歳で現役を引退し、プロ野球選手を諦め、
帰国してサラリーマンになる。

30歳になった時、やはりどうしても野球が忘れられず、
再度渡米し、アメリカ独立リーグのトライアウトに参加。

そこで監督から選手ではなく、
コーチとしてオファーを受ける。

しかし、コーチといえども無給。
しかも、住居もあてがわれることなく、
選手宿舎にある、1畳ほどのボイラー室での寝泊まり。

さらに、選手からコーチとして認めてもらえず、
辛いいじめの日々を過ごした。

それでも、誰よりも早く球場に足を運び、
誰よりも遅くまで球場に残って選手のために働いた。

選手のための用具準備から、バッティングピッチャーなど
何でも手を抜くことなく一生懸命行ったことで、
徐々に選手から信頼されるようになる。

そして、独立リーグで監督になり、
チームを優勝に導く。

そこから最優秀監督賞に2年連続で選出。

その手腕を買われ、ついにメジャーリーグ傘下チームから
コーチ就任を打診される。

男の名は、三好 貴士。

NPB(日本プロ野球)やMLB傘下で
プレー経験のない日本人が指導者となることは、
MLBでも前例がない抜擢だった。

また、三好氏の野球に対するマネージメントには
アメリカ球界でも定評があり、
メジャー球団からのオファーも近いとされる。

今、メジャーリーグ球団の監督として、
イチローでもなく、松井秀喜でもなく、
日本人として最も近い存在なのです。

夢を諦めずに、
コツコツ努力することで、
やがてそ大きな夢が叶うということですね。

彼はまだ40歳。

そのうち、メジャーリーグの監督として
日本でも知られる日が来るかもしれませんね。

良い週末をお過ごしください。