人生における責任とは? | トニーの成幸ブログ

私はよく若い頃から周りの人に

「結構大変な事が起きても動じませんね」

とか、

「その落ち着きはどこからくるのですか」

などと聞かれたことがありました。

 

そんなこと聞かれても、

答えられるはず無いですよね。

 

人間誰しも

自分の周りはしっかり見えたとしても、

自分自身のことは見えていないものです。

 

ただ思うのは、

若い頃から常に死を意識していました。

 

「死」を意識といっても、

死ぬことを常に考えている

というわけではなく、

もし今、自分が死んだら

残された人の誰が困るだろうと考え、

シミュレーションをしていたのです。

 

“していた”というと、

過去形になりますが、

実は今でも常に考えています。

 

例えば周りに伝えられないまま急死しても、

皆が困らないように、

家族宛に遺書を書いていますし、

私の死後の色々な手続き方法を書かれた

その遺書も年に数回アップデートしています。

 

遺書のアップデートなんて聞いたことない

と思うかもしれませんが、

遺族に伝えたい気持ちは変わらなくても、

夫婦で共有していない大切な物の保管場所とか、

死後の手続きは変わることがあるからです。

 

こんな習慣を持っていると、

毎日を「今日が最後かもしれない」と、

真剣に生きられますし、

日々生かされていることへの

感謝の念から人にも優しくなれます。

 

そんな日頃からの成幸習慣から、

何が起こっても余裕で居られるのかも

しれませんね。

 

世の中、大切な人に伝えられず

死んでいく人は多いですし、

自分が死んだ後に、

周りに迷惑がかからないような

配慮が出来る人は少ないものです。

 

「責任」とは、

生きている間だけに存在するものではなく、

死んだ後に、この世で生きている人達の

事までのことを考えて、

はじめて責任を果たしたと

言えるのではないでしょうか。