手塚治虫に学ぶ | トニーの成幸ブログ

男は大阪の裕福な家の長男として生まれる。

 

5歳の時に祖父が亡くなり、

宝塚にあった祖父のお屋敷に引っ越す。

 

近所には宝塚歌劇団のスターが多く住んでいたため、

幼い頃からボーイッシュで気品ある女性に憧れた。

 

母親が東京出身であったこともあり、

関西弁に馴染めず、学校でよくいじめられることに。

 

次第に引っ込み思案な子となり、

いつしか一人で漫画を書くことが好きになる。

 

小学校3年生の時、初めて漫画を書く。

 

小学5年生の頃には長編漫画を完成。

 

この作品は、仲間内のみならず

学校の先生の間でも話題になるほどであり、

以後教師からも漫画を描くことを

黙認されるようになった。

 

その頃、同級生の影響で、

昆虫や動物が好きになり、

度々動物や虫を題材にした漫画を

書きはじめた。

 

漫画に熱中するあまりに、

高校受験では不合格。

 

この頃戦争が激化し、空襲で死にかけるが

九死に一生を得て、医学の道を志す。

 

大学では医学部を専攻し、医師免許も取得。

 

しかし漫画家になる希望を捨てきれず、

医者になる事を断念し、一人上京する。

 

その後、自分の興味のある好きなジャンルで

漫画を描き、次々とヒット作を出し続ける。

 

彼の名前は、手塚治虫。

 

幼年期の宝塚歌劇団の影響から

「リボンの騎士」を描きヒット。

 

動物好きが高じて「ジャングル大帝レオ」

を描きヒット。

 

医学を学んだ経験を活かして

「ブラックジャック」を描き大ヒット。

 

その後、アニメ制作事業に進出するも、

経営に失敗し、個人で15千万円もの

負債を負う。

 

その後も、コツコツと漫画を描き続けたが、

80歳になった時に胃がんに侵される。

 

当時の風習として、ガンの場合は

本人に告知しないことが常識とされていたので、

本人は治ると信じ、

病院のベットの上でも漫画を描き続けた。

 

最期の瞬間までペンを片手に漫画を描き続けていたというから、

心から漫画を愛していたのだろう。

 

なお、遺作となった「ネオ・ファウスト」

では、主要な人物が胃癌にかかり、

医者や周りは気遣って胃癌であることを

伝えないが、本人は胃癌であることを知っていて

死亡するという内容が描かれていた。

 

手塚本人も、自分が癌で、

もう治らないことを

知っていたのかもしれない。

 

しかし、自分の好きなことを仕事にし、

生涯漫画に人生を捧げてきたわけだから

成幸者と呼ぶにふさわしい人

であることには違いない。

 

皆さんも最期に「人生悔いなし」

と言えるようなことにチャレンジして下さい。

 

それが本当の成幸者です。

 

良い週末を!