鳥羽博道に学ぶ | トニーの成幸ブログ

男は埼玉県深谷市に生まれる。


9歳の時に母が死去。


その後、父に育てられるも、

高校生の時、父親と喧嘩して学校を中退。


都内の喫茶店で働くが、

6ヶ月で辞め、コーヒー豆の卸会社に就職。


二十歳の時、

以前勤めていた喫茶店の社長から

手紙が来て「ブラジルへ来い」と誘われて

会社を辞め、海を渡った。


過酷な環境のコーヒー農園で3年間働く。


すると今度は、卸会社の社長から電話が来て

「船代全部出すから会社へ戻ってきてくれ」

と誘われて帰国。


帰国後、卸会社に戻るも、

重要な得意先を他社に取られた社員を

社長が往復ビンタする光景を目の当たりにした瞬間、退社を決意。


「この世の中、なかなか両使相協調する会社がない。であるのなら、自分がつくる以外ない」


そう思い、独立してコーヒー豆の輸入・卸の会社を創立。


しかし現実は厳しく、なかなか利益が出ない日々が続いた。


それでも買ってくれたお客様の笑顔が忘れられず、商売を続ける。


そんな最中、豆の卸売りよりも、

喫茶店の方が利益率が高いことに気づき、

店舗展開するために、

友人や知人から700万の借金をして、

店舗物件を購入。


しかし、相手から詐欺にあってしまう。


そのお金をどうにか取り戻そうと、

弁護士を雇って700万をだまし取った相手を訴えたが、長い裁判の末、敗訴。


男は、自分を騙した相手も弁護士のことも恨んだ。


心がすさんでしまった男は

「このままじゃだめだ」と思い、

気持ちを改めた。


「憎しみからは何も生まれない」


そしてこう思うようになったのです。


『自分が成功して、どこかで私を騙した人物に出会った時に、心から「お元気ですか」と言える自分になろう。もし元気でなければその人を助けてあげよう。』

 

その後、6年かかって700万を返済し、

そこからヨーロッパ視察旅行を経て

手軽に飲めるカフェのお店を全国展開。


男の名前は鳥羽博道。

日本初のコーヒーチェーン店を広めた

ドトールコーヒーの創始者。


現在、ドトールコーヒーの総店舗数は

1346店舗。


セルフサービスコーヒーチェーンの店舗数では、ナンバーワンを誇る。


利用者数は、毎日約60万人。


業界のトップチェーンとして高い集客力と

収益性を誇っている。 


彼は言う。


事業成功の秘訣は、「最初に正しいポリシーと使命感を持つこと。そして、成功するまでやめないこと」。


ドトールコーヒーが

半世紀以上に渡って発展できたのは、

彼の「日本の喫茶業を変えたい」という強い使命感に基づいているからだ。


好きなことに情熱を傾け、

使命感を持とう!


そして試練も乗り越え、叶うまで続けよう!