BAD COMMUNICATION・2 | Every day is a good day to going out!

Every day is a good day to going out!

わけあって、親にならない人生を選択した僕。そしてそんな僕と一緒に暮らす、やはり親にならない事を選択した彼女との「お出かけ日和な毎日」を心赴くままに書き記そうと思っています。

 

 それはまだ嘘価学会の活動していた頃の事でした。洗脳新聞の記事にこのような意味の事が書いてあったのです。

 

「『客から"こういったサービスがあるといいのに"と言われました。ぜひ実行しましょう』と言う従業員と、『きっとこのサービスは客に受けるに違いない。だから実行しましょう』と言う従業員、どちらのサービスの方が本当に客が喜ぶであろうか、考えるまでもなく分かるはずだ」、と。

 

 これを読んだ僕は、ふと違和感を覚えました。

「要するに、"相手のニーズを理解してから行動するべきだ"と主張しているわけなのだが、でも、そういう割には、活動家の人たちって相手のニーズを理解してから行動するって事をしないよな」、と(特に嘘価学会のみなさん、良かったら過去の記事もご参照ください)。

 

 

 事実そうではないでしょうか? 相手が外部の人間と見るや否や、頼んでもいないのに勝手に「悩み事相談コーナー」を開催し、「この信心は素晴らしい、祈れば願いは必ず叶うんだ」と嘘価学会の主張をオートマチックに受け売りし始める。これで一体どうして「相手のニーズを理解してから行動している」と言えると言うのでしょう?

 

「そういうトニーだって、"オリジナル小説を読んで読んで"といつも言っているではないか」と思われるかもしれませんが、彼ら学会員は、ニーズがないのにニーズがあると思い込んで「善意」でそれをやっているのです。しかもその事で相手と「バッド・コミニケーション」になったとしても、「下種仏法だ」と事実をねじ曲げて解釈し、そして自分を正当化するのです。反対に、僕はニーズがないのは承知の上で、「それでも書いた以上はやはり読んで欲しいのです。だからどうか」と「お願い」をしているのです。この違いだけはどうかキチンとご理解頂きたいのです(カフェを開きたいと考えている人が、オリジナルで創作した試作品のケーキを食べてみてと要求する事がそんなにいけない事なのでしょうか?)。そして、読んでくださった方たちからの感想(広い意味でのニーズ)を、より良い作品作りへとフィードバックさせて頂いているです。…百田尚樹は、「永遠のゼロ」を執筆した後、「どうか僕の書いた小説を読んでください」と訴えるために日本全国の本屋を行脚していたと、「戦争と平和」という本の中に確かにそう書いていました。僕には彼のその気持ち、すごくよく分かるのです。彼とてそれは全く同じでありましょう。

 

 この、「ニーズがないのにニーズがあると思い込む」、換言するなら、「私立中学を受験する気のない我が子に、やる気があると思い込んでその私立の過去問集を買い与える」という事の愚かしさについて、今回は書きたいと思っている次第です。

 

 それはとある婦人部の方に、

「トニー君の親って、どこで何をしてるの?」

 と質問された時の事でした。そのものズバリ、

「知りません。家族はもう全員バラバラになっていて、どこで何をしているのか、全く分からないんです」

 と答えたところ、彼女はこう言ってきたのです。

「テレビに出て探してみたら?」

 そう、ニーズなどまるでないのに、彼女はさっそく勝手に始めてしまったのですよ、「悩み事相談コーナー」を。嘘価学会あるあるですよね、言ってあげない事は無慈悲な事だと思い込んでいるが故の余計なお世話が、実はむしろ逆に、相手の心の傷に塩を塗り込んでいるとは全く考えないのです。

「テレビなんかに出たって時間とお金の無駄ですよ」

「いや、絶対テレビに出るべきよ」

「いや、そもそも親に会いたいと思ってないですし…」

 そう言っている人に対して、彼女は「テレビに出て親に会うべきだ」と主張しているのです。これすなわち、「ニーズがないのにニーズがあると思い込む」、換言するなら、「私立中学を受験する気のない我が子に、やる気があると思い込んでその私立の過去問集を買い与える」という事の愚かしさなわけなのですが、彼女は性懲りもなく、「テレビに出るべきだ」という主張を繰り返すのでした。あまりにも「テレビテレビ」と言うので、ふと僕はこう思い、それをそのまま質問してみました。

「もしかして貴女は、僕の身の上や家族に、それこそ『テレビドラマ』のような悲劇が起きた事があって、んで、『テレビ』に出ればその『テレビドラマ』のような悲劇が大逆転されて感動の再会をする事ができるとでも思っていませんか? もしそう思っているのなら、その考えは一切捨ててください。そんな事は絶対にあり得ませんから。世の中には関係の修復なんて不可能なくらい『バッド・コミニケーション』になってしまっている家族だってあるんです。貴女にそれが理解できないのは、それは貴女が恵まれすぎているからなんです。大体それって、それこそテレビの見過ぎだと思いますよ?」

 実はその頃、僕はバリバリの文学青年で、本ばかり読んでいてテレビを見ないどころか、そもそもテレビそのものを所有すらしていませんでした。そう、テレビという存在それ自体を完全に見下してすらいたのです。なお、これは余談ですが、全く別の婦人部の方から、「トニー君の親って今どこで何をしているの?」と質問され、「分かりません」と答えたところ、「テレビの見過ぎだ」と笑われた事もありました。よほどの覚悟と自信がない限り、他人の事をとやかく言わない方が御身のためかと思うのですけど(笑)。現在でこそ、テレビを一応、所有してはおりますが、ほとんど見ていません。そんな僕に対して「テレビテレビ」と言うのですから、この婦人部の方をこの時の僕が一体どう思っていたのか、おおよそ想像がつくのではないのでしょうか? ともあれ僕がそう言い切ると、今度はその婦人部の方はこう言い出したのです。

「でもね、母親って、自分の子どもの事を、あの子今頃どうしてるのかなぁ、って思う生き物なのよ」

「そう思っているのなら向こうがオレを探せばいいんですよ。まあ、仮にあの母親がテレビに出ていたとしても、会いに行く気は全くないですけどね」

「もしかしたら、病気か何かで、トニー君の事を探したくても探せないのかも知れないじゃない」

「それならそれはもう縁がないって事ですよ」

「でも、母親って、自分の子どもの事を、あの子今頃どうしてるのかなぁ、って思う生き物なのよ」

「またその話ですか。リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』って本をご存知です?」

 こんなお馬鹿なおばさんが知っているわけがないのを承知の上で僕はそう言いました。

「動物行動学を少しでも学んでしまったなら、程度の差こそあれ、母性本能なんて物を本気で信じられなくなりますよ。メスの方が子育てに熱心になるのは、オスと違って自分の生殖細胞をばら撒く事ができないからなんです。つまり、産んでしまった子どもを大事にするより他に自分の遺伝子情報のコピーを永続化する手段がないからそうしているだけなんですよ。だいたい、親が子どもに勉強を強要するのだって、子どもの未来が心配だからじゃなくて自分の老後が心配だからでしょう。『あなたのためを思って』じゃないんです、『自分のため』なんですよ。別にその事をエゴだとは言いませんよ、だってみんな『利己的』ですもん、むしろ逆にオスの精子よりもたくさんの栄養を卵子に提供しているメスが、その見返りを子どもに求めているだけなんだって事を素直に認めるべきだと思うんですけどね」

「どうしてそんなひねくれた事を言うの?」

 僕はシニカルに微笑みながら、こう答えました。

「ん? 俺の親が俺をそういう風に育てちゃったからですよ。とにかくもう、これでこの話はおしまいにしてくれませんか。不愉快です」

 その婦人部の方は、明らかに不服そうな顔をしておりました。

 

     ☆

 

 さて、実は僕には、「私立中学を受験する気などサラサラないのに、する気があると勝手に思い込まれて、受験勉強を強要された」という「テレビドラマ」にすらないであろう悲劇を経験した事がありました。

 それはとある私立中学のDMが我が家のポスト届いた時の事でした。そのパンフレットにプラネタリウムがあるのを見た僕が、

「あ、プラネタリウムだ、いいなあ」

 と呟いたところ、この言葉の一体どこをどう超解釈したらそんな事になるのか、酔っ払っていた母親は突然、

「まあ、アンタやっとやる気になったのね! 鉄は熱いうちに打てだ! さっそく始めましょう!」

 と言い出し、熱くもなんともない僕を問答無用で無理やり勉強机に押し込み、受験勉強を強要しだしたのでした。酒の勢いで激しくプレッシャーをかけてくる母親に対し、「違うよ、プラネタリウムがあるのをいいなと言っただけだ」とは言い出せず、あれよあれよいう間に勝手にレールに乗せられてしまったのです。その結果、国語はともかく僕は算数であっという間につまづいてしまい、そのつまづいている僕に母は更にプレッシャーをかけてきたのです。

「そんなんで受験しに言ったって先生に何をしに来たんだって笑われるだけよ」、と。

 僕が激しく傷ついた事は言うまでもありません。しかし母は追い打ちをかけるようにその私立中学の過去問集やら受験申し込み用紙やらを勝手に購入してきては、さらにさらにプレッシャーをかけるのでした。

 ある日の事。限界を感じた僕が「もう辞めたい」と申し出たところ、母は酒臭い息を吐きながら、

「ああ、あれが勿体ない、これが勿体ない」

 と言いながら、受験申し込み用紙やら過去問集を購入した事を嘆くのでした。

 子どもに投資する事を勿体ないと思うのなら、そもそも最初から親になんかならなきゃいいのに。しかも、そうかと思うとその過去問集の国語で99点を取ると、その取れなかった1点を激しく責め立て、酒瓶で頭を小突くなんて事もしばしばだったのです。

 そんな彼女が母親として採点されたら果たして何点を取れると言うのでしょう?

 そんな母親と、わざわざお金と時間を使って大嫌いなテレビに出てまでして会いたいと願うドMな息子が一体どこにいると言うのでしょう?

 僕とって、母親と和解する、という事は、これすなわち、「受験する気なんて本当はなかったのね、ニーズがないのにニーズがあると思い込んで強要してしまっていただけだったのね」と認めもらい、そして謝罪してもらう事を意味しているのです(ま、それ以外にも謝罪してもらいたい事は山ほどあるのですけれども)。そして、1から10まで全部知っているこの僕は、しかし母がそれを認めて謝罪する事は絶対にないという事もまた知悉してもいるのです。この件に限った事ではありません。彼女はいつもそうなんです、何か過ちを指摘されると直ちに逆ギレし、そして自分の主張だけを一方的にかつ感情的にまくし立てるばかりで、まるで話にならないのです。

 スーザン・フォワードの「毒になる親」という本の中に、このような一説があります。

 

「毒になる親」は、自分の考えが間違っていることを示す事実には必ず抵抗する。そして自分の考えを変えるのではなく、自分の考えに合うように周囲の事実をねじ曲げて解釈しようとする。

 

 そう、母に受験の真実を告げたところで、自分の考えに合うように事実をねじ曲げ逆ギレして、「嘘よ! アンタはあの時、確かに受験したいと言ったはずよ!」と言うに決まっているのです。

 なお、このスーザン・フォワードの「毒になる親」の一説の一部分を今からほんのちょこっとだけアレンジしてみせましょう。

 

「カルト教団の信者」は、自分の考えが間違っていることを示す事実には必ず抵抗する。そして自分の考えを変えるのではなく、自分の考えに合うように周囲の事実をねじ曲げて解釈しようとする。

 

 ニーズがないのにニーズがあると思い込み、あるいは勝手に「悩み事相談コーナー」を開催したり、あるいは嘘価学会の主張をオートマチックに受け売りしたり、またあるいは私立中学を受験する気などサラサラない我が子にその私立の過去問集を買い与える。…やはり、「毒親の問題」と「カルト教団の問題」は非常によく似ていますね。嘘価学会の皆さん、どうでしょう、今頃逆ギレして「それは違う!」と腹を立てているのではないでしょうか? ちょうど僕の母とおなじように(笑)。

 小学生の時、算数はともかく私立中学の国語の入試問題で99点を取った事のあるこの僕が、嘘価学会をモデルにした「想新の会」という宗教団体を徹底的に批判する目的で書いて予選を通過させて頂いた小説、「真夏の風の中で」をここでご紹介させて頂きます。ニーズがないのは承知の上です。その上で、せっかく書いたのだからどうか読んでくださいとお願いをしているだけなのです。ニーズがないのにニーズがあると思い込んで善意でそうしているわけでは決してないのです。どうかその点だけは勘違いをなさらないでください。

 

 

 この「想新の会」が嘘価学会をモデルにしている事は、よほどの世間知らずじゃない限り必ず分かるはずです。そして、世間知らずに小説の選考員なんて務まるはずがないのです。それが予選を通過しているのですから、その事の意味と価値は推して計るべきではないのでしょうか?

 

 なお、前回の記事、「BAD COMMUNICATION」で、まだ活動していた頃付き合っていた元カノの父親が巧妙党の市議会議員だった事を書かせて頂きました。

 嘘価学会が、「先生にお応えするためにも、この地域にはあともう一人巧妙党の市議会議員が必要だ」と主張し出し、そしてもう一人を擁立し、見事その人を当選させてしまったという事がありました。そのもう一人が、なんと前述の「利己的な遺伝子」すら知らないテレビの見過ぎでお馬鹿になってしまったおばさんである事を最後にご報告し、同時に「巧妙党」がどれだけ危険なのか問題提起をする事で今回の記事を締め括らせて頂きます。

 政治家という生き物はいつもそうなのです。安全な場所から、危険な最前線にいる兵士に「ああしろこうしろ」としか言わないのです。彼女が僕に「テレビに出てみたら」と提案した事にしてもそう、僕の家庭がどれだけ危険か知りもしないでそう言っているのです。1から10まで全部知っているこの僕が「和解なんてあり得ない」と言っているのにも関わらず、「親がどこにいるのか分からない」、すなわち1しか知らないくせに残りの9を自分の考えに合うようにねじ曲げて解釈し、「必ず分かり合える」とほざく事のなんと愚かしい事よ!

 嘘価学会の皆さん、よほどの覚悟と自信がない限り、他人の問題にとやかく口出ししないで頂きたいのです。そして、よほどの覚悟と自信があるからこそ、「嘘価学会は危険だ、一刻も早く辞めるべきだ」、僕はそう主張しているのだと理解して頂きたいのです。

 

 異常です、…あ、間違えました、以上です。