BAD COMMUNICATION | Every day is a good day to going out!

Every day is a good day to going out!

わけあって、親にならない人生を選択した僕。そしてそんな僕と一緒に暮らす、やはり親にならない事を選択した彼女との「お出かけ日和な毎日」を心赴くままに書き記そうと思っています。

 

 昔まだ嘘価学会の活動をしていた頃、女子部の子と男女の交際をした事がありました。当時僕の書いたオリジナル小説、「いじめ撲滅委員会」というタイトルの小説を読んでもらった事が交際のきっかけでした。かれこれ20年くらい前の事で、当時はワープロで書いてプリントしていました。なおその内容は、「いじめる側と、いじめられる側の立場を逆転させた小学生のシュールな活躍ぶりを描いたブラックユーモア」であります。

「自分の学校でいじめが起きているのに何もしなかった校長先生を、小学生が、ただ毎日通学する、という行為のみをもってして自殺に追い込む」という非常にドSなオチの物語で、その子は、

「超笑った!」

 と大変喜んでくれていたのです。…僭越ながら、僕の書いたオリジナル小説を読んでくれた事のある方なら、

「まあ、トニー君ぐらい書けるヤツなら、商業的に成功できるかどうかは別として、文学好きな女を落とすぐらいはできるだろう」と認めてくれるのではないかと思っていたりしています。なお、もしこの「忘れ花火」という20分もあれば読める短編を当時の彼女が読んだなら、間違いなくこう思う事でしょう。

「この書き方は間違いない、絶対にアイツだ。『いじめ撲滅委員会』もそうだったけど、この"ず〜っとAだと思わせておいて後半になって実はBでした"と種明かしをするといった手法、アイツは得意だったもんね」、と。

 

 

 この女子部の子の事を回想するにあたり、どうしても外せない男子部の幹部の方が一人います。名前を仮にUさんとしましょう。

 このUさんという方が、これまた偽田代作にこれでもかというくらい性格がとてもよく似ていて、自分の事を、殊更に、頭良く見せよう、頭良く見せようと振る舞ってばっかり、内容のある事などちっとも話さない奴だったのです。それも、話を合わせるために読んでいない本を読んだふりをするぐらいならまだ可愛げがあると好意的に解釈する事もできなくはないのですが、さして引き出しが多いわけでもないくせに、事あるごとに「これはこうだ、あれはああだ」と、信憑性があるとは到底思えないような事を言っては「教えてあげよう」とするのです。

 それは辻仁成の芥川賞受賞作「海峡の光」と、三島由紀夫の「午後の曳航」の類似点について僕が語った時の事でした。

「パクったは言い過ぎにしても、真似して書いてるのは間違いないですよ。少年が猫を虐◯してるシーンとか、本当は答えを知っているのに無知を装うためにわざと知らないフリをして質問している事に登場人物が薄々気づくシーンとか、あれは明らかに三島由紀夫の真似ですよ」

 するとそのUさんは、まるっきりズレた事を言い出したのでした。あまりにもズレ過ぎていたため、なんと言っていたのか忘れてしまいました、…逆説するなら、彼の言い分は覚えていられないくらいズレ過ぎていたのです。ただし、思わず首を傾げ、こう思った事だけはやけにハッキリと記憶しているのです。

「この人本当に三島由紀夫を読んだ事あるのかなぁ。『午後の曳航』にしても、ただ本屋かなんかで文庫本を手にとってペラペラめくって眺めただけなんじゃないかなぁ」

 かく言う僕も、三島由紀夫は少々難解なため、「午後の曳航」「永すぎた春」「音楽」しか読んだ事がありませんし、「仮面の告白」や「金閣寺」に至っては誠に恥ずかしながら途中で挫折してしまっているので、あまり偉そうには言えない、と思ってはいるのですけれども、見栄を張らずに正直に言うだけ彼よりはまだはるかにマシとも言えましょう。

 ともあれそのズレ過ぎて違う意味で難解すぎた彼の言い分に対し、僕はこう反論したのでした。

「パクるという行為をただちに非難する気はさらさらないんですよ。B'zのバッコミがツェッペリンのオマージュなのは見え見えですし。だからと言ってB'zを乏しめようという気はサラサラないんです。彼らの演奏技術が非常に高い事は疑いようがないですしね。でも、明らかに真似をし過ぎてしまっている事もまた疑いようがないでしょう。もっと古くて、もっと知られていない曲を真似するならまだしも、あれでは洋楽マニアから、"洋楽の歌詞を日本語に書き換えた替え歌だ"と揶揄されても仕方ないですよ。しかも本人たちは、その問題に対して、"自分たちはそんな次元で音楽をやっていない。もっと楽しんで音楽をやっているんだ"って、半ば認めるかのような発言までしているんですよ。aloneにしたって、明石さんが"モトリー・クルーに訴えられるんじゃないかと毎日冷や冷やしていた"って音楽誌でも公言していますしね。まあ、モトリー・クルーからしたら"たかが日本人の若造二人組なんかを相手に目くじら立てても仕方ない"と思ってあえて見て見ぬふりをしてくれていた、というのが真相なんじゃないかと僕はそう思っているんですけど」

 すると、Uさんは今度はこう言い出したのでした(この言い分はハッキリ覚えています)。

「でも、ポール・マッカートニーは、桑田佳祐をライバルだって言っているよ」

 一事が万事こうなんです。何かあるとすぐにこうして、「これはこうだ、あれはああだ」と知ったかぶりで教えようとして、そして押し切ろうとするのです。

「ポールが桑田佳祐の事なんか知っているわけないでしょう。知っていたとしてもライバル視なんかするわけがないですし、百歩譲ってその話が本当だったとして、そんなのは社交辞令ですよ」

 すると彼はあからさまに不服そうな顔をしたのでした。彼ら学会員はみんないつもそうなんです。なぜそうなのか。学会の言いなりになってしまっている分、違う何かを自分の言いなりにしない事には心の均衡が保てなくなってしまっているのです(心理学の本にそう書いてありました)。だから会員は未入信の人に対して、また幹部は部員さんに対して高圧的にふるまうのです。

「そのポールの話をあくまでも本当だと主張するのなら、いつ、どこで、そしてどんな状況で知ったのか詳しく言ってみてください。本ですか? 音楽誌ですか?」

「…」

「答えられないんですね。では違う質問をしますね。なぜあなたの言い分を鵜呑みにしなきゃならないんですか?」

 すると彼は逆ギレしてこう言い出したのでした。

「トニー君は本当に傲慢だね」

「答えになってませんね。だいたい、傲慢なのはあなたの方でしょう」

 すると彼は更に逆ギレしてこう言い出したのでした。

「前々からずっと思っていたんだ。君の書いた小説を面白いと思った事なんか一度もないってね」

「そもそもそれ以前に、俺の書いた小説なんて一つしか読んだ事ないですよね。後はこんな物を書いてみたい、とイメージを話したに過ぎませんよね。にも関わらずせなぜ"一度もない"と言えるんですか?」

 あえて学会風な言い方をするなら、これこそがまさに、「彼の知ったかぶりの命の傾向性を如実に顕している」台詞だと言えましょう。ともあれこれ以降、彼との関係は決定的にバッド・コミニケーションになってしまったのでした。

 

 さて、これはUさんには読んでもらった事はおろか、こんな物を書いてみたいと話した事すらない「いじめ撲滅委員会」を、例の彼女に読んでもらってからかれこれ二週間ほど経ったある日の事でした。突然彼女から電話がかかって来たのでした。

「ねえ、今からトニー君の部屋へ遊びに行ってもいい?」

 かくして一人暮らしをしている男の部屋に、胸元の大きく開いた服を着た女がやってきたわけです。産まれつきそういう風にできている僕が、産まれつきそういう風にできている事をしないわけがありません。半年後、ほとんどの男女の関係がそうなるのと同じように、僕らの関係もまたバッド・コミニケーションになる運命にあるとも知らずに、僕らはあんな事やこんな事をしてしまったのでした。

 

 当然、彼女とはよく文学の話をしました。

 なんでも彼女もオリジナルで小説を書いた事があるらしく、しかしある一点で矛盾していると読者に思われるであろう部分をどうしてもブレイク・スルーできないのが悩みだ、と言うのでした。残念ながら僕にはそれを読ませてもらった事がないので、それ以上の事は言及できないのですが、少なくとも世界で唯一の読者になってくれた彼女の姉からも、その自分でも自覚している問題を指摘されたらしく、それで書く事を諦めたのだと申しておりました。反対に、拙著「あの日の二人はもう居ない」の原型になった小説に関して、アレコレ指摘を受けた事もありました。

「それについても考えたよ。でも、そのやり方だと今度はこちらが立ってもあちらが立たなくなるんだ。分かるかい? 君の助言は全てもうシュミレーション済みなんだよ。色々進言してくれるのは有り難いんだけれども、あれはもうあれ以上設定的に進化しないって事が原作者の勘で分かるんだ。だからもうやめにしてくれないか?」

 深夜、そのようなメールを送信した事もありました。すると彼女は、

「完成している、と言い切れるだけすごいよね」

 そう返信してきました。もしその彼女が、その十数年後、その小説を更にあともうひと捻りし、リメイクした結果、「魔法のiらんどネット小説大賞2021」の予選を通過したと知ったなら、一体なんて思うでしょう。興味は尽きません。

 

 

 また、彼女とは嘘価学会についても色々と話し合いました。

「やっぱり、学会ってなんかおかしいよね」、と。

 彼女は僕と違い、学会二世で、しかも父親が巧妙党の市議会議員という「サラブレッド」だったがために、かえって余計に思うところがあるらしく、僕らは二人で色々と嘘価学会の問題点について話し合ったりしたのでした。

 ある日の事。

 僕が男子部の幹部・Uさんの「知ったかぶりの命の傾向性」について話したところ、なんと彼女は、本人にはそんな自覚は全くなかったのでしょうけれども、とんでもない事を言い出したのでした。

「あ、そう言えばあたし、お母さんに、Uさんと結婚させられそうになった事がある」、と。

 この話を聞いた瞬間、僕の脳裏に、とある記憶が蘇ったのでした。

 それはまだその幹部・Uさんと「国交断絶」する前の事でした。彼は確かにこう言っていたのです。

「今度、ある女子部の子がいる家にお邪魔する事になっているんだ。んで、その家で夕飯をご馳走になったあと、その女子部の子の母親に、"どう、Uさんと結婚しない?"って話してもらうって約束になっているんだ」、と。

 それはそれは幸せそうに、頬を緩めて彼はそう言っていたのです。

「あ、あの話って、コイツの事だったんだ」

 おくびにも出しませんでしたが、僕はそう思ったのでした。おくびにも出さなかったのにはもちろん理由があります。僕にとってこれほど面白い話は他にないからです。また同時に、彼にとってこれほど面白くない話である事は承知の上で、けれども話の性質上、まさかUさんが彼女に裏を取るわけなど絶対にないと判断した性格の悪い僕は、その夜、こっそりUさんにメールを送ってしまったのでした。

 

 アンタとの結婚を拒絶した女を食っちゃった男より。…と。

 

 なお、これはマーガレットで連載されていた紡木たくの名作少女マンガ「ホットロード」を彼女に貸した時の事でした。

「このリチャードってキャラ、一言余計なあたりがトニーちゃんにホント瓜二つだよね」

「あ、中学の時女子たちからそれと全く同じ事を言われたよ」

 などと話した事もありましたね。何を隠そう、拙著「あの日の二人はもう居ない」で、後半ヒロインのコスモに対する一年生女子たちの人気が急上昇するのは、その「ホットロード」で主人公の和希ちゃんに対する一年生女子たちの人気が非常に高かった事のパクリだったりします。紡木たくもこんなピンポイントの盗作ぐらいで目くじらを立てたりはしないでしょうし、むしろ逆に微笑ましく思ってくれるのではないかとさえ思っています。

 

 まあ、それはともあれ、彼女がUさんではなく僕を選んだ事に関してはもう仕方がないでしょう。自分で言うのもなんですが、僕の方がはるかにイケメンでしたし、スタイルも頭もはるかに良かったし、ファッション・センスに及んでは言うに及ばず。そもそも、ファッションという概念とはおよそ無縁のあのUさんが、スタイル抜群でお洒落が大好きだった彼女と、一体どうして釣り合うと思っていたと言うのでしょう? 身の程知らずにもほどがあります。

 偽田代作が代作してもらった「森ケ崎海岸」と言う学会の曲をケータイの着信音にしたいと彼女が言うので、「森ケ崎海岸・ロックバージョン」を創作し、そして当時僕が愛用していたガラケーをシーケンサー代わりにして打ち込み、同じケータイの色違いを愛用していた彼女に赤外線で送信してあげた、なんで事もありましたが、Uさんにはそんな芸当は逆立ちしたってできないでしょう。

 また、未来部の学会歌「Be Brave! 獅子の心で」の楽譜を彼女に見せてもらった時もそう。まだ耳で聴いた事がないのにも関わらず、

「この歌、子ども向けにしては難しくないか?」

 とキッパリ言い切り、そして楽譜のみでサビの部分を彼女の目の前で諳んじた事もあるこの僕が、Uさんを見下す事があったとしても見下される事なぞあり得るわけがないのです(確認の意味で、『Be Brave! 獅子の心で』の動画をネットで拝見させて頂きましたが、あれではまるでNHKの子ども番組です。やはり体制が似ていると表現も似てしまうのでしょうか。思わず笑ってしまいました)。

 

 これはずっと前から思っていた事なのですが、幹部のUさんはともかくとして、その彼女はもう、おそらく今は学会をやめているのではないか、と言う気がしてならないのです。

 学会をやめた全ての人が、アンチブログを必要とするようになるとは正直思っておりません。しかし、文字の読み書きを苦としていない彼女が、アンチブログを見ていないともまた断言できません。むしろ逆に彼女がアンチブログを書いている可能性さえ考えられます。そう、彼女が僕のこのブログを見ている可能性も0%ではないのです。

 

 僕には「魔法のiらんど」で、嘘価学会をモデルにしたカルト教団「想新の会」を徹底的に批判する内容の長編小説、「真夏の風の中で」を書いた事があります。そしてその前日譚である「あの日の二人はもう居ない」と二つ同時に予選を通過してもいます。実はこの「真夏の風の中で」の「第3章・新矢・1」には、幹部のUさんと、その元カノをモデルにしたキャラクターが登場しています。もしその元カノがこの事を知ったなら、彼女の性格上、間違いなく読みたいと思うに違いないと思っているのです。そして、もし読んだのなら、一体どう思ったのか感想を聞かせて欲しいと思っているのです。

 誓って言いますが、彼女への未練や下心なぞは微塵もありません。まして現在の僕には一緒に暮らすツレもいます。酒もタバコもカルト教団もみ〜んな辞めてしまいました。少々臭い言い草にこそなりますが、「ようやくせせらぎにたどり着いた」のです。もうこれ以上の「何か」を求めてはいないのです。ツレも読書は好きなのですが、言ってはなんですが少々おバカさんな所があって(それが可愛らしい所でもあるのですが)、僕のオリジナル小説に対して編集者的な視点から助言してもらう事に関しては全く期待できないのです。そう、そういった編集者的な視点に関しては、当時の彼女の方が遥かに頼りになるのです。繰言になりますが、決して未練などではなく、単にそれを聞かせて貰えたら幸いだ、としか思っていないのです。まして、もし自分自身をモデルにしたキャラが出てくる小説を彼女が読んだなら一体どう思うか、原作者として興味を持たない方がどうかしています。

 

 

 B’zのバッコミといえば、昔その彼女との間にこんな事がありました。それは二人でカラオケに行った時の事でした。シャムシェイドの「LOVE SICK」の英語バージョンを、カラオケの画面に日本語の歌詞が出ている状態で歌った後、

「これと同じ事をB’zのバッコミでやるために英語の歌詞を暗記したいんだよな」

 と言ったところ、彼女はこう返事をしたのでした。

「あたしの持ってる明星に英語の歌詞が載ってるよ。今度コピーしてあげる」

 しかし結局、コピーしてもらえないまま別れてしまったのです。時代は変わり、今では英詩なんてネットで検索をかければいくらでも調べられるようになりました。オリジナル小説にしてもそう、ワープロで打ってプリントしなくても、ネットで公開できるようにもなりました。

 また似たような話でこんな事もありました。彼女がベルボトムが欲しいと言うので、

「これだったら履いてないからあげるよ。俺にはこれ、フレアが強すぎるんだ」

 と、リーバイス646をあげた事があったのです。彼女は色の濃いジーンズの方が好きだと言うので、

「色の濃いジーンズと一緒に洗えば色落ちしにくくなるよ。洗いたくなったら俺ン所に持っておいで」

 と教えてあげたのです。しかしそれも結局、実行しないまま別れてしまったのでした。クラプトンの「ベル・ボトム・ブルース」を聴くと決まってこの時のやりとりを思い出してしまうのです。

 

 果たしてUさんに、英語の歌をソラで歌ったり、オリジナル小説をネットで公開したり、ジーンズの事で恋人にあれこれレクチャーしたりできるのでしょうか? これではまるきりスポーツカーVS軽自動車ではないのでしょうか? ポールマッカートニーがそうであるように、僕は彼の事なぞライバル視すらしてはいないのです。それとも彼の辞書には、「釈迦に説法」と言う諺が載っていないのでしょうか? 彼に限った事ではありません。嘘価学会の幹部なんて、けっきょくみんなこんな程度なのです。

 

 以上です。