ロミは、トニーに背負われて山荘に戻ってきた。
「まあロミ、いったいどうしたの」
春美が心配そうに聞いた。
「眠っているだけです、たぶん疲れたのでしょう」
そう言ったものの、トニーも少し不安な気持ちがあった。
春美に促されて、二階のキャビンにロミを運び、ベッドに寝かせてしばらくベッドの脇で、まだ自分のズボンは濡れているので、立ったままで彼女を見守っていた。
鳴門海峡の沖で、老クジラの背中の上で見たロミは確かに成長していた。
身長も伸びているように見えたし、アンドロメダに変身した時ほどでは無いにしても、胸も腰まわりも女性らしさがあらわれてきて、少し大人びて見えた。
それに、ロミは池の中で溺れそうになった、まして疲れて眠るなんてことは初めてだ、ロミにいったい何が起こったのだろう。
「トニー、お風呂が沸いたわよ、入ってちょうだい」
ドアの前でガーティーが言った。
「ロミなら大丈夫よ、じきにお腹がすいて目を覚ますからって、ミドリが言ってたわ」
「ガートルード、あなたとは何度も顔を合わせているけれど、少しも変わらない。どうしてだろう、妖精の女王だから」
「さあ、どうかしら?}
トニーは彼女のアーモンド色の瞳を見つめた。
若返った姿の、彼の青い瞳に引きつけられて、彼女は思わずトニーの胸に額を押し付けた。
――トニー、そんな目で私を見ないで。
「トニーあまり心配しないで、ロミは私にまかせて」
若い姿のトニーは、彼女の小さな身体をそっと抱きしめた。
トニーは熱い湯を浴び、石鹸できれいさっぱりとして、ゆっくり湯に浸かったあと、髭を剃ろうと洗い場の鏡に向かった。
鏡に映った自分の顔は、まさしく若い頃の自分だった。
ロミはサイボーグ手術によって不老になったと言えるが、ガートルードたちの不老と自分の変貌については、理解の範囲を超えた曖昧な気持ちのまま、髭を剃り終え、宏一が用意してくれた服を着て浴室を後にした。
「まあトニー、とってもハンサムね」
髭を剃りさっぱりとした若いトニーを見て、いつものように少し皮肉口調でロミが言った。
「ロミ、もう大丈夫なのですか」
トニーは真っすぐロミを見て言った。
その視線にドキリとして、ロミは少しだけ見返したあと、すぐに視線を逸らせて言った。
「うん、ぜんぜん大丈夫よ、さあ、私たちもきれいにしなくちゃ、エスタ、一緒にお風呂に入りましょう」
ロミとエスタはトニーと入れ替わるようにして、浴室に向かった。
「やあ、トニー・マックス、お久しぶりです」
がっしりとした黒人男性が話しかけてきた。
「あなたはミスターロバーツ」
旧知の二人は固い握手をした。
「どうしてここにいらっしゃるのですか」
「わたしはこの山荘へ来るのは二度目です、春美さんとは古い友人でしてね、三つ子たちのこともよく知っているのですよ」
トニーが若い姿になっている事には触れなかった。
二十八年前、マックス教授の死後一年が経って、教会は正式にその死を認め、ニューヨークにあるカトリック寺院で葬儀が行われた。そこで会ったのを初めとして、北極やフロリダの宇宙基地などアメリカ軍の協力が必要なときに、何度か顔を合わせていたのだ。
「トニー・マックスご無事で何よりです」続いてフレッドが握手をしてきた。
「ありがとうフレッド、博士から何か言ってきたかね」
「いえ、何も、何度か電話をしているのですが、つながらないのです」
ガーティーがリビングに向かって、食堂にお昼の用意が出来ていると言った。
「どうぞ、エチオピアカレーを召し上がれ。今夜はみんなの誕生パーティーがあるからお昼は軽めにしたのよ、これで我慢してね」一同は食卓に移った。
春美や宏一たちも席に着き、それぞれ山盛りになったナンをとり、カレーに浸けながら食べる、昨夜の残り物とはいえ、山海の具が染み込んでいて、とても美味しい。
「あら、おいしそう、私もおなかぺこぺこよ」
お風呂から出てきたロミが、そう言ってトニーの隣に座った。
自然の酢が効いたサラダと、この山の麓でとれたヤマモモのジュースもある。
トニーは、ロミと三人の妖精たちを、それとなく観察した。
四十年にわたって変わらぬ姿でいた四人が、やはり変化を見せているように見えた。
アングロサクソンの血を引くロミはまだ成長期にあるはずで、身長が伸びることは十分考えられる。ケルト、日本、アフリカの三人の妖精たちは、身長が伸びることはもう無いとしても、女性としての艶やかさを帯びてきているように思えた。
そして、自分はどうしてこうなったのか、砂漠の海でブラックホールに接触してから目まぐるしい転回がつづき、それはまだ、自分の中で激しく活動しているのをずっと感じていた。
――トニー、あまり深く考えないで、この山の霊気とみんなのエンパシーの影響で、他の人たちもテレパシーを感じるようになっているの、悩むのは後にしてね。
ロミはテーブルの下でトニーの脚を突いた。
トニーは気持ちを切り替えて、春美に訊ねた。
「春美さん、マリオはどうしていますか」
「そうだわ、トニーにお礼を言っていなかったわね。昨夜から乳児食を食べるようになったの、今朝も一杯食べてたくさん泣いて今はお昼寝をしています。トニーほんとうにありがとう」
「それはよかった、わたしより、宏一と真梨花、二人のお手柄ですよ」
マックス教授と七人の超能力者については、まだトニーも軽々しく語ることが出来なかった。
食後のエチオピアコーヒーを飲み終わる頃には、食卓の食べ物はきれいに無くなった。
「さあ、今夜は家に帰って誕生パーティーよ、そろそろここを片づけましょう」
春美の一声で一同は、それぞれ移動の準備を始めた。
屋上の発電設備については、アメリカの特殊部隊が調べたところ、目だった放射能は検知されずしばらくこのままにして、あらためて建物を含めて調査をするという事になった。
トニーと宏一が戸締りを終えると、一同は丘の上に立ち、もう一度三嶺を見上げて、洞窟に眠る魂に祈りを捧げたあと。山荘を後にして山を下りた。
ロバーツと春美たちは真梨花のジープに乗り、米軍のリムジンにはフロントシートに若い米兵三人が座り、二列目にミドリとエスタ、三列目にガーティーとフレッド、そしてトイレとシャワールームの前の最後列にロミとトニーが座った。
リムジンの静かな車内は思念のテレパシーが交錯していた。
トニーはミドリ、エスタ、ガーティーの三人が、ロミにとって特別な存在であることをあらためて知らされた。四十年にわたって三人の妖精は、ロミとトニーを守っていてくれたのだ。
「この件については、研究所も知らなかったことです」フレッドが慣れないテレパシーを使わずに言った言葉が、車内で交わされた唯一の声だった。
――トニー。
(ミドリが周りに気付かれないように、バリアー思念をかけてきた)
――砂漠の海からこの一カ月、様々なことが起こりました。特にあなたとロミにとっては自分自身に関わる大きな問題でした。いろいろと考えることも有るでしょうが、まずは冷静に起こったことの現象・事実を二人でよく話し合ってください。
――また、山で経験した七人の超能力者たちとの事については、近い将来に起こる様々な事件や出来事で、その意味が分かってくると思います。
有名占い師であり、霊能力者でもあるミドリの言葉は、トニーの心を落ち着かせてくれた。
――ミドリさん、ありがとう、そうしたいと思います。
ロバーツは真梨花の運転するジープの後部座席に春美と並んで座り、膝の上にマリオを抱いていた。昨日初めて抱いた時は頼りない赤ん坊のようだったが、今は首もしっかりと座り、ロバーツの膝の上から周囲に見える風景をじっと見ていた。
マリオを見守りながら、時々春美と目を合わせて、にっこりと二人で笑顔を送り合った。
「マリオは完全にロバーツさんに懐いているわね」
運転しながら真梨花が言った。
「完全て、どういうことかしら」
春美が聞き返した。
「昨日、三嶺の山頂でロミの強い思念を受けた後、ずっとロバーツさんに抱かれていたでしょ。マリオはロバーツさんを父親だと思っているのよ、刷り込まれちゃったのねきっと」
「まあ、そういうことなの」春美はロバーツにほほ笑んだ。
「ママは二十九年前に刷り込まれちゃったみたいね」
「真梨花、ちゃんと前を向いて運転しなさい」
ロバーツが達者な日本語で言った。
真梨花の話を聞いていた春美は、そのとおりかもしれないと思った。
あの日、柔らかな陽光に包まれた山荘の浴室で、石鹸できれいに洗ってもらい、温かい湯船に浸かり、ただ寄り添ってくれていたロバーツのたくましい肉体に守られて、あまりの心地よさに朦朧とした私は、強烈な痛みと共にある種の快感を得て、この子たちを産んだのだ。
「ところで、トニーにいったい何があったのだろう宏一、君はずっと一緒にいて何か思い当たることは無いかね」
ロバーツは久しぶりに会ったトニーが、若い姿なので驚いていたのだ。
「うん、僕もいろいろ考えていたんですが、今朝みんなで思念を送ったときに、ロミについて洞窟へ行きましたね、そこから壁画に導かれて宇宙を跳んだり、渦潮の中に飛び込んだりした。あれがそのまま、トニー兄さんの行方を追ったものであることは間違いないと思います」
「だけど大クジラの上にいたのは中年のままのトニーだった。昨日の朝まで若い姿のトニーだったのに、まる一日で中年に逆戻りして、大クジラから三嶺に戻ったときはまた三十三才くらいの若い姿になっていた」
「砂漠の海からも、最後の大クジラからも、たぶん他力による移動のときは若い姿になる必要があるのではないかと、そして洞窟の壁画のルートだけは、きっと七人の超能力者から授かったトニー自身の力を使えたのだと思います」
「あと、砂漠の海の戦いのときにブラックホールのパワーを利用してから、トニーの中で、心と身体の時間の進み方がとても混乱していた、ということも聞きました。超能力というより、僕は神がかり的な現象だと思います」
宏一の話を聞いてロバーツは肯いた。
「そうだね、まさしく神がかり的だ――ところで、その三十三才というのは何かね」
「イエス・キリストの死んだ年齢です。それと幕末の英雄、土佐の坂本龍馬も三十三才で暗殺されました」宏一はついでに、自分の尊敬する偉人の名前もあげた。
「ほう、そうなのかね」
ロバーツは感心したように応えた。
「ロバーツさん、うちのママは聖母マリアと一緒で処女懐胎だったのよ、きっとマリオはイエス・キリストの生まれ変わりよ」
真梨花の言葉にジープの車内は一瞬沈黙した。
「真梨花ったら、冗談はよして」言ったあと、春美とロバーツはお互いを見た。
そして二人は、ロバーツの膝の上で、賢そうに周りを見渡しているマリオを見た。
「春美さん、わたしは今月いっぱいで役を解かれ、ニューヨークへ帰らなければならない。できればマリオを連れて行きたい――そしてあなたも」
ロバーツの言葉に、春美は目を丸くした。
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