ワームホールの白い闇の遂道を、ロミとマリアは宇宙虫に導かれて進んでゆく。
今度の移動は静かな前進では有ったが、超光速で飛翔しているはずなのにまだまだ続きそうだ。
ロミは思った、先程の一瞬の移動は、彼が作り出した幻影だったのだろうかと。
――宇宙虫さん、聞いてもいいかしら。
――なんでしょう。
――あなたに生命があることはよく分かるわ、でも、どうしてこんな途方もない姿でいられるのかしら。
――それに、この広い宇宙に一人ぼっちでいるなんて可哀そう、あなた寂しいでしょ?
――あっ、ごめんなさい、言い過ぎたかしら?
宇宙虫はしばらく沈黙していたが、ロミの口調を楽んで、笑いをこらえているようだった。
ロミはトニー・マックスとの旅路で、時々彼に意地悪なことを言う癖がまだ抜けていなかった。
――ロミ様、僕はいつも、悪鬼に囚われている母のワームを遠くから見守っていました。
――母の体内に居座る悪鬼は、そのもの自体ではこの宇宙を移動する事が出来ません。
――母のワームを利用して宇宙空間の生命体を捕捉し成長していくのです。
――ある意味、僕は母のそばにいつもいました、それが10光年の距離にあったとしても。
――そうなの、では今から行くお母さんのワームもそんなに遠いところでは無いのね。
――間もなく到着します、悪鬼も僕が母のワームの入り口に接続したことに気づいています。
――ロミ様、僕も母の中に入ってゆきます、そしてお二人と一緒に戦いたいと思います。
――宇宙虫さん、ありがとう、でも、そこでは、私は実体に戻ることは出来ないと思うわ。
――大丈夫です、母の体内には人工太陽があり、大勢の生命体が生きております。
――ロミ様の地球とほぼ同じ大気に包まれていますので、精霊たちもいるはずです。
――さあ、いよいよ到着です。
――ところで宇宙虫さん、あなたを何て呼べばいいの、名前は有るの?
――トムと呼んでください。
――まあ地球人みたいね、トム、私を呼ぶときは様を付けないで、ロミと呼んでちょうだい。
――私もよ、マリアと呼んでね。
ワームホールの宇宙虫、トーマスが導いた白い闇の奥に、音もなくロミとマリアは降り立った。
足を下した瞬間に光は消えて、しばらく何も見えない間、まさに暗黒と言えるほど闇が支配する重く緊迫した空気が二人を包んでいた。
ロミは腰を落として身構えた。
眼が暗闇に慣れてくると、宇宙虫が言った。
――ロミさん、マリアさん、そのままお待ちください。
宇宙虫がロミたちの動きを止め、人間のような姿でハンドライトを上に向けた。
すると天の高みからいきなり眩しい光が差し込んだ。ロミとマリアは一瞬目がくらみ、お互いの身体を支えるように抱き合った。
――これは人工太陽の光です、今は昼間のはずですが、彼が消していたのだと思います。
人工太陽に育てられた樹林が鬱蒼と繁茂し、蔦のように伸びた広葉樹に囲まれて、そこに巨大な塔が建っていた。ロミとマリアはその途方もない高さに圧倒され、呆然と塔を見上げた。
「失礼、ロミさん、マリアさん、これを着てください」
若い男が実体を現し、ロミとマリアに白い布を渡してくれた。二人はテレポートと同じ状態で、裸で実体を現していることに気づき、慌ててその衣をまとった。
白いトーガを被り、ロミは膝まで身体を隠すことができたが、長身のマリアは長い手足のほとんどが露出したままで、2メートルを超える高身長でも、その均整の取れた美しい手足が眩しいほどであったが、17才の宇宙少女はそれを気にする様子も無かった。
白いトーガを渡してくれた青年を見て、ロミは驚いた。
「あなたがトムなの?」
ロミたちと同じ、白いトーガを身にまとった青年はロミを眩しそうに見た。
「はい、僕がトムです。どうしてか、あなたたちと一緒にいるうちに、元の姿に戻れました」
「人間だったのね、驚いたわ。まるで魔法にかけられたカエルの王子様みたい」
ロミの言葉は、果たして父博士流のジョークのつもりだったのだろうか。
そのトンチンカンな言い方に、マリアが小さく笑いながら言った。
「ロミさん、あれは王子様がカエルにされていたのじゃなかった?」
人工太陽の柔らかな日差しに包まれて、ロミとマリアはトーガ1枚の身に不安は無かった。
だが、リラックスした3人の会話はそこまでだった。
巨大な塔を前にした3人を照らしていた人工太陽の光が薄くなっていき、やがて元の暗黒に戻った。あらためて、ロミとマリアは腰を低くして身構えた。
巨大な塔のてっぺんに青い稲妻が走った。
轟音が鳴り響き、稲妻は幾重にも天空を覆っていった。
ロミは地球から送られる精霊たちのエンパシーを求めた。
だが、この母ワームの中には、地球の精霊のエンパシーが届くことは無かった。
母ワームの壁は、宇宙線の放射能から守るため、厚いシールドの役目を持っていて、さらに愛のエンパシーを拒絶するほど、トムの母親を呪縛する悪鬼は、憎悪と怨嗟の怪物のようだ。
――ミドリ、私の思念が聞こえるかしら?
――だめね、どうやらここには、私たちしかいないようだわ。
イズモ神の末裔、ミドりの力も及ばないことを知ると、ロミはあらためて覚悟を決めた。
ロミは傍らに立つマリアとトムの手を握り、思念を使って自身のエンパシーを広げ、このワームの中にいる精霊たちを探した。
地球歴では1700年の経験を持つ宇宙少女は、強いエンパシーパワーを持っていた。
そして悪鬼の呪いでワームホールに変身させられていたトムも、同じように強い共感力を持ち、彼は経験豊富なエンパシーの使い手でも有るようだった。
塔の上空に走り続ける稲妻は、次第に大きさを増し、ロミたちの頭上に轟音を響かせている。
地上に立つロミの思念は、マリアとトムの共感の力を得て愛と癒しのエンパシーをつくり、三人の足元から白い灯りとなって広がり始めた。草むらを照らし、森を明るくしていきながら、この母ワームの地上を白い灯りで満たしていった。
轟き渉る雷鳴は、さらに強くなり、鋭く光る稲妻は地上にまで届こうとしている。
マリアはロミの手を強く握り、その共感力を心の奥底まで深く深く共鳴させていた。
トムはロミとつないだ手から、ロミの身体を通してマリアの深い共鳴を感じることが出来た。
ロミは今、三位一体となった自分たちの姿をイメージすることが出来た。
そして3人が作り出すエンパシーの灯りに触れて、精霊たちが起き始めているのを感じた。
――感じるわ、この世界にいる精霊たちのエンパシーが。
草むらから、森の廃屋から、泉に湧き出る水の中から、精霊たちの力が現れるのを感じた。精霊たちは次第に増幅していき、一つとなり、寄り添うようにロミたちの周りを包んでいった。
ロミたちを包む白い灯りが徐々に広がり、上へと昇り、やがて巨大な塔を照らし出すと、稲妻と雷鳴は止み、母ワームの世界には静寂が訪れた。
蔦の絡まる巨大な塔は、まるでアステカのピラミッドのように巨大な石を階段状に積み上げ、なお上へ上へと伸びてそそり立ち、正面に彫刻された巨大な眼がロミたちを見下ろしていた。
ロミは目を閉じて心眼を開き、黄金色に輝く瞳でピラミッドの眼を見た。
思念の言葉を使うこともせず、無言のまま、ロミはその巨大な眼を見続けた。
巨大な眼も動ずることなく、ロミの黄金色に輝く瞳を見返していた。
そして巨大な眼の下に巨大な口の彫刻が現れて、無言のうちに、重々しく開かれていった。
すると巨大な口の中から無数の炎が鬼火のように湧いてきて、ロミたちに近づこうとしている。その鬼火の群れから発する悪鬼の気配に、ロミを包んでいた精霊たちがざわめきだした。
――大丈夫よ、みんな落ちついて。
ロミの思念の言葉を聞いて、精霊たちは落ち着きを取り戻した。
鬼火の群れはロミたちの前に近づき、突然一つに固まり、そこに大男が出現した。
「ホホーウ、なんて可愛い子ちゃんが来てくれたのか、これならディアボロ様も十分ご満足されるだろうよ、さあこっちへおいで可愛い子ちゃん」
大男は獣のような腕を伸ばして、マリアの手首を掴み、ロミから引き離そうとした。
ロミはとっさに黄金色の瞳から鋭い光線を発し、大男の眼に一撃した。
大男はもんどりう打って、その場に倒れると、ばらばらに飛び散って再びもとの鬼火に戻った。
「くそっ、なんて女だ、目が見えない、城へ引き返そう、魔女め城の中で待っているぞ!」
鬼火の群れは後ずさりして、巨塔の入り口に戻って再びゆらゆらと浮遊し始めた。
気味の悪い大男に手首を掴まれてマリアは動揺していたが、精霊たちの寄り添う愛の力に気を取り直し、離れかけていたエンパシーを引き戻すと、ロミの手をしっかりと握りしめた。
――マリア、今のは幻覚よ、悪鬼ディアボロはあの塔の中に隠れているわ。
――ロミさん、大丈夫よ、ちょっと油断していただけ。(マリアはしっかりと応えた)
――トム、ディアボロはどんな力を持っているの?そして塔の中はどうなっているのかしら。
――ディアボロは念動力を持っています、そして今のように幻覚を見せる妖術師でもあります。それから塔の中は迷路のようになっていて、僕にも詳しくは分かりませんが、大体の構造は分かっています。
――でも、もう少し相手の力量を確かめてから中に入った方がいいと思います。
――今は急がずに、彼らを広場におびき出して、戦いましょう。
ロミたちは、塔から少し離れた泉のほとりで休憩することにした。
巨大な塔の眼は彼女たちを監視していたが、泉のほとりからも塔の出入り口がよく見えた。
今は昼間にあたり、人工太陽の柔らかな日差しが心地よかった。
トムは、森の中からリンゴとブドウを採ってきてロミたちに食べてもらった。
お腹が一杯になると、マリアは泉を見て泳ぎたいと言った。
「マリア、あなた泳げるの」
「ええ、南極の地下には温泉があるのよ、それに、オーストラリアやアフリカには父によく連れて行ってもらったし、私、水泳が大好きなの」
マリアは白いトーガを脱ぎ捨てて、美しい肢体を伸ばして思いきり泉にダイブした。
彼女はまるで水の妖精のように、美しい泳ぎで透き通った泉の水と戯れた。
ロミは、このワームの中の状況についてトムに質問をした。
「今はみんな塔の中に閉じ込められているようですが、普段は森の中で生活しているのです」
「人は何人くらい暮らしているの」
「さあ、たぶん千人は下らないと思います」
「まあ、そんなに大勢の人がいるの」
ロミは驚いて、トムの眼を見つめた。
トムはロミの眼を眩しそうに見た。
「あ、ごめんなさい、男の人はみんな私の眼を怖がるのよ」
「いえ、そんなつもりではありません、ただ、あなたの眼がとても綺麗だから」
トムは恥ずかしそうに顔をそらしたが、目は離さなかった。
ロミはそんなことを言われたのは初めてのことで、少しだけ胸が暖かくなるのを感じた。
「今回のマリアの星の宇宙船のように、この太陽系に近づく船がこのワームに捕らえられて、ここに暮らすようになります」トムはロミの眼を見続けた。
ロミはさらに質問を続けた。
「あなはどうして宇宙虫に変身させられていたの」
トムは、どう説明したらよいのか、少し戸惑ったようにロミの薄い琥珀色の瞳を見つめた。
「僕の母星はヴェガの第5惑星です、母はそこから地球に来て僕を産みました」
「あなたたちも地球に住んでいたの」
「そうです、ある意味僕もあなたと同じ地球人です」
言ったあと、トムは小さく微笑んだ。
その笑顔がとても素敵だと、ロミは思った。
「地球は太古の時代から、銀河系の交流地点だったのですが、知らないのは現代の地球人だけです。母の一族とマリアの父親の一族も、お互い古くから交流は有りました」
マリアは泳ぎ疲れて泉から上がると、人工太陽の柔らかな日差しを浴びて、裸のまま気持ちよさそうに、草の上で静かに寝息を立てて眠ってしまった。
ロミはその上にトーガをかけて上げたが、マリアの美しい肢体は塔の上から丸見えだった。
「母のことを説明しますと、僕が成人になる前に一度ヴェガへ連れて行きたいと言って、僕を連れて地球を離れたのですが、途中、あのディアボロスに出会ってしまい、無理やり愛人にされそうになり、逆らったために囚われの身となり、あのように呪縛されてしまったのです」
トムは悲しげに、その青い瞳に涙を浮かべ、ロミの透き通った瞳を見つめた。
「可哀そうに」ロミは彼の肩に手をかけ優しく包んであげた。
トムは涙をこらえ、ロミの身体に腕を回した。
夕暮れが近づき、日差しが薄くなる黄昏時、二人は精霊たちの愛のエンパシーに包まれて、なぜか互いに見つめ合い、ロミは今まで経験したことのない、心の高まりを感じた。
――いけない、私はいったい、どうなってしまったのかしら。
ロミは腕を下し、トムの膝に手を休め、彼の青い瞳をそっと見上げた。
トムは、ロミの強靭で柔らかな筋肉に包まれた肩に手を回し、その愛らしい唇に近づいた。
――あっ、だめよ、トム。
――そんなこと、まだ知り合ったばかりじゃない。
と、その時だった、塔の大きな口から再びあの大男が現れ、泉のほとりで眠るマリアをめがけて猛然と走り出して来た。
ロミとトムは立ち上がり、ほんの一瞬、くちびるを合わせたあと、無言のうちに目と目を合わせて合図を送りあい、即座にマリアに駆け寄ると、彼女を起こしてトーガを頭から被せ、ロミを中心に手をつなぎあい陣形を組んだ。
そこに猛然と駆け寄ってきた大男は、陣形の前で飛び上がってマリアに襲い掛かる。精霊たちは、エンパシーでマリアを包み込もうと守ったが、大男の獣のような手が、マリアの白い腕を狙って伸びてきた。
次項Ⅱ-21に続く
写真と動画はお借りしています
さくら学院科学部のお三方
3期生の堀内まりなさんと佐藤日向さんは
現在声優歌手としてテレビ舞台映画など大活躍です