今村夏子の「あひる」を読んだ! | とんとん・にっき

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今村夏子の「あひる」(角川文庫:平成31年1月25日初版発行、令和元年8月25日5刷発行)を読みました。文字も大きく、行間も詰まっていないので、解説も入れて172ページ、あっという間に読み終わりました。今村夏子の著作は、今まで読んだのは、第26回太宰治賞と第24回三島由紀夫賞のW受賞「こちらあみ子」と、第161回芥川賞受賞作「むらさきのスカートの女」の2冊です。

 

本の裏には、以下のようにあります。

あひるを飼い始めてから子供がうちによく遊びにくるようになった。あひるの名前はのりたまといって、前に飼っていた人が付けたので、名前の由来をわたしは知らない――。わたしの生活に入り込んできたあひると子供たち。だがあひるが病気になり病院に運ばれると、子供は姿を見せなくなる。2週間後、帰ってきたあひるは以前よりも小さくなっていて…。日常に潜む不安と恐怖をユーモアで切り取った、河合隼雄物語賞受賞作。

 

「こちらあみ子」は紛れもなく傑作である、という解説の西崎憲。たぶん21世紀の日本の小説のアンソロジーが編まれたらかならず収録されるような中編、とまで言う。そのあみ子は、壊れたトランシーバーで交信しようとしますが、さて「あひる」はどんな展開が待っているのか。

 

西崎憲は、以下のように解説しています。

「あひる」が提示する世界を見てみよう。語り手である「わたし」は医療系の資格を得るために勉強をしている。何らかの学校などに行くわけではなく、自宅や喫茶店で勉強をしている。語り手は両親と暮らしている。三人暮らしの静かな暮らしである。そしてある日、父親があひるを家につれてくる。「あひる」の世界を捉えがたく捉えがたくさせているのはこのあひるである。引退した父親が昔の同僚から貰ってきたあひるは、さまざまな人間から愛される存在であるにもかかわらず、交換可能である。最初のあひるは死に、べつのあひるに交換され、それが死ぬとさらにべつのあひるに交換される。それが意味することは案外こわいことである。あひるはおそらくは親しみやすく印象的な姿ゆえに、愛される存在であり、その姿ゆえに交換可能である。それを人間に置き換えると慄然とするのではないだろうか。この「あひる」が胸騒ぎを起こさせるのは、たぶんそういうことを仄めかすからだろう。

 

「おばあちゃんの家」と「森の兄妹」は一点を接してたくみにつながっている。今村夏子は構築力にもめぐまれた作家なのだ。・・・二作から思ったのはまず今村夏子の児童文学の素養の深さである。

 

目次

あひる

おばあちゃんの家

森の兄妹

解説 西崎憲

 

いきおいで、今村夏子の祝デビュー10周年と銘打った「木になった亜沙」(文芸春秋:2020年4月5日第1する発行)を購入、アマゾンからいま届きました。いつ読めるかはわかりませんが…。

 

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