梯久美子の「原民喜 死と愛と孤独の肖像」を読んだ! | とんとん・にっき

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梯久美子の「原民喜 死と愛と孤独の肖像」(岩波新書:2018年7月20日第1刷発行、2018年8月24日第2刷発行)を読みました。表紙が下にあげた別バージョンのもので、いわゆるダブルカバーとなっていて、岩波新書だとは思いませんでした。いかにも「文学者」らしい表情の写真と、「死と愛と孤独の肖像」とあります。また「愛しすぎて、孤独になった。今よみがえる、悲しみの詩人」とあります。

 

著者があの「梯久美子」です。「狂うひと『死の棘』の妻・島尾ミホ」の著者です。「狂うひと・・・」は、読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞、等々を受賞しています。発売半年後に購入しましたが、なにしろ660ページを超える大著、いまだに読み始めていません。その時点では8刷を越えていました…。

 

さて、原民喜、名前だけは知っていましたが、この本を読むまで、どういう人かまったくわかりませんでした。「三田文学」の関連で、遠藤周作とは近かった人だったらしい。フランスで原の自死の報を受けた遠藤は、遺書を読んで「貴方の死は何てきれいなんだ」と日記に書いたという。

 

大江健三郎は、原民喜を「若い読者がめぐりあうべき、現代日本文学の、もっとも美しい散文家のひとり」とし、以下のように書いています。

「原民喜は狂気しそうになりながら、その勢いを押し戻し、絶望しそうになりながら、なおその勢いを乗り超えつづける人間であったのである。

そのように人間的な闘いをよく闘ったうえで、なおかつ自殺しなけれなならなかったこのような死者は、むしろわれわれを、狂気と絶望に対して闘うべく、全身をあげて励ますところの自殺者である。」(新潮文庫「夏の花・心願の国」解説より)

 

最大の理解者であり庇護者でもあった妻を戦時中に喪い、その後広島で被爆した原にとって、戦後の東京生活は、孤独と貧しさのたたかいだった。その中で執筆を続け、ついに力尽きた。新聞には、「原民喜氏(作家)自殺す。レール枕に、遺書も用意」とあります。

 

駒場の日本近代文学館を訪れたときに、原民喜の原稿が展示してあったことを思い出しました。「夏の花」は原爆文学を代表する名作、とあります。下は、「原民喜氏の第18通目の遺書である」とあります。(日本近代文学館展示室リニューアル記念「近代文学の150年」より)

 
この本の内容:
『夏の花』で知られる作家・詩人,原民喜(1905―51).死の想念にとらわれた幼少年期.妻の愛情に包まれて暮らした青年期.被爆を経て孤独の中で作品を紡ぎ,年少の友人・遠藤周作が「何てきれいなんだ」と表した,その死――.生き難さを抱え,傷ついてもなお純粋さをつらぬいた稀有な生涯を,梯久美子が満を持して書き下ろす,傑作評伝.
私の文学が今後どのやうに変貌してゆくにしろ,私の自我像に題する
言葉は,
死と愛と孤独
恐らくこの三つの言葉になるだらう.

(原民喜「死と愛と孤独」1949年)
 
目次
序章
Ⅰ 死の章
 一 怯える子供
 二 父の死
 三 楓の樹
 四 姉の死
Ⅱ 愛の章
 一 文学とデカダンス
 二 左翼運動と挫折
 三 結婚という幸福
Ⅲ 孤独の章
 一 被 爆
 二 「夏の花」
 三 東京にて
 四 永遠のみどり
主要参考文献
原民喜略年譜
あとがき
 
梯久美子(かけはしくみこ):
ノンフィクション作家.1961(昭和36)年,熊本市生まれ.北海道大学文学部卒業後,編集者を経て文筆業に.2005年のデビュー作『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞.同書は米,英,仏,伊など世界8か国で翻訳出版されている.著書に『昭和二十年夏,僕は兵士だった』,『昭和の遺書 55人の魂の記録』,『百年の手紙 日本人が遺したことば』,『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(読売文学賞,芸術選奨文部科学大臣賞,講談社ノンフィクション賞受賞)などがある.
 

 

「原民喜」表紙、別バージョン

 

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