呉座勇一の「陰謀の日本中世史」を読んだ! | とんとん・にっき

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呉座勇一の「陰謀の日本中世史」(株式会社KADOKAWA:2018年3月10日初版発行、2018年4月5日再版発行)を読みました。呉座勇一の著作は、「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」に続いて2冊目です。特にこの分野の本が好きというわけではなく、単なる”流れ”です。”俗説、一蹴! ”、「応仁の乱」の著者が二匹目のどじょうを狙ったと言われそうですが、本人は、この本の構想を練り始めたのは「応仁の乱」とほぼ同時期の、2014年からだという。

この本は、平清盛が急速な昇進を遂げて平氏政権を樹立するあたりから始まりますが、第5章まではなかなか読み進まず、ややてこずりましたが、多少は知っているところ、第6章「本能寺の変に黒幕がいたか」、第7章「徳川家康は石田三成を嵌めたのか」になると、がぜん面白くなり、終章「陰謀論はなぜ人気があるのか?」に至っては、”お説ごもっとも”、なるほどなるほどと、読み終わりました。

本の帯には、以下のようにあります。

「事実」はドラマや小説より面白い。たとえば、
本能寺の変に黒幕あり?→いない。光秀をバカにしすぎ
関ヶ原は家康の陰謀? →違う。家康も追い詰められていた
義経は陰謀の犠牲者? →誤り。義経の権力は砂上の楼閣だった

陰謀論の誤りを最新学説で徹底論破!!
トンデモ説やフェイクニュースが溢れる世の中で騙されないために。
陰謀論の法則まで明らかにする、必読の歴史入門書!


もくじ
まえがき
第一章 貴族の陰謀に武力が加わり中世が生まれた
第一節 保元の乱
崇徳と頼長に謀反の意思はなかったetc
第二節 平治の乱
平清盛の熊野参詣に裏はない/後白河黒幕説は成り立たないetc.

第二章 陰謀を軸に『平家物語』を読みなおす
第一節 平氏一門と反平氏勢力の抗争
清盛が陰謀をでっちあげた/以仁王の失敗は必然だったetc
第二節 源義経は陰謀の犠牲者か
後白河は頼朝の怒りを予想していなかった/源義経の権力は砂上の楼閣だったetc

第三章 鎌倉幕府の歴史は陰謀の連続だった
第一節 源氏将軍家断絶
源頼家暴君説は疑問/策士・時政が策に溺れた「牧氏事件」etc
第二節 北条得宗家と陰謀
時頼黒幕説は穿ちすぎ/霜月騒動は正規戦だったetc

第四章 足利尊氏は陰謀家か
第一節 打倒鎌倉幕府の陰謀
後醍醐の倒幕計画は二回ではなく一回/尊氏は後醍醐の下で満足していたetc
第二節 観応の擾乱
尊氏がつくった北朝は尊氏の手で葬られた/足利尊氏=陰謀家説は疑わしいetc

第五章 日野富子は悪女か
第一節 応仁の乱と日野富子
日野富子は足利義視に接近していた/足利義政は後継者問題を解決していたetc
第二節 『応仁記』が生んだ富子悪女説
史実は『応仁記』と正反対/富子悪女説が浸透した三つの理由etc

第六章 本能寺の変に黒幕はいたか
第一節 単独犯行説の紹介
ドラマで好まれる光秀勤王家説と光秀幕臣説etc
第二節 黒幕説の紹介
一九九〇年代に登場した朝廷黒幕説/「足利義昭黒幕説」は衝撃を与えた/荒唐無稽すぎるイエズス会黒幕説etc
第三節 黒幕説は陰謀論
黒幕説の特徴/近年主流化しつつある四国政策転換説/空論etc

第七章 徳川家康は石田三成を嵌めたの
第一節 秀次事件
豊臣秀次は冤罪だった/新説「秀吉は秀次の命を奪う気はなかった」etc
第二節 七将襲撃事件
「三成が家康の伏見屋敷に逃げ込んだ」は俗説etc       
第三節 関ヶ原への道
「内府ちがいの条々」で家康は窮地に陥った/「小山評定」は架空の会議/転換点は岐阜城攻略戦etc

終章 陰謀論はなぜ人気があるのか?
第一節 陰謀論の特徴
因果関係の単純すぎる説明/論理の飛躍/結果から逆行して原因を引き出す/挙証責任の転嫁
第二節 人はなぜ陰謀論を信じるのか
インテリ、高学歴者ほど騙されやすい/疑似科学との類似性/専門家の問題点etc

あとがき
主要参考文献

呉座勇一:
1980年(昭和55年)、東京都に生まれる。東京大学大学文学部卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史専攻。現在、こくさいにほんぶんかけんきゅうせんたー東京大学大学院人文社会系研究科研究員。国際日本化センター助教。2014年「戦争の中世史」(新潮選書)で第12回角川財団学芸賞受賞。「応仁の乱」(中公新書)は47万部突破のベストセラーとなった。他著に「一揆の原理」(ちくま学芸文庫)、「日本中世の領主一揆」(思文閣出版)ふがある。

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