「青木淳[選]建築文学傑作選」を読んだ! | とんとん・にっき

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「青木淳[選]建築文学傑作選」(講談社文芸文庫:2017年3月13日第1刷発行)を読みました。建築家・青木淳の選だというので、かなり早くから注目し、購入していました。青木淳は、あの奈良美智の「あおもり犬」のある青森県立美術館の設計者です。僕は2度ほど、青森県立美術館を訪れています。

青森県立美術館・常設展を観た!

青森県立美術館(青森の旅、その4)


本の帯には、「建築家の眼で文学を玩味する」とあり、「文学の奥底にひそむ『建築』を発見する試み」とあります。


本の裏表紙には、以下のようにあります。

建築学科の必読書は谷崎「陰翳礼讃」であるという。文学と建築。まったく異なるジャンルでありながら、そのたたずまいやなりたちに文学を思わせる建築、そして構造、手法に建築を思わせる文学がある。構成、位相、運動、幾何学、連続/不連続――日本を代表する建築家が選び抜いた、既存の読みを覆す傑作“建築文学”十篇。

収録作品
須賀敦子「ヴェネチアの悲しみ」
開高健「流亡記」
筒井康隆「中隊長」
川崎長太郎「蝋燭」
青木淳悟「ふるさと以外のことは知らない」
澁澤龍彦「鳥と少女」
芥川龍之介「蜃気楼」
幸田文「台所のおと」
平出隆「日は階段なり」
立原道造「長崎紀行」


初めて名前を聞く作家は、川崎長太郎、青木淳悟、平出隆の3人。他の7人はある程度評価の定まった作家だと言えます。が、しかし取り上げられた作品は、一般的とはいえず、よくぞ探し当てたと思わざるを得ません。

 
「われらの文学 19 開高健」 (講談社:昭和41年6月15日発行)を押し入れの奥から引っ張り出してみてみたら、5つの作品が収録されていました。「日本三文オペラ」「ロビンソンの末裔」「パニック」「裸の王様」そして「流亡記」の5つの作品です。やばいよ、「流亡記」が入っていましたよ。前の4作品はなんとなく読んだという記憶に残っていますが、「流亡記」はまったく記憶にありません。「万里の長城は完全な徒労である」で始まる「流亡記」、今回読んでみて、開高健って、こんな文章を書く人だったっけと、驚きました。


青木淳は、以下のように書く。

開高健の「流亡記」は、「土のかたまりを何百個、何千個と、一顧ずつたんねんにつみあげて」作られたような文学だ。そのひとつひとつの文章を「土のかたまり」と形容したくなってしまうのは、言葉のリズム、音色、音程、テンポが、この中編を通してずっと変わらず、比重の大きい渇いた響きのオスティナート(固執低音・執拗低音)を連想させるからだ。会話文はない。心理は書かれない。自分の意志とは無関係に、目の前に現れるもの、またそれが自分に及ぼすことがわが、見るではなく見えてしまうもの、体験するではなく体験させられてしまうものとして、淡々と叙述されていく。


先日、駒場の日本近代文学館で、立原道造の詩だっかた、生原稿を見ました。TOTOギャラリー間の「中村好文展」で、「ヒアシンスハウス」の手書きの図面と模型を見ました。「ヒアシンスハウス」が、立原が建てようとしていた浦和の別所沼公園に、政令指定都市移行に伴い2004年11月にに建設されてあることも知っています。ウナギも美味しいらしいし、近いうちに行ってみようと思っています。


立原道造について書かれた本が、6巻本「立原道造全集」(角川書店:1970年代)以外(筑摩書房版もあるようですが)、なかな見つからず、やっと種田元晴の「立原道造の夢みた建築」(鹿島出版会:2016年9月20日第1刷)を発売と同時に購入して持ってますが、まだ読むに至っていません。

 
青木淳は、以下のように書く。

立原道造は詩人であると同時に建築家でもあった。1934年に東京帝国大学の建築学科に入学し、卒業設計も含めて3回の辰野賞銅賞をとっている。才能もあった。一高で同期だった生田勉は、皆が白い機能主義的な案をつくっているなか、色を塗り、石を貼った案を「敢然と」やって、「断然異色だった」けれど「確かに美しいと認めざるを得なかった」といっている。一年下の、のちに世界的な建築家にある丹下健三も、「鮮烈な光ぼうを放って私の目の前を通り過ぎた一人である」と回想する。


1938年の終わり、立原道造は東京を離れて長崎に向かった。「長崎紀行」はその3週間にわたる、離京の翌日にはじまり帰京の翌日におわる旅の記録である。このあと立原は、12月26日に東京市療養所に入院し、ついにそこを出ることなく、翌年3月29日に、24歳の若さで亡くなっている。


最初の須賀敦子「ヴェネツィアの悲しみ」という作品が、ある意味で全体を通してのテーマになっているんです。と青木はいう。だんだん朽ちて沈没していく儚いヴェネツィアという街で、人間にはどうしても儚さじゃなくて、きっちりとした幾何学が必要だ、それが建築なんだという思いが、まず一方で語られます。


須賀敦子は、大手の水道工事業者、須賀工業経営者の家に生まれる、とありました。知らなかった。須賀工業は仕事上での付き合いはありました。須賀敦子という、名前だけは知っていましたが、その著作は読んだことがありませんでした。いま思い出しました。何らかのイタリア関連のテレビ番組で見たことがあり、それで名前を知っていたのかもしれません。さっそくアマゾンへ須賀敦子の「ヴェネツィア」「ミラノ」「ローマ」など、文庫本を注文しました。


選者・青木淳  (1956.10.22~)建築家。82年、東京大学工学部建築学科修士課程修了。磯崎新アトリエに勤務後、91年に青木体験させられてしまうものとして、青木淳建築計画事務所設立。個人住宅を始め、青森県立美術館に代表される公共建築、いくつものルイ・ヴィトンの商業施設など作品は多岐に渡り、世界的な評価を得ている。99年に日本建築学会作品賞、2004年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2015年には読売新聞書評委員を務めた。主な著書に『JUN AOKI COMPLETE WORKS 1 :1991 - 2004』、『同第2巻 :青森県立美術館』、『同第3巻 :2005 - 2014』、『原っぱと遊園地』、『原っぱと遊園地 2』、『青木淳 ノートブック』などがある。


朝日新聞:2017年4月30日
aoki