小山聡子の「浄土真宗とは何か 親鸞の教えとその系譜」を読んだ! | とんとん・にっき

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小山聡子の「浄土真宗とは何か 親鸞の教えとその系譜」(中公新書:2017年1月25日発行)を読みました。どうしてこの本を読んだのか?早い話が、僕の家が浄土真宗だからである、ただそれだけです。父が親鸞が布教活動をした茨城県の出身、だからかどうか?とはいえ、浄土真宗の仏壇があったわけでもなく。考えてみると、今まで浄土真宗や親鸞についての本は、一冊も読んだことがありません。と思ったのですが、偶然「親鸞 いまを生きる」という本を読んだときに、下のように書いたことを思い出しました。

「親鸞 いまを生きる」を読んだ!

近年、親鸞に対する再評価の気運が高まり、五木寛之の単行本「親鸞」は爆発的に売れたようです。つい最近、文庫化されたので、さっそく購入しましたが、まだ読むには至っていません。丹羽文雄の単行本「親鸞」(上・下)を、30数年前に読んだ記憶があります。その本は、押し入れの奥に眠っていると思います。また現在、東京国立博物館平成館で「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展が開催されています。来月の4日までなので、早く観に行かないと終わってしまいます。法然800回忌、親鸞750回忌の特別展、だそうです。


五木寛之の「親鸞」、まだ読んでいません。「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展も、行かなかったようです。まあ、それはそれとして、どういう風の吹き回しか、小山聡子の「浄土真宗とは何か 親鸞の教えとその系譜」を読んだわけです。最後の「主要参考文献」、数えてみたらちょうど90冊ですよ、いや~、驚きました。いかにこの本が「労作」だったか、推して知るべし、です。とはいえ、思っていた以上に平易な文章で読み易く、学術論文風じゃないところが良かったです。


著者の小山聡子さん、まだお若い、以下のような経歴です。

1976年、茨城県に生まれる。98年、筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒業。2003年同大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。博士(学術)。現在、二松学舎大学文学部教授。専門は日本宗教史。

著書「護法童子信仰の研究」自照社出版、2003年

   「親鸞の信仰と呪術―病気治療と臨終行儀―」吉川弘文館、2013年

   「源平の時代を視る」(共編著)思文閣出版、2014年

   ほか



本のカバーには、以下のようにあります。

日本最大の仏教宗派、浄土真宗。開祖・親鸞は、絶対他力の教え、悪人正機説など、思想の革新性で知られている。本書では、さらに平安時代の浄土信仰や、密教呪術とのつながりにも目を向け、親鸞の教えと、それがどのように広まったのかを、豊富な史料とエピソードに基づき描きだす。師・法然から、親鸞、その子孫、室町時代に教団を確立した蓮如、そして東西分裂後まで、浄土真宗の思想と歴史を一望する。


著者は、次のようにいう。

実際のところ、煩悩を抱える我ら人間にとって、愚の自覚に徹することは非常に困難である。・・・親鸞の偉大さは、必ずしもその教えのみにあるのではなく、愚を自覚しようと志し、少なくともある程度は自覚しえたところにあるのではないだろうか。


そして、以下のように結んでいます。

親鸞の生き方は、現代社会において、特には浄土真宗の信仰を持たないものにとっても道標となりえる。たとえば、愚を多少なりとも自覚できるものが自覚しようと謙虚な姿勢を持てば、現代社会が抱える諸問題の中で、解決に導かれることは多いだろう。愚の自覚を試みようとするだけでも、謙虚になり、自然と周囲の人間や様々な事柄に対する感謝の念も生じてくるはずである。親鸞の教えは、現代社会における諸問題解決の糸口になるかもしれない。


現在存続している教団で重要視される歴史上の人物は、往々にして理想化して語られがちである。しかしそれでは、彼らの真の姿を描き出すことなどできない。「人間が救われるにはどうしたら良いか」。そのことに苦悩し、自ら「愚禿」と称して揺れ動いた人間親鸞のほうが、理想化された親鸞よりも、よっぽど魅力的である。また、それぞれの時代の中で親鸞の教えを受容し、工夫しながら門弟に説き続けた継承者がいたからこそ、現在の浄土真宗があることを忘れてはならない。(「あとがき」より)


「浄土真宗とは何か」/小山聡子インタビュー