梓澤要の「荒仏師 運慶」を読んだ! | とんとん・にっき

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梓澤要の「荒仏師 運慶」(新潮社:2016年5月20日発行)を読みました。


過去にこんなことをブログに書きました。梓澤要の「荒仏師 運慶」とかなりの部分、時代が重なっていました。重源と運慶の交流についても多く描かれていて、再度読み直したい気持ちですが・・・。


伊藤ていじの単行本「重源」という本があります。もちろん読みましたが、なんかの拍子にこの大事な本をブックオフに売っちゃったようで、今から思うと残念なことをしてしまいました。今は絶版になっていて、購入できません。そんなこともあってか、平重衡の南部焼き討ちによって焼失した大仏殿の復興に、その身命を捧げ86歳で亡くなった重源、今回の展覧会で「重源上人座像」に出会えて、その表情を観ることができたのは、僕の喜びでした。

東京国立博物館平成館で「東大時大仏 天平の至宝」展を観た!


もともと展覧会を観たりもして、運慶に興味があったのは事実ですが、どうしてこの本を買うことになったのか?下に載せた朝日新聞の末國善己の書評でした。正直言って、現在の製造業に引き付けたこの評だけでは、ほとんど何もわかりませんでしたが・・・。

「荒仏師 運慶」梓澤要(著)「働く意味や信仰とは何か問う」評・末國善己

http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2016070300006.html


本の帯には、以下のようにあります。自分にしか彫れぬ仏とは何か。絶望も愛欲も仏に刻んだ天才運慶の濃厚な生涯。そして裏を見ると、以下のようにあります。


少年の頃「醜い顔」と嘲られた運慶は、それゆえ美に敏感となった。鎌倉武士の逞しい肉体に目を奪われ、女の姿態を仏の姿に写しとる。その手にあるのは鑿一つ。荒ぶる野心、快慶との確執、飽くなき美の追求。だが絶頂期、病が襲った……。平安から鎌倉という大変革の時代に、美と祈りのはざまで格闘し続けた運慶。最晩年、“たとえ無名の仏師で終わったとしても、ひとの心に刻み込まれるお像を一体でも造ることが出来れば満足だった”という境地に至った天才のすべてを描く渾身の歴史小説。


梓沢要:

1953年静岡県生まれ。明治大学文学部卒業。1993年、『喜娘』で第18回歴史文学賞を受賞しデビュー。作品執筆の傍ら、2007年から東洋大学大学院で仏教学を学ぶ。主な著作に、『阿修羅』『百枚の定家』『夏草ケ原』『遊部』『橘三千代』『枝豆そら豆』『唐衣』『女にこそあれ次郎法師』『越前宰相秀康』『捨ててこそ 空也』『光の王国 秀衡と西行』等がある。


ウィキペディアには、以下のようにあります。

梓澤 要(あずさわ かなめ、1953年7月20日 )は、日本の小説家、時代小説作家。本名、永田道子。静岡県生まれ。明治大学文学部史学地理学科(考古学専攻)卒業。1993年、『喜娘』で第18回歴史文学賞を受賞してデビューする。主に女性を中心に据えた時代小説を執筆しており、初期は古代の女性が主人公の作品が多い。


「斬新かつ重厚な歴史小説に定評がある」と末國善己は述べていましたが、なんと、梓沢要は女性だったんですね。歴史小説はほとんど読まないので、これを書くまで知りませんでした。そうだ、思い出しました。安倍龍太郎の「等伯」という小説を読んだことを。その時代のなかで、能登の絵師が中央にのし上がっていくのは、運慶の歩みと似ていました。

安部龍太郎の「等伯」(上・下)を読んだ!


荒仏師 運慶 目次

第一章 光る眼

第二章 新しい時代、新しい国

第三章 棟梁の座

第四章 霊験

第五章 巨像

第六章 復活

第七章 一刀三拝


「運慶」ウィキペディア


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