豊川斎赫の「丹下健三 戦後日本の構想者」を読んだ! | とんとん・にっき

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豊川斎赫の「丹下健三 戦後日本の構想者」(岩波新書:2016年4月20日第1刷発行)を読みました。帯には「建築の化身 畏怖すべき先見と洞察 世界のTANGEの足跡をたどる」とあります。また、カバー裏には以下のようにあります。


時代の精神を独自の美へと昇華させる構想力。丹下健三が創り出す建築空間は、高度成長の道をひた走る戦後日本の象徴であった。「建築の化身」。直弟子・磯崎新をしてそう言わしめた人物の足跡を、多くの逸材を輩出した「丹下シューレ」の活動とともにたどる。従来批判されてきたバブル期の活動にひそむ先見と洞察に光をあてる。


つい先日、五十嵐太郎の「日本建築入門――近代と伝統」(ちくま新書:2016年4月10日第1刷発行) を読みました。

五十嵐太郎の「日本建築入門―近代と伝統」を読んだ!


五十嵐は、1967年生まれの著作も多く、気鋭の建築史家です。近代の日本建築には「日本という意識」が脈々と流れている、として、オリンピック競技場、万博パヴィリオン、国会議事堂、皇居など、国家規模のプロジェクトを取り上げて、「日本的なるものとは何か」を議論していました。一方「丹下健三 戦後日本の構想者」を書いた豊川は、1973年生まれの新進の建築史家です。著作を見ると、丹下健三に関する著作が数点あるのみです。


若い世代の建築史家が建築界の現状をどう思っているのかに興味がありましたが、二つの著作とも、特に新しい事実もなく、ほとんど新鮮味は感じられませんでした。豊川の「丹下健三」では、今まであまり表立って議論されてこなかった丹下の中東のプロジェクトを取り上げていること、そして「丹下シューレ」として彼らがたどった道を取り上げていることが、新しいといえば新しい。ただし「丹下シューレ」では一人についてごく僅かしか書かれていないので、歯がゆい思いが残るだけでした。

目次

序 残酷な建築のテーゼ
第1章
焼野ケ原からの復興
1 平和を生産する工場―広島平和記念公園
2 首都の人口過密と経済発展の止揚―東京都庁舎
3 地方自治と民主主義のプロトタイプ―香川県庁舎

第2章
高度成長のシンボルをつくる―東京オリンピックと大阪万博
1 情報化社会に向けて
2 象徴の創造―国立屋内総合競技場
3 成長の先にある未来像―大阪万博お祭り広場
第3章
バブルと超高層ビル
1 中東諸国へ
2 アフリカへ
3 シンガポール、ふたたび東京へ
第4章
丹下とどう対峙するか―丹下シューレのたどった道
1 国土・都市・建築―浅田孝と下河辺淳
2 部分から全体への回路―大谷幸夫と槇文彦
3 父殺しとポストモダン―磯崎新と黒川紀章
4 言空一致による新しい建築の創造―神谷宏治と谷口吉生
おわりに 丹下の投げかけたもの―戦後100年を視野に入れた建築をどう構想するか

 おもな引用文献
 参考文献


豊川斎赫(とよかわ・さいかく):

1973年生まれ。建築家、建築史家。東京大学大学院工学系建築学専攻修了。現在、国立小山工業高等専門学校准教授。専攻は建築史、都市デザイン。著書に、『群像としての丹下研究室』(日本建築学会著作賞)、『丹下健三とKENZO TANGE』(日本イコモス奨励賞)ともにオーム社。


丹下健三(1913-2005):

建築家、都市計画家。大阪府生まれ。

1938年東京帝国大学工学部建築学科卒業。戦後、東京大学建築学科で教鞭をとり、槇文彦、磯崎新らを育成した。代表作に「広島平和会館原爆記念陳列館」(1953年)、「国立屋内総合競技場(代々木体育館)」(1964年)、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」(1964年)、「日本万国博覧会フェスティバルプラザ」(1970年)、「ナイジェリア新首都都心計画」(1982年)など。


katura 「桂」

発行:1971年2月25日

著者:丹下健三

    石元泰博

発行所:中央公論社


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「建築と都市―デザインおぼえがき」
昭和45年9月10日第1版発行
著者:丹下健三

発行所:彰国社




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「人間と建築―デザインおぼえがき」

昭和45年9月10日第1版発行

著者:丹下健三

発行所:彰国社









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