埼玉県立近代美術館で「原田直次郎展」を観た! | とんとん・にっき

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埼玉県立近代美術館で「原田直次郎展」を観てきました。原田直次郎の回顧展としては、森鴎外が1909(明治42)年に開催した遺作展以来、およそ100年ぶりだという。原田直次郎の作品としては、東京国立近代美術館所蔵の重要文化財「騎龍観音」が思い浮かびます。原田の代表作ともいえるこの作品は、東京国立近代美術館の、一番良いところに展示してあり、もう何度も観ています。



東京国立近代美術館のホームページには、以下のようにあります。

原田直次郎 「騎龍観音 (きりゅうかんのん) 」
1890(明治23)年
油彩・キャンバス
272.0×181.0cm
寄託作品(護國寺蔵)

白い衣を身にまとい、右手に柳、左手に水瓶(すいびょう)を持って、龍に乗る観音を大画面に描いています。ドイツに留学した原田直次郎は、ヨーロッパの宗教画や日本の観音図の図像等を参考に、この作品を制作しました。油彩のもつ迫真的な描写を日本の伝統的な画題に適用しようと描いた意欲作です。その主題や生々しい描写をめぐって、発表当時、大きな議論を巻き起こしました。

【重文指定年月日:2007(平成19)年6月8日】

MOMAT の国指定重要文化財

東京国立近代美術館の所蔵品展を観た時に、以下のように書きました。


明治になり、日本の美術は、西洋絵画に倣って、遠近法や陰影描写により「空間の奥行きやものの立体感を表す方法を学び始めました。原田直次郎はドイツに留学し、本格的な技術を身につけた画家です。「騎龍観音」は帰国後の1890年、第3回内国勧業博覧会に出品された大作で、西洋絵画受容の初期の作例として歴史的な意義が認められ、重要文化財に指定されました。

東京国立近代美術館 所蔵作品展その1

そして東京藝術大学所蔵の重要文化財「靴屋の親父」が挙げられます。これも原田の代表作と言えます。チラシには「圧倒的な描写力は、原田が西洋絵画の本質にいかに迫りえたのかを物語っています」とあります。「靴屋の親父」は、藝大美術館で何度も観ています。


が、しかし、原田直次郎に関しては、今まで詳しいことは何も知りませんでした。。自分の不明をさらすようですが、「騎龍観音」と「靴屋の親父」、それぞれの作品は知ってはいましたが、同じ人が描いたとは思っていませんでした。そして今回、なんと驚いたことに、その原田直次郎が、わずか36歳で夭折していたのだという。今回の展覧会、原田の描いた作品数があまりにも少ないので、疑問に思いながら観ていたのですが、うかつにもそういう事情だったことを、後になって知りました。


「原田が活躍したのは主に欧化政策への反動から西洋絵画が冷遇された時期で、原田はこの風潮に対抗した急先鋒だった。彼の画業をたどると、日本の近代化と、西洋文化の受容について考える機会にもなる。」(朝日新聞:2016年2月24日)


原田直次郎は、江戸に生まれ、子どもの頃からフランス語を学ぶなど、西洋文化に触れて育ちました。やがて西洋絵画を学ぶため、高橋由一に師事します。そして、1884(明治17)年にドイツ・ミュンヘンに留学し、人体の正確なデッサンなどアカデミックな油彩画を学びます。ミュンヘンでは美術アカデミーで研鑽を積み、画家のガブリエル・フォン・マックスにも師事しました。


「だが3年後に帰国した日本では国粋主義が盛り上がり、伝統的な日本画を尊び、西洋画の優れた部分だけを導入すべきとする意見が強まっていた。これに原田は、中途半端な和洋折衷は危険であり、日本の美術を向上させるには西洋画の教育が重要だと、新聞などに繰り返し書いた。」(朝日新聞:2016年2月24日)


チラシにある「西洋画は益々奨励すべし」は、原田のその部分を言い当てているのでしょう。いずれにしても36歳で夭折したため、画家としての活動期間が短かったことは、かえすがえすも残念です。ドイツで知り合った森鴎外とは、生涯にわたる友情を結びます。「原田は素と淡きこと水の如き人なり。余平生甚だこれを愛す。」と書いています。(森鴎外「独逸日記」より)








「原田直次郎展-西洋画は益々奨励すべし」

原田直次郎[1863(文久3)-1899(明治32)]は、江戸に生まれ、子どもの頃からフランス語を学ぶなど、西洋文化に触れて育ちました。やがて西洋絵画を学ぶため、高橋由一に師事し、1884(明治17)年にドイツのミュンヘンに留学します。ミュンヘンでは美術アカデミーで研鑽を積み、画家のガブリエル・フォン・マックスにも師事しました。また、ドイツで出会った森鷗外と生涯にわたる友情を結び、鷗外の小説「うたかたの記」のモデルにもなっています。1887(明治20)年に帰国すると、日本では伝統的な美術を保護し、西洋絵画を排斥する動きが高まっていました。原田は「西洋画は益々奨励すべし」と奮闘し、東京・本郷の自宅に画塾「鍾美館」を開いて指導するとともに、展覧会への出品を通して、西洋絵画の普及に努めます。わずか36歳で夭折したため、画家としての活動期間は短いものでしたが、ミュンヘンで描いた《靴屋の親爺》の圧倒的な描写力は、原田が西洋絵画の本質にいかに迫りえたのかを物語っています。この展覧会では、原田直次郎の初期から晩年にいたる作品や資料とともに、師弟関係や親交のあった画家の作品も交えて、その軌跡をたどります。原田直次郎の回顧展としては、森鷗外が1909(明治42)年に開催した遺作展以来、およそ100年ぶりとなります。


「埼玉県立近代美術館」ホームページ


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