松家仁之の「沈むフランシス」を読んだ! | とんとん・にっき

松家仁之の「沈むフランシス」を読んだ!

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松家仁之の「沈むフランシス」(新潮社:2013年9月30日発行)を読みました。 本の帯には「読売文学賞受賞作『火山のふもとで』につづく待望の第二作」とあります。


「火山のふもとで」を読んだ「新潮2012.7」の目次には、「先生は、小さな声で呟くように、建築史に残る建物を生み出す。生を豊かにする空間とは? 浅間山のふもとの山荘で、設計コンペの戦いとロマンスのときが静かに深々と刻まれる――。超大型新人デビュー!」とありました。学生の頃から心酔していた建築家のアトリエに入所し、建築家としての仕事を学びながら、青春の日々を淡い恋も交えて克明に書かれた「火山のふもとで」、建築家や建築界の世界をあまりにも詳細に書いているので、たいへん驚いた記憶があります。


さて、松家仁之の第二作、「沈むフランシス」は北海道東部の湧別川のほとりを描いています。題名からして謎めいています。意味不明です。主人公は東京で総合職として働いていた仕事を辞めて、中学時代に父の転勤で少しの間住んだことのある北海道の安地内(あんちない)という人口約800人の小さな村へ移ってきます。30代半ばの撫養(むよう)桂子は離婚後、安地内で非正規の郵便局員として働き、郵便配達車で村の隅々まで走り回ります。郵便配達をして入れな否応なく顔を覚え、覚えられてしまうほど小さな村です。ガソリンスタンドの男には「きのう浅木屋の前でおおきなあくびしてたでしょ」と、馴れ馴れしく言われたりもします。


配達の途中で桂子は、川岸の一軒家に一人で暮らす同世代の、桂子と同じ珍しい苗字の寺冨野和彦と出会います。和彦は正体不明の謎めいた男です。こだわりのある洗練された生活をしているように見えます。「あさっては日曜日ですからお休みですよね。友だち夫婦が遊びにくるんです。よく聴くCDを一枚でも二枚でも持ってきてくれたら、うちの再生装置だとどんな音が鳴るかわかってもらえるかもしれません」。「ぼくは音をちゃんと聴くために、ここでフランシスと暮らしているようなものでね」と言う。桂子はどこか引かれる気持ちが生まれているのを感じます。「よかったら日曜日、ぜひいらしてください。午後ならいつでもいいですから」と和彦は言う。


日曜日の午後2時過ぎ、桂子は寺富野の家に行った。先に着いていた長谷川夫妻は、気やすい雰囲気のひとたちで、桂子を迎えます。寺富野は真空管アンプの愛好家のあいだでは知られた存在で、夫妻との面識ができたのもそれが縁だったという。世界各地や日本各地で録音した様々な音を、大きなスピーカーで再生して聞くこと。蒸気機関車の音、アラスカの氷河、シカゴの老舗ホテルのレセプション、ありとあらゆる場所の音を録音していました。寺富野が集めた音を聴いていると、ほんとうに目の前にそれがあるように聞こえることでした。スピーカーから出てくる音に、桂子は圧倒され息をのみます。桂子は実体ととりちがえるほどリアルなものであると感じます。


帰りがけに和彦は「よかったら来週の日曜日も、ぜひいらしてください。フランシスの説明をする時間もなかったし」と桂子に言います。


本の帯には、以下のようにあります。

北海道の小さな村を郵便配達車でめぐる女。

川のほとりの木造小屋に「フランシス」とともに暮らす男。

五官のすべてがひらかれる深く鮮やかな恋愛小説。


日曜日の午後3時。ドアが内側から開けられたとき、寺富野和彦はなにも言わず、ただ笑顔で桂子を見ました。「こちらにどうぞ」といいながら、和彦は重そうなドアを押し開けて、なかに入っていった。数日前から思い描いていたのとはちがう。なにかが省略されている。流れもはやい。はじまるときは、かならずぎくしゃくとしたさぐりあいがある。桂子にも、男の緊張や躊躇に気づかないようにするぐらいのことは自然にできた。和彦が経験値が低いとはとても思えない。


薄暗い部屋に入ると、こちらには穏やかなあたたかみが用意されていることに気づく。ずいぶん思いきったはじまりかただと桂子は思った。二段階も、三段階も省略されているのを感じると、いくばくかの不安がわいてくる。「どうしてきたの?」と和彦が行った。「どうしてって。あなたに誘われたから」と桂子は淡々と答えた。桂子の冷たい手は和彦のあたたかい首が脈打っているのをはっきりと感じていた。


和彦は桂子を両腕で抱きしめた。最初はやわらかく、しだいに驚くほどきつく。桂子のお腹のあたりに、和彦のからだの一部があたっている。いつのまにかふくらみがあらわれ、かたまってゆく気配に気づく。お腹のあたりのくっきりとしたかたちは、中学生のときに飼っていた北海道犬がおしつけてくる湿った鼻を思いださせた(ここでカバーの犬の写真の意味が分かった)。


「脱いで」、和彦が静かに言った。長いキスがはじまる。「きれいなからだをしている」、和彦の口から桂子の耳にことばがはいってくる。自分たちの息づかいだけが聞こえているなかで、どこかで聴いたことがある、ボン、という電子音がした。和彦の動きがとまった。「ごめん。フランシスだ」、またたくまに着替えを終えると、和彦はドアを開けて閉め、出ていった。


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