アムステルダムで「ゴッホ美術館」を観た! | とんとん・にっき

アムステルダムで「ゴッホ美術館」を観た!



アムステルダムで「ゴッホ美術館」を観てきました。行ったのは4月18日(月)、「オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ」をめぐる格安ツアーの8日目、クレラー・ミューラー美術館を観た翌日でした。フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の作品はわずか10年の間に描かれています。その10年刊にゴッホが制作した作品総数は、およそ油彩800点、水彩・素描・スケッチ等1000点にも上るといわれています。ゴッホはほとんど独学で絵を学びました。不器用で未熟ながら必死に絵に取り組んだ駆け出しの頃から、まさに芸術家の域に達するまでのゴッホの成長ぶりは目を見張るものがあります。


ファン・ゴッホ美術館は、画家フィンセント・ファン・ゴッホの世界一のコレクションを所蔵する他に類を見ない美術館です。館内では、ゴッホの作品はもちろんのこと、ゴッホと同時代の19世紀に活躍した画家の作品との比較を通じて、画家としてのゴッホの成長の軌跡をたどることができます。また、19世紀の美術史に関連した様々なテーマの企画展を開催しています。たまたま僕が行った時には、「ピカソ展」が開催されていました。ゴッホ美術館はミュージアム広場に面しています。本館の建築はヘリット・リートフェルト、企画展用の別館は日本人建築家の黒川紀章がデザインしたものです。


思い出したのは、昨年、2010年10月から12月にかけて、国立新美術館で「没後120年 ゴッホ展」が開催されました。もちろん、僕も観に行ってますが、図録を見てみると、企画協力がファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)と、クレラー=ミューラー美術館となっています。その「ゴッホ展」の印象に残る作品は、僕の記憶ではほとんどがゴッホ美術館所蔵のものでした。つまり、日本で観てからその後、ゴッホ美術館で観た、というわけです。


そしてもうひとつ、川上未映子の「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」を読んだ時、そのなかの一節、「私はゴッホにゆうたりたい」を読んで感動したことを思い出しました。


ゴッホの作品は、以下のような区分けで展示されています。

オランダ時代1880-1885

ゴッホが画家になる決心をしたのは1880年、27歳の時でした。それまで教師、説教師、そして画廊で働くなど職を転々としましたが、いずれも成功しませんでした。画家になる決意を固めた時、彼は風景画や街並み、そして特にモデルを使った人物画を素描することに取り組みました。

パリ時代1886-1888

パリ時代のゴッホはひたすら学び、確信し、そして実験し尽くしました。彼は1886年の春から、芸術家たちの集まるモンマルトルに住んでいた弟の家に同居し始めました。

アルル時代1888-1889

パリの喧噪に疲れたゴッホは太陽と安らぎを求め、1888年2月南フランスの街アルルへと向かいます。

サン=レミ時代1889-1890

相次ぐ発作に苦しめられたゴッホは1889年4月、アルルに近いサン=レミの療養院に入院することに決めます。
オーヴェール=シュル=オワーズ1890

ゴッホはサン=レミの療養院を出て、北の方に生きたいと思うようになりました。そして1890年5月、パリ近郊の芸術家村オーヴェール=シュル=オワーズに移り住みました。

1890年7月27日、ゴッホはピストルで自らの胸を撃ち、2日後、テオに看取られながら息を引き取りました。そしてその半年後、テオも亡くなります。兄弟は、オーヴェール=シュル=オワーズの墓地に今でも並んで葬られています。


以下、ゴッホ美術館のゴッホの作品のごく一部を下に載せておきます。


オランダ時代


アントワープ・パリ時代




アルル時代


サン・レミ時代



オーヴェール・シュル・オワーズ時代



ゴッホとゴーギャン


川上未映子の「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」を読んだ! ときに、以下のように書きました。

「私はゴッホにゆうたりたい」は僅か4ページ弱ですが、秀逸です!なにしろ全編これ大阪弁です。「今はな、あんたの絵をな、観にな、世界中から人がいっぱい集まってな、ほんですんごいでっかいとこで展覧会してな、みんながええゆうてな、ほんでな・・・」と延々書いて、また延々と書いて、そして最後に「でも今はみんなあんたの絵をすきやよ。私はどうにかして、これを、あんたにな、めっちゃ笑ってな、ゆうたりたいねん」と終わります。ゴッホにまるごと感情移入していて、泣けます。(私はゴッホにゆうたりたい2005.03.27


とんとん・にっき-ho4 「ファン・ゴッホ美術館所蔵 名画集」

図録

2002年、2009年改訂新版

ゴッホ美術館事業有限責任会社










過去の関連記事:

国立新美術館で「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」を観た!

東京国立近代美術館へ「ゴッホ展」を見に行ってきました!


パリのピカソ展 Picasso in Paris, 1900-1907
会場: ゴッホ美術館(オランダ・アムステルダム)
会期: 2011年2月18日から5月29日


ゴッホ美術館で、「PICASSO in PARIS 1900-1907」を、偶然、観ることができました。本館の地下を大々的に使ったかなり大規模な展覧会で、図録もしっかりしたものがミュージアムショップにありました。残念ながら、購入しませんでした。


1900年、19歳の若き才能にあふれたスペイン人が、当時アバンギャルドの中心だったパリに移り住みました。パブロ・ピカソはそこで初めて、ゴッホ、ゴーギャン、ロートレックらの作品を目にし、大いに刺激をうけます。本企画展では、たった数年でアバンギャルドのリーダーとなった天才ピカソの画家としての成長を、1900年から1907年までの作品を通じて辿ります。


1900年、カサヘマス、パリャーレスとともにパリを初訪問。その後バルセロナとパリの間を何度か行き来する。
1901年、雑誌「若い芸術」の編集に関わる。6月、パリで初の個展。「青の時代」の始まり。
1902年10月、パリで、マックス・ジャコブと共に住む
1904年4月、詩人のマックス・ジャコブによって〈洗濯船〉と名付けられたモンマルトルの建物に部屋を借り、パリに腰を据える。
1905年「ばら色の時代」(Rose Period)始まる(-1907年)。
1907年、『アビニヨンの娘たち』製作。


青の時代(1901年-1904年 )

親友カサヘマスの自殺にショックを受け、青色無機顔料のプロシア青をベースとする暗青色を基調として、軽業師、アルルカン、売春婦、乞食、芸術家などを描いた。

バラ色の時代(1904年-1907年)

フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人などを描いた。


以下に、展示されていた作品の一部を載せておきます。いずれもよく知られた作品です。


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