国立新美術館で「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」を観た!
国立新美術館で「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」を観てきました。フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、オランダに生まれ、僅か10数年の活動で約2000点の作品を遺し、フランスで37歳の命を自ら絶ったという、誰でもよく知っている画家です。生涯たった1枚の絵〈赤い葡萄畑〉しか売れなかったと言われています。娼婦と同棲したり、自らの耳を切ったり、彼の奇行は伝説となっています。ゴーギャンとの確執も有名です。ゴッホの生涯を経済的、精神的に支えた弟テオとの手紙のやりとりもよく知られています。浮世絵をモチーフにした作品を制作したこともあって、日本人に人気の高い画家でもあります。
今回の「ゴッホ展」、オランダのファン・ゴッホ美術館とクレラ=ミュラー美術館の提供により実現したもので、ゴッホの油彩画36点、版画・素描32点が出されていました。もちろんこれだけでは展覧会として成り立たないので、脇を固めるべく、ハーグ派のモーヴや、パリ時代に出会ったモネ、ロートレック、ゴーギャン、スーラなどの油彩画31点、版画8点、その他関連資料16点、あわせて123点で構成されています。今回は特に27歳で画家になることを決意したゴッホが、同時代の画家たちやその作品から様々なものを吸収し、自らの作品に反映していったかに焦点を当てています。つまり、「ゴッホはいかにしてゴッホになったか?」ということを明らかにする、としています。
展覧会の構成は、以下の通りです。
Ⅰ.伝統―ファン・ゴッホに対する最初期の影響
Ⅱ.若き芸術家の誕生
Ⅲ.色彩理論と人体の研究―ニューネン
Ⅳ.パリのモダニズム
Ⅴ.真のモダン・アーティストの誕生―アルル
Ⅵ.さらなる探求と様式の展開―
サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
ゴッホの作品をこうしてまとまって観るのは、久しぶりのことです。もちろん、例えば損保ジャパン東郷青児美術館で「ひまわり」とその関連作品を観たとか、先日開催されていたボストン美術館展では「オーヴェールの家々」が出ていましたが、オルセー美術館展では、ゴッホとゴーギャンのコーナーがあり、かなりまとまった点数の作品、「自画像」や「アルルのゴッホの寝室」が出ていましたが、目玉はやはり「星降る夜」でした。
そうそう、思い出しました。東京国立近代美術館の「ゴッホ展」、炎天下の中、100分待ちで入りました。その時の目玉は、「種まく人」や「黄色い家」そして「夜のカフェテラス」でした。以前書いた記事を読みなおしてみると、なんと今回と同じファン・ゴッホ美術館とクレラ=ミュラー美術館から作品の提供を受けていました。「自画像」、「種まく人」や「アルルの寝室」は今回も出されていましたが、題名は同じでも作品は異なっていました。さすがに際どく選定しているようで、作品に同じものがありません。なにしろゴッホは生涯40点近くの「自画像」を描いたと言われています。今回のゴッホ展のキャッチコピーは「ぼくは100年後の人々にも、生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」(ゴッホの手紙)とあります。
アルルへ行ってゴーギャンと暮らす、その頃から以降はよく取り上げられているので多少は知っていますが、どうしても奇行に走ったゴッホに焦点が当たってしまいます。今回のように初期の修業時代の作品から系統たてて紹介されると、非常に分かりやすいので、ゴッホ理解のためには大いに助かります。初期のゴッホがあれほどまでにミレーに固執していたこと、何度も何度も模写して、次第に自分の作風を確立していく過程がよく分かりました。ボストン美術館の図録の巻末に出ていた年表「出品作家一覧」を見ると、ゴッホと同年代の画家には、印象派の人たちをはじめ、その後の時代をつくったそうそうたる人たちがいて、時代が激変していることがよく分かります。
ゴッホの作品を見ると、激しい「筆致」と鮮やかな「色彩」が、他の画家とは明らかに違います。「私は赤と緑で、人間の恐ろしい情念を表現したい」と、ゴッホは弟のテオへの手紙に書いています。晩年の3年間は強烈な色彩の表現力が際立っています。印象派の画家たちのように外の自然を写したのではなく、彼自身の心にある世界を表現したものでした。最晩年の作品「サン=レミの療養院の庭」が、まさにゴッホの心のありようを描いたものではないでしょうか。僕それにしてもゴッホはわずか37年のあまりにも短い生涯、27歳で画家になる決心をしてから画家としての活動はわずか10年、「早世の天才画家」と言えます。
Ⅰ.伝統―ファン・ゴッホに対する最初期の影響
Ⅲ.色彩理論と人体の研究―ニューネン
Ⅱ.若き芸術家の誕生
Ⅳ.パリのモダニズム
Ⅴ.真のモダン・アーティストの誕生―アルル
Ⅵ.さらなる探求と様式の展開―
サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ
「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の作品は、これまで、日本でも数多くの文献や展覧会を通じて、幾度となく紹介されてきました。画家の熱い思いを伝える激しい筆遣いと鮮やかな色彩による独特の絵画スタイルは、その劇的な生涯とともに、多くの日本人の心を捉えています。しかし、ゴッホがいかにしてそれを創り上げるに至ったかについては、これまで十分に紹介されてきたとはいえません。27歳で画家になることを決意したゴッホは、同時代の画家たちやその作品から、さまざまなものを吸収し、自らの作品に反映させていきました。本展は、ゴッホの代表作に加え、ゴッホに影響を与えた画家たちの作品、ゴッホ自身が収集した浮世絵などを展示し、「ゴッホがいかにして『ゴッホ』になったか」を明らかにするものです。今回のゴッホ展では、ゴッホの世界的コレクションを有するオランダのファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館の全面的協力のもと、日本初公開作品を含め、選び抜かれたゴッホの油彩35点、版画・素描約30点と、オランダ時代のゴッホに絵画表現技法の基礎を手ほどきしたハーグ派のモーヴや、芸術の都パリ時代に出会ったモネ、ロートレック、ゴーギャン、スーラなどの油彩画約30点、その他関連資料約20点を一堂に展示します。また、ゴッホのアルル時代の寝室を会場内に再現し、出品作《アルルの寝室》と見比べながら、ゴッホが空間をどのように捉えて絵画で表現したかを探る画期的な試みや、科学的な視点によるゴッホの技法の分析の成果も交えて、多方面からゴッホ芸術の秘密に迫ります。
ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)/
クレラー=ミューラー美術館蔵
図録
編集:
クリス・ストルウェイク
レンスカ・サウファー(ファン・ゴッホ美術館研究員)
国立新美術館
名古屋市美術館
東京新聞
中日新聞社
TBS
発行:
東京新聞
中日新聞社
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