「open! architecture 聖ルカ国際病院チャペル+トライスラー記念館」を見学した! | とんとん・にっき

「open! architecture 聖ルカ国際病院チャペル+トライスラー記念館」を見学した!



「open! architecture 建築解放区」、普段観ることのできない建築をまたまた見学してきました。「オープンアーキテクチュアー」に参加したのは、「水辺から愉しむ東京」、「日本銀行本店本館」、そして「聖ルカ国際病院礼拝堂+トイスラー記念館」、これで3つ目です。聖路加国際病院のある中央区明石町は外国人居留地のあったところ。案内には、「病院内のチャペルに加え、宣教師館として建設されたトイスラー館を特別に公開。聖路加タワーの展望室を見学後、650年を数える老舗「塩瀬」で休憩」とあります。見学者は二手の分かれて、礼拝堂は聖路加病院の広報の方の案内、そしてトイスラー館は斎藤理氏の案内、ともに懇切丁寧な解説で満足しました。


聖ルカ国際病院礼拝堂は、1932年の建てられたもので、基本的な設計はアントニン・レーモンド、途中、何らかの事情で設計者がJ・V・W・バーガミニーに変更されました。たしかに外観はレーモンドだとわかるモダニズムの簡素な形態で、明らかにペレーの影響を色濃く残しています。「フランクリン街のアパート」にそっくり、と思ったのですが、よく見るとレーモンドの礼拝堂の方がデコラティブな装飾を排除してより簡素化されています。あくまで外観のみの話です。さて、礼拝堂の内部ですが、外観とはまったく異なります。こちらはステンドグラスもあり、ゴシックというか、教会の古典的な様式をそのまま受けついた形態にになっています。このズレが面白い、と僕は思いました。


レイモンドが時代の先端を行っていたので、病院関係者がレーモンドのデザインを受け入れられなかったのは想像できます。1932年と言えばル・コルビュジエが「サボア邸(1931年)」を建てたのと同じ頃です。レーモンドといえば、フランク・ロイド・ライトが「帝国ホテル」を建設するときに、日本にやってきたチェコ人の建築家、ボヘミアンです。それが突如、変貌します。コンクリートの打ち放しをやったのも世界で最初でした。世界的に見てもレーモンドがインター・ナショナルスタイル、モダニズムの建築の先端を走っていたのがわかります。この礼拝堂はもちろん病院関係者の礼拝堂ですが、地域にも開放しているので、いつでも見学可能です。


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「トライスラー記念館」は昭和8年(1933)、聖路加国際病院の宣教師館として、また迎賓館として隅田川河畔(現在の聖路加ガーデンのあるところ)に建設されました。設計者は米国人建築家のJ・V・W・バーガミニィで、施工は清水組(現在の清水建設)が行いました。建物の躯体は鉄筋コンクリート造一部木造の2階建てで、ヨーロッパの山荘を思わせる風格のある建物でした。聖路加再開発計画に基づき、平成元年に解体工事が行われ、平成10年2月に現在地へと移築復元されました。復元にあたり、創建当時の施工技術や構造上の特徴を精密に記録し、再利用可能な部材をできる限り用いています。外観は、外部に柱や梁を表現したハーフティンバー風の意匠です。室内は、チューダー・ゴシック風のデザインで、玄関ホールやリビングなどに重厚な木の内装が見られます。この建物は、聖路加国際病院の歴史を物語るとともに、築地居留地時代から引き継がれてきた明石町の歴史の一端を伝える貴重な文化財です。(平成18年3月中央区教育委員会)


さて、トイスラー記念館は、内部は通常は公開されていませんが、2階は、OBたちの集会の場所として利用されているようで、そして1階は日野原重明のインタビューを受けるときに使用されているようです。日野原重明は、聖路加病院の理事長で、名誉院長です。リビングには受賞した「文化勲章」の額や、受賞したときの写真などがかけられていました。やはり玄関から入ったところの、暖炉のあるリビングから2階に上る階段が、光が射し込んで素晴らしい空間でした。


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