ベアフットランナー。 | pacoの日記

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小さな港町
からの
ひとりごと




あるブロガーさんは、

山登りやランニングをする時の靴を選ぶため、

自分と合う靴を色々と試しているようだ。

その途中経過の記録を私は

楽しみにしながら、読ませてもらっている。


ある時、しっくりくる靴が見つからないのか

「もう私、裸足で野山を走ろうかな~、野生児かw」

という事がどこかに書かれてあった。

それを読んだとき私は、

『ほんまやなぁ~!(^O^)』と思った。




私も昔、ガチガチに固めた登山靴で山を登ったことがあった。

それはもちろん、その靴を履いた方がその山に適したこと

そう言われて、自分の体力にも自信がなかったので

そうした。


けれど『何かが違うな・・』という感覚があった。

足裏、足指からくる感覚が全く無い。

固定された足の裏と固定された足首で歩く苦痛。

そこを固定されると、全身のバランスが悪くなる気がした。

もちろん、昔と違って今は、

山に登る靴ももの凄くハイテク化しどんどん進化しているので、

今はそんなに悪くないのも分かっている。


だからこれは私の個人的思いで

もちろん、そのようなしっかりした登山靴を履くなーというような

ことを言いたいのではない。

話は、もっと人間の原始的なところに戻ってーのこと・・。



私は、足の裏には人が原始的な生活から二足歩行に移行したー

そのときから、とても大事な感覚器官が集結しているような気がする。


だから、本来ならば裸足で土や草を踏みしめること、

それが理にかなっているように思う。

そうすることで、本来の危険察知能力、

全身の筋肉のバランス能力が全開になり、

野山を駆け巡ることが出来るーそんな気がする。

それが人間本来の肉体的なあり方だと思う。


今でも世界中のそこかしこにいる部族がそうしているように、

裸足で森を走り回って狩りをしている人たちもいる。

その人たちは文明からは離れているかもしれないけれど、

身体能力は今の文明の中で生きる人よりも、

優れているように思う。




余談だけどこの前、Google関係者であった人の本を読んだ。

それはビジネスの世界で生き抜いている男性の、話だった。

IT産業で生き抜いてきた男性の、仕事のやりかたなども書いてあり

仕事をする上で勉強になる部分もあった。

(IT世界の人なりのカリスマめいた言葉で表現されてあり、

そのキラキラな部分には仄暗い私は馴染めなかった。。)


その中にGoogleがインターネットの電波を届けるため

世界中の未開拓な地域の空に無人の気球を飛ばしているとあった。

そのことは、第三世界で勉強を学びたいと思う子どもたちに

ネット回線を提供することにも繋がっているそうで、良いことだとは思った。



(追記:東日本大震災の時、Googleジャパンのチームがネット回線による情報

提供に関して力を尽くしたことも書いてあった。それには私も感銘を受けた。

だけど、阪神・淡路大震災を経験した私にとって今でも覚えている感動した事の一つは、

私の友人の彼氏が大阪の北の方に住んでいたのだけど、彼は神戸の震災の状況を知るやいなや

震災のあったその日に大阪から、電車も通じない神戸の友達の家まで

何十キロもその足を使い、歩いて来た事だ。

ネットも電話も繋がらない、だけど地震で酷いことになっているのだけは分かる。

その頃余震も危惧されている中、彼は瞬時に好きな人の安否を心配し、

危険も試みず、何時間も歩いてきた。

私はその人の「気迫」と本能的な直感に従う様に、もっとも感動した。

その時人間の足が、とても大切なものだと実感した。)



また本の中には、Google的に「すべての人にはネットに繋がる権利がある」

と社風に挙げているとあった。

でもそこは私にとって、ちょっと納得がいかない部分が感じられた。


何となく(毒舌です・・)一部の人間からの(アメリカ的)支配思想を感じるし、

権利というのはその地域に住んでいる人が自ら考えるもん

ちゃうかなぁ~・・と感じられたから。


全ての人がネットに繋がる権利があるーというのは、

パソコンもネット環境も無いけれど、

昔ながらの習慣を守りつつ平和に暮らしている部族の

その人たちの生活に、悪影響を与えやしないか・・という懸念がある。


Googleアースの地図で、衛星からどこにジャングルがどれ位の

平方メートルあるかも分かってしまう現在、

もしかしたら新たな企業が森林伐採の計画をたくらんでいるのかもしれない。

今は「たくらむ」と言っても、きっと「悪いようにはしないよ」的な意味あいで、

現地に住む部族なんかの人達も「悪いようにはされない」文明化の便利さによって、

もしかしたらある人がそれが正しいんだよーという考え方によって、

洗脳されて、

もしくは自ら望んでー新しい暮らしをしているのかもしれない。



・・けど、それって・・もし誰にも見つからなかったら

それはそれで、幸せだったんちゃうかな。。。とも、私は思うんだ。

この世界で、もしも幸せに昔ながらの生活をしている人たちがいるとすれば、

それを文明化によって無理やり、例え「悪いようにはしない」やり方だとしても

変えるというのは、私は あんまり良い気がしないというか、

あまり好きじゃない。




話が凄く逸れたけれど、

今はもう生活にパソコンが無くてはならない時代だよね。

これからはパソコンやIT産業が一番、食いっぱぐれの無い職業だとも

分かってる。



それでももしね、私が今よりも若かった頃にやってた映画なんかのー

パソコン・コンピューターが世界を支配するようになったら??


1984年という小説や、分かりやすい所だとターミネーター、なんか。

映画だけの世界じゃなく、私は本当にそういう風にパソコンや機械に

支配される時代がもう、来ているなと感じる。

もう、そうなっている。(SNSやWifiで、知らない間にも監視されている)


もし政府も、機械式ーパソコンで弾き出されたデータによる管理式になれば、

私はきっと「反政府」派だと思う。今の時点であせる




なんの話をしてるか一体、誰にも理解できないかもしれないね・・。

もしかしたら、「この子、病気?!!」と思われるかも?!(笑)




まぁ、けど、 それでもいいねん^^



世の中がパソコンや機械式一辺倒になっていけばなっていくほど、

私はもっと原始的な始まりに興味を覚えて、そこに戻りたくなる。

それだけは、確かだ。

今の所、全く人間と同じ所作を出来るロボットは、

居ないよね。


人間のその肉体の動き、聞こえるもの見えるものーそして心。

それって、凄く特別で不思議で素晴らしいものだと思う。

機械のデータからは、思いもよらない結果を出したりする。


結局データに出ない所に、面白いことやものがあるような気がする。

真実ー? データが出ない、検索にも引っかからないソコに、

私をワクワクさせて、興奮させるものがある。



ベアフット(裸足の)ランナー。

裸足で走る人がいる。

きっと身体能力や筋肉の発達が原始に戻るのだと思う。


人は、昔は走って獲物を捕っていたんじゃないかな。

獲物を捕るために、走り出したんじゃないかな。

ランニングが今の言葉で言うと、「流行って」る。

それに、それに介してのビジネスも。

走るというのは人間の本能が、

本来の体のあるべき姿を

思い起こさせるからじゃないかな・・。



ランニングに慣れている人は、靴底が薄くて

より素足に近い感覚で走れる靴を選ぶという。

そうじゃない人は、靴底が厚いものからーという。




パソコンやコンピューターがどんどん発展して

SNSの中に漂っても、

感覚は足の裏に、戻ってくる。



うーーーん。


パソコンと足の裏、どっちを取るかと言われたら・・

やっぱり、足の裏!(笑)

信じれるのは、自分の足の裏、にしたいw



















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