万華鏡。 | pacoの日記

pacoの日記

小さな港町
からの
ひとりごと






ひとりの人がある言葉で 例えば形容されたとしても、

それは その人を形容した人が見た

その人の断片であり、 全てでは ないー


よく、私が思うこと。

いや よくというか、本当は 基本的に いつも思うこと。

ひねくれ者だからか、そう 思う。

ただ・・ 単純に決めつけるのが

嫌なんだ。




たった一つや二つや三つや・・

それだけの[言葉][印象]だけで、ある人間のことなんて 

全て分かったつもりになるのを

私は嫌う。  

もちろん それを誰にも話しは しない。

誰かが誰かのこと 決めつけたって それで、いい。



ただ、自分の中で そう思うだけ。



人間って・・・  そんな単純なものじゃない。

ただ単純にそんな人だ、理解した、と思うのは簡単・・。

それが悪いとは言わない。 誰しも自分が大事、そして

人を選ぶのも また人だから。



知ろうとしたり、分かろうとすることには全く労力を使うから

それがしんどい人は最初から、放棄しててもいい。

放棄してる人が 実は、 ほとんどなんじゃないかな?とも思う。


人生、選択の連続。。

感覚で選んじゃっても いい。 それも あり。

それとも、もう少し、その後ろにあるものを感じとろうと粘る かー。



私は 両方する。

中庸でいたいときもある。

誰かのこと 知ることは 私にはとても時間がかかることだ。

だから、誰とでもそつなく付き合うね とも言われる。

でも、それでいい。

だって、一人の人を深く知ることなんて

本当はそんなに単純ではなくて、

もう 何年もかかってのことだろうし

永遠に分かることが出来ないことなのかも しれないから。

そして、心も年とともに変化する。

慎重に、そして ロングスパンでいきたい。



だから、 ずっと ある人やものについてには 

私は知ることに 年単位 かける。

少し、トロいのかも・・







万華鏡は くるくる廻した時

見える瞬間によって 形容する言葉も違ってくる。

感じ方も 変わる。

きっと、その万華鏡の中味は多かれ少なかれ、

そして その見えるパターンは決まっているかもしれないけれど。


万華鏡を投げつけてしまって、中のガラスも割れてしまって

想像もつかないような模様を描く人も いる。




言いたいことは、


人って

その心の中はとても

深いー

と思うこと。。



あなたのことは 全ては分からないかもしれないし、


私のことも 全ては分からないかもしれないの。


そして   それで いい。