ワグネル・ソサィエティー男声合唱団 第148回 定期演奏会 | とのとののブログ

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148回定期演奏会 | ワグネル・ソサィエティー男声合唱団

 

 今年もワグネルの演奏会に行ってきた。諸般の事情で今年度聴ける唯一の定期演奏会。

オンステメンバーは50名程度,うち1回生が20名。卒団する4回生は9名。最初の塾歌を聴くだけで,新入部員が素晴らしく成長していることが分かる。なんと安定した美しい声とハーモニーであることよ。

 

 今回も演奏の感想というより,合唱史的なことを書いてみたい。曲目等の書き方はワグネルのホームページと同じ形式に。第4と第5ステージは演奏とは全く違う話になった。

 

1ステージ

Laudes de Saint Antoine de Padoue(パドヴァの聖アントニウスの讃歌)

8 Chansons françaisesより「La belle si nous étions(美しい人よ,もしも我らが)

作曲 F.プーランク

指揮 佐藤正浩

 

 プーランクは1963年に亡くなったので,このステージは「プーランク没後60年に際して」と副題がついている。彼の男声合唱曲としては,ワグネルも数年前に歌った「アッシジの聖フランシスコの4つの小さな祈り」のほうが知られていると思う。本邦初演かは分からないけど,1962(昭和37)の第11回東京六大学合唱連盟定期演奏会で立教大学グリークラブが演奏している。

 日本で最初に彼の男声合唱曲を演奏したのは,おそらく1955(昭和30)の同志社グリークラブで*,このステージでも演奏された8 Chansons françaises(8つのフランスの歌)を歌っている。このうち男声合唱曲は2曲だが,同志社は4曲歌っている (マルゴトン,塔の乙女,木沓の踊り,もしも私が)。「マルゴトン(Margoton va t’a l’iau)」は混声四部,「塔の乙女(La Belle se sied au pied de la tour)」は混声五部。この翌年にワグネルも「八つのフランス民謡」を歌っているが「マルゴートン」以外の演奏曲目は不明。

* 2024/6/13追記

「8つのフランスの歌」の初演については,コメントを参照ください。

 

 プーランクの男声合唱曲が広く知られたのは,1970年代後半に人気絶頂だった初代The King's Singers1978年に出したLP「フレンチコレクション」がきっかけではないかと思う。A面はジャヌカンなどのシャンソン,B面がプーランクの男声合唱曲。日本で発売されたLPとして5枚目だが録音は1972年で,グループ設立4年後と初期の録音。後の自由自在さからすると演奏はやや硬いが流石の演奏。

 ちゃんと調べてないけど,男声合唱曲は全て録音されていそう。2015年に音楽之友社から出版された島信愛氏による「プーランク男声合唱曲集」の全ての収録曲と,ハーバード大学グリークラブのために1922年に作られたChanson à boire(酒飲み歌)が録音されている。恐らくこのLPが出たため,楽譜屋さんにÉditions Salabert社のプーランクの男声合唱楽譜が並び,私も大阪のササヤ書店で一式入手した。海外合唱曲の音源と楽譜がほぼ同時に入手できることは当時は珍しかった。

 

 今宵の演奏曲「パドヴァの聖アントニウスの賛歌」は,1964年に発売されたステファヌ・カイヤ合唱団のLPに「パドアの聖アントワーヌの4つの頌歌」として収録されており,これが最初の紹介例かもしれない。

 「4つの小さな祈り」と比べると,中世的な香りが漂う。今宵の演奏も,正確な歌唱で静謐な祈りが立ち上っていた。

 ザ・シックスティーンのCD「プーランク」の菅野浩和の解説によるとLaudes(ラウダ)は宗教的なテーマによる一種の讃歌で,13-16世紀ごろ最盛期でした。イタリア語歌詞の,いわば民衆的宗教歌ですが,その精神と概念を借りて,プーランクはパドヴァの聖人アントニオを讃える4つのラテン語歌詞に作曲して,修道士たる甥の信仰心へのはげましとしたものでしょう」とのこと。

 フランシスコ会修道士だった甥のために書かれた曲とされるが,この関係がよく分からなかった。調べると,パドヴァの街の中心に聖人アントニオ(ラテン名アントニウス)にちなむ聖アントニオ大聖堂があり,彼は聖フランシスコの精神を受け継ぎ,フランシスコ会最初の神学教師となった。なので,甥のためパドヴァの聖アントニウスを讃える歌を,彼が生きた13世紀の「民衆的宗教歌」になぞらえて作ったのだろう。

 パドヴァには世界で2番目に古いとされる大学があり,日本でキリスト教と西洋教会音楽の普及に尽力した巡察使ヴァリニャーノが学んだ。

 

 8 Chansons françaisesは,LPの解説によると1945年にプーランクの友人アンリ・スクルペルに献呈された。前述のように8曲中2曲が男声合唱曲。

 

2ステージ

男声合唱曲集『東洋民謡集Ⅳ』

作曲 池辺晋一郎

指揮 キハラ良尚

 

 個人的に最も楽しみにしていたステージ。「東洋民謡集Ⅳ」の楽譜をみて,特に第1曲の「Genç Osman」の懐かしさと斬新さに引かれたから。

 

 池辺晋一郎氏の東洋民謡集は,楽譜やCDの解説をまとめると,もともとエスニック音楽が好きで,あちこちの音楽が「僕の裡(なか)で響き続けていた。これが至極当然の顔をして,合唱曲に変身した」としている。それは「僕が聴いたそれぞれの音楽の,僕流の合唱化」で,当初は歌詞(ことば)は池辺の「聴き書き」が記されていた。2000年頃に出版とCD化のため,正確な歌詞に替え,明記されていないが恐らく曲もそれに応じて修正されたはず。

  東洋民謡集Ⅳの楽譜には「民謡の原曲からの『離れ具合』というか,作曲にあたって原曲を単なる『素材』と考えてのいわば『自由度』が,IからIIIへ向かって強くなってきていることもまたたしかだと思う」と,民謡の編曲ではなく池辺氏の心のなかで昇華された「僕流の合唱化」手法が板についてきたことを記している。

 

 第IV集は,合唱指揮者・松原千振氏の仲介でスウェーデンの王立男声合唱団オルフェイ・ドレンガーが委嘱した。2005年の4月に作曲され,同年秋のオルフェイ・ドレンガー来日時に2曲め「刈干切唄」と3曲目「コラ-空を舞うコウノトリ-」が演奏された。1曲め「Genç Osman(ゲンチ・オスマン)」はこのときは演奏されず,初演は不明。

 推測だけど,彼らは演奏していないだろう。これはオスマン・トルコ軍楽隊の歌であり,歌詞には「アッラーと言いながら通り過ぎる若いオスマン」という一節もある。多くがキリスト教徒である彼らに抵抗があっても不思議ではない。16世紀のオスマン・トルコによるウィーン攻めも単なる知識以上のものとして受け止めているのではないか。このあたり,ほとんどの人が無宗教(「一神教の信徒ではない」というべきか)の日本人と感覚が違うと思う。意図的に選んだのでなければ,池辺氏の選択ミスだと思う。

 

 しかし,冒頭に書いたように自分は一曲めが一番のお気に入り。1980年にはNHKのドラマ「阿修羅のごとく」のオープニングにトルコ軍楽隊の音楽Ceddin Deden(ジェッディン・デデン)」が使われ話題となり,また,80年代終わり頃には世界を紹介するバラエティ番組「なるほど・ザ・ワールド」でイスタンブールの軍事博物館でこの曲を演奏しながら行進する軍楽隊の映像が紹介されるなど,トルコの軍楽が知られていた。

 私もCDを買ってこの「Ceddin Deden(ジェッディン・デデン)」や「Genç Osman(ゲンチ・オスマン)」などを楽しんだ。ヨーロッパに恐怖をもたらした軍楽隊の音楽は,日本人にとっては異国情緒あふれた音楽であり,トルコでは観光客を楽しませるショーとなっている。

 ということで,1曲めはたいへん「懐かしく」,また管楽器や打楽器も含めて無伴奏の男声合唱曲に仕上げている点が「斬新」で,音源が見つからなかったのでMuseScoreに楽譜を入力し,MIDI演奏から合唱を想像していた。

 

 今宵の演奏は期待を凌ぐ凄さだった。他の2曲も含め,よくもまあこれを音にし音楽にできるなあと感心するしかない。客演指揮のキハラ良尚氏のまとめ方がよいのかもしれない。パンフレットの対談によると,ワグネルは民謡をあまりやっていないのでやったら面白いんじゃないかなと提案されたそうで*,ワグネル側も音源を聴いたときは「『何だこの曲は!』と衝撃を受けた」そうだが,「とても楽しく歌わせていただいております」には感心した。なんとなく,木下保が「コンポジションIII番」を初演したときのワグネルの反応を書いておられたけど,そんな感じなんだろうか。

 ちなみに, 東洋民謡集Iの「シンディーリャ」も男声合唱曲。池内は「これは曲集であって組曲ではないので,両曲集を一緒にし,どこからどう選び,どう並べようが全くさしつかえない」としているので,4曲のステージを作るのはどうだろう。演奏時間は15分ぐらいになる見込み。

*そう言われればワグネルの民謡は聴いたことがない。しかし,古くはダーク・ダックスの時代にロシア民謡を得意とし,また畑中良輔が指揮し福永陽一郎が「合唱界に革命をもたらした」と評価したのは1960(昭和35)の東京六大学での「日本民謡集」。その後も「コンポジションIII番」や,広義には民謡とも言えるコダーイのマジャール語での日本初の演奏など,ワグネルは決して「民謡を歌わない」合唱団ではなかった。

 

 

3ステージ

男声合唱とピアノのための組曲『鎮魂の賦』

作詩 林望

作曲 上田真樹

指揮 金岡翼(学生)

ピアノ 永澤友衣

 

 2007年に作曲されたこの組曲については,合唱史的なことは何も知らない。一言で言えば「無宗教レクイエム」というこの曲,上田真樹氏特有の,詩がするすると入ってくる音楽は,初期の作品にも関わらずその萌芽がある。9月に母親を亡くしたところなので,心に沁みた。

 

4ステージ

男声合唱『若者たち』 昭和歌謡に見る4つの群像

編曲 信長貴富

指揮 佐藤正浩

ピアノ 前田勝則

 

5ステージ

男声合唱とピアノのための「Fragments -特攻隊戦死者の手記による-

作曲 信長貴富

指揮 佐藤正浩

ピアノ 前田勝則

 

 この2つのステージは続けて演奏された。正確には,第4ステージの第3曲「ヨイトマケの唄」が終わると第5ステージの演奏になり,最後に第4ステージの第4曲「若者たち」が歌われた。衣装もワグネルのブレザーではなく黒いシャツとズボンで統一された。

 

 第4ステージの「戦争を知らない子供たち」「拝啓大統領殿」「 ヨイトマケの唄 」「 若者たち 」は私とほぼ同年代の曲で,リアルタイムに聞いていた。しかし,子供だったであり,まさに「戦争を知らない子供」だったので単に「面白い歌」としか思っていなかった。改めてこのような構成になると,メッセージを読み取れるし,それが今宵の意図でもあるのだろう。

 

以下は今宵の選曲や構成や演奏とは関係ない,一般的な話。

 

 私は戦争を題材としたこの種の合唱曲(音楽)が苦手。

説明難しいけど,演奏中に感じるある種のいたたまれなさ,自らの存在を揺さぶられる不安感と,そのあとの気持ちの切り替えが自分で気持ち悪いから。

 

 例えば,キリスト教の宗教曲を聴いても,歌詞が逐一にはわからないこともあって,「美しい」「敬虔な感動」を覚えることはあっても,「ああ,おれは罪深い」「信仰の道にはいらなくて良いのか」と不安に苛まれることはない。

 

 しかし,戦争を題材にされた曲を聴くと,悲劇が反戦的に歌われることもあって,のほほんと生きている自分が「あの時代に生まれなくてよかった」「戦争はいけないことだ」「戦争にならないためになにかできることはないのか」と様々な思いが頭の中に炸裂する。しかし,そして同時に,演奏会のあとは「小腹がすいたしラーメンでも食べて帰るか」と思ってしまう。人間的といえば人間的。しかし,演奏中の思いと演奏後に現世を生きることとのギャップにいたたまれなくなる。

 

 そもそも戦争は個人の思いを超えて始まってしまう。昨今のウクライナやイスラエルを持ち出すまでもなく。「戦争はいけないことだ」「起こしてはならない」などという個人の想いや願いを軽々と踏みにじる。こちらはそうでも,相手はそうではない場合もある。「起こらない結果ではなく,そう思うことが大切だ」という非力な自己肯定には馴染めない。何も生み出さないなら,何も思わないのと同じだ。

 

 なので,ここは発想を変えて,問題の本質を抽出し考えるのがよいかもしれない。

戦争に限らず,人は時として自分ではどうにもならない理不尽な力により,困難な状況に置かれることがある。村上春樹の小説はそんな構成で描かれることが多い。

卑近なところでは,コロナ禍の合唱活動,社会経済活動など。一般に4年しか活動期間がない大学合唱団は大変苦難な時期だった。そのような状況を打破する力や希望として,このような曲を演奏し,また聴くのは,力になる気がする。「メッセージをすり替えるな」と叱られそうな気もするが。

 

 今年の東西四大学のちらしには「僕たちは絶対に 男声合唱を終わらせないと記されていた。コロナ禍の苦難から,「若者たち」が「君の行く道」を歩き始めてほしい。

 

 アンコール曲目は添付に。いつものステージストームと合わせ,再びワグネルのブレザーで演奏された。

 

以上